19話 独立騒動
姉達のシマウマ狩り後。
子供達の狩りを見守っていたメスライオン達が、イボイノシシを追い始めた。
子供のシマウマ1頭では、全員の食事に足りないと思ったのだろう。
あるいは子供達から、狩りの成果を奪わないようにと考えたのかもしれない。
――狩っても親に取り上げられるなら、狩らなくなるからな。
ライオンは、子供に狩りを教える生き物だ。
獲物を弱らせた上で意図的に放して、子供達に続きを任せることがある。また小さな獲物は、自分で食べろと促すこともある。
それはライオンに限らず、ほかのネコ科動物にも見られる行動だ。
そんなメスライオン達が、シマウマの代わりに狙ったイボイノシシは5頭。
メス1頭と、一回り小さな子供と思わしき4頭の群れである。
だが残念ながら、避難用の巣穴があって、即座に逃げ込まれてしまった。
『掘ろうか?』
『掘って、捕まえよう!』
巣穴の前に陣取った大人達は、前脚で器用に、巣穴の周りを掘り始めた。
後ろ足の間から、掻き出した土をザクザクと捨てていく。
まるで工事現場であるかのように、巣穴の周りで土煙が上がった。
『あれ、美味しいのかな』
メスライオン達の行動を不思議そうに眺めていたリオが、隣に居た俺に尋ねた。
俺もリオも、まだイボイノシシを食べたことはない。
『美味しいと思うぞ。あれだけ熱心に、掘っているからな』
そう答えた俺の根拠は、前世で豚を食べた経験に基づく。
豚は、人間が1万年ほど前に、野生の猪を家畜化した生き物だ。
そのため豚の分類は、イノシシ科イノシシ属の亜種となる。
――日本でも飼育されていた豚の説明なら、トピよりも楽だな。
人間が飼育する豚は、食用に適した品種改良がされてきた。
猪は年1回、豚は2回、子供を生む。
猪は1度に5頭、豚は10頭を生む。
猪は1年で30キログラムに育ち、豚は100キログラムに育つ。
猪は2年で生殖可能になり、豚は10ヵ月未満で生殖可能になる。
猪に比べて豚は胴が長くなり、可食部分が増えた。
そこそこ異なるが、猪と豚は交配可能で、子供も生殖能力を有する。
たかだか1万年で、猪と豚は、同種に近い亜種だ。
つまり猪の味は、豚に近い。
肉質は豚より硬いが、俺達は人間よりも牙が丈夫なライオンである。
――豚肉が不味ければ、全人類で10億頭近くも飼育するはずがない。
今回狙っているイボイノシシは、顔にイボのような突起がある猪だ。
豚と同じイノシシ科だが、『イボイノシシ属』で『イノシシ属』と若干異なる。
ネコ科の『ネコ属』と『オオヤマネコ属』くらいの差は、有るかもしれない。
食事として考えた場合、生肉が美味しい海鮮丼に感じられる俺にとっては、マグロがネギトロ、甘エビがボタンエビに変わっても、特に問題は無いが。
そんな美味しいイボイノシシは、様々な肉食動物から狙われる。
人間にとっての高い海鮮丼と同等の美味しさであれば、無理からぬ話だ。
「ガオォーッ」
「ピギイィッ」
穴の中で、イボイノシシの悲鳴が上がった。
メスライオンの爪が、穴の中に居るイボイノシシの身体を引っ掻いたらしい。
普通は静かに隠れるが、顔を引っ掻かれては、悲鳴が上がっても無理はない。
悲鳴で分かったのは、巣に横穴が無くて、近い場所に潜んでいることだ。
狩れると認識したメスライオン達は興奮して、土を掘る速度を上げていった。
――イボイノシシの子供は、おそらく大人よりも美味しいな。
小さいほうが、肉が軟らかい。
身体に必要な栄養だって、子供のほうが詰まっているだろう。
できれば、子供のイボイノシシを食べてみたい。
子供は4頭居るのだから、少しは食べられるだろうか。
『腹が減った』
『ビスタが狩ったシマウマ、食べたら?』
『エムイーが、アンポンタンを押し退けたからなぁ』
食事中のオスライオンは、気が立っていて危険だ。
隣で食事をするメスにライオンパンチを放ち、追い払おうとすることもある。
エムイーは体重130キログラムほど、アンポンタンの体重80キログラムほど。両者は、大人のオスライオンとメスライオンほどの差で、追い払う一撃では、大きな怪我は負わない。
だが俺の場合、体重130キログラムの巨漢で、小学1年生を突き飛ばす形だ。君子危うきに近寄らずである。
『巣穴のほうに行こう』
『シマウマは食べないの?』
『エムイーが興奮して危ないから、俺達は止めたほうが良い』
説明を聞いたリオは、ビスタが押さえているシマウマを見て、納得を示した。
リオは頭が良くて、俺が伝えたことをちゃんと理解できる。
もしも空腹だったら、リオは兄姉の隙間を狙いに行ったかもしれない。
だが現在の俺達は、メスライオン達が狩りの練習をさせるほど餓えと無縁だ。
『ギーア、ミーナ、行くぞ……って、ギーアはシマウマに行ったか』
食いしん坊になったギーアは、狩られたシマウマの匂いに、釣られていった。
エムイーに比べて将来性があるギーアだが、俺への対抗意識も持っている。
ギーアにとって、肉を食べることは、俺との勝負の1つだと思っている。
流石に肉を食べるのを止めろとは言えない俺は、ミーナだけでも呼び止める。
『ミーナ、母達のところに行こう』
『シマウマは?』
『エムイーが食べていて、アンポンタンが追い払われた。俺達だと、危ない』
『はーい』
ミーナは名残惜しそうにシマウマを見たが、俺とリオのほうに付いてきた。
シマウマを諦めた俺達3頭は、トコトコと茂みを歩き、巣穴のほうに向かう。
そしてしばらく歩いていると、後ろから雄叫びが聞こえた。
「グルアアッ」(邪魔だあっ)
「ウミャアッ」(あべしっ)
振り返った俺が見たのは、ギーアがエムの前脚に突き飛ばされる姿だった。
今のギーアの体重は、16キログラムほどだ。
体重80キログラムのアンポンタンに食らわせるレベルの攻撃を放てば、かなりの衝撃を受ける。吹っ飛ばされたギーアは、ボールのようにポンと転がった。
頭が真っ白になった俺の横を、2頭のメスライオンが駆けていった。
そしてエムに対して、2頭で攻撃を加えた。
「ガアアオッ」(ゴオラアッ)
「グアアオッ」(何してるっ)
母ライオン達が、激怒して吠えた。
俺の母ライオンがエムの足を噛み、もう一頭がエムの顔にライオンパンチを放つ。
逃れようとしたエムに、さらなる追撃が加えられる。
それを見たイーが、メスライオン達を阻止しようとして、エム側に参戦した。
イーが、俺の母ライオンにぶつかっていく。
2対2である。
――おいおい、おいおい。
俺が拙いと思った次の瞬間、妊娠していない2頭のメスライオンが、イボイノシシの巣穴を放棄して加勢に来た。
加勢した側は、もちろん先に戦っているメスライオン2頭のほうだった。
メスライオン達は、常にチームで戦う。
平均体重150キログラムのメスライオン4頭と、推定体重130キログラムのオスライオン2頭。
形勢は明らかだが、シマウマを食べかけだったエムイーは、興奮状態だ。
メスライオン達も多少の手加減をしており、混乱は、収まらなかった。
「グガオオォッ」
劣勢なエムイーは、大口を開けて威嚇し、前脚を振いながら駆け回った。
エムは腹を見せて、メスライオン達に負けを示せば良かったかもしれない。
イーは、無駄に参戦して混乱させるべきではなかっただろう。
だが兄2頭は、オスライオンの本能で、そのような行動を取らなかった。
オスライオンは、食事の際に興奮して、メスを追い払うことがある。
母ライオン達は怒りが収まらずに、連携して2頭を追い立てた。
ついに妊娠している2頭のメスライオンまで駆け付けて、全面抗争に移る。
まるで群れに、他所からオスが来たような対応であった。
――子ライオンへの攻撃だからか。
ギーアはわんぱく盛りだが、生後4ヵ月で、まだ離乳食を食べる幼児だ。
父ライオンではないオスが攻撃すれば、メスライオン達は応戦する。
ビスタは、シマウマの喉を絞めるのを止めて、ポカンと見ていた。
アンポンタンは、シマウマから少し離れた場所で、身を竦めている。
ギーアは起き上がったが、自分が怒られたとでも思ったのか、伏せていた。
そしてエムイーは逃げ、追いかけるメスライオン6頭と共に、どんどん遠くへ走っていった。
イボイノシシの巣穴の前には、もう誰も居ない。
『……シマウマを食べに行こうか』
俺が現実的な話をすると、リオが前脚で、ベシっと叩いてきた。