18話 ミーナ強化月間
『お兄ちゃん、あれは何?』
『あれはトピといって、ツノがある動物だ』
妹のミーナに尋ねられた俺は、トピを自分なりに解説した。
日本に居ないトピを説明するのは、言葉が通じる相手でも難しい。
――日本人が相手なら、「牛に近いやつ」で、伝わるかなぁ。
トピは、サバンナなどに生息する偶蹄目ウシ科の生き物だ。
インパラやヌーの仲間に分類されており、牛の遠い親戚にあたる。
人間の爪にあたる蹄を、偶数持った偶蹄目ウシ科。そのウシ科の中でトピは、ウシ族とヤギ亜科を除いたアンテロープというグループに属する。
偶数の蹄を持つ偶蹄目は、ウシ、シカ、カバ、イノシシ、キリンなど9科。
奇数の蹄を持つ奇蹄目は、ウマ、サイ、バクの3科。
『あれは食べられる。ツノには気を付けろ」
『うん、分かった』
俺は要点だけ、物凄く簡単に説明した。
トピの体重はライオンと同等で、個体差はあるが、オスのほうが大きくて重い。
15頭から30頭ほどの群れで暮らすことが多いが、大規模になることもある。
前世で世界遺産に登録されていたセレンゲティ国立公園には、大雑把に3万頭ものトピが生息していると聞いたことがある。
セレンゲティ国立公園では、ほかに象3000頭、キリン2万頭、イボイノシシ2万頭、スイギュウ7万頭、インパラ8万頭、シマウマ50万頭、トムソンガゼル100万頭、ヌー130万頭なども生息していた。
草食動物の中で、トピはマイナーかもしれない。
そんなトピが、オス同士でツノをぶつけ合って、争っていた。
2頭のトピは、両前脚の膝を地面に付けて、頭部のツノを可能な限り下に差し込んでいる。
そして下から上に跳ね上げる形で、ツノの競り合いをしていた。
『お兄ちゃん、あれは何?』
『オスの戦いだ。俺とギーアみたいな感じだな』
トピが行っているのは、メスを巡って争う力比べである。
俺とギーアは、今のところメスを巡る争いはしていない。
だが力比べはしており、大して間違いではないだろう。
ツノで争う時、下から持ち上げるほうが有利になる。
下から上げる場合、身体を起こす動作で、相手を押し上げられるのだ。
上から押す場合は、下からに比べて力を入れられず、負けてしまう。
2頭のトピは、相手の下を取る勝負をしていた。
そして決着が付かず、同じ高さで相手を押し始めた。
『ああやって勝ったほうが、メスを勝ち取れるんだ』
『へえぇ』
『メスにも選ぶ権利はあるけれど、わざわざ負けたほうの子孫は残さないな』
『そうなんだ』
ミーナは俺に教えられるがままに、目の前の光景を受け入れた。
最近の俺は、よくミーナに話し掛けている。
沢山話し掛けたほうが認知能力が上がる研究結果が、アメリカの科学雑誌『Journal of Neuroscience』などで報告されている。
独立後を見据えた俺は、メンバー候補であるミーナの賢さを上げているわけだ。
リオに対しては、今更である。
ミーナには、リオの手伝いが出来るくらいには、育ってほしいところだ。
俺が尻尾を治療した後、ミーナは俺が言うことを素直に聞いてくれる。
――成長後は、伸び代が小さいからな。
大人になった後でも、もちろん賢さは上げられる。
だが幼少期に言語を覚えたほうが、身に付き易い。
幼少期に学べば、ほとんど誰でも母国語を話せるようになる。
だが大人になってから外国語を学ぶと、難易度は上がってしまう。
俺が見つめる先では、そろそろ独立するエムイーが、トピに近付いていた。
2頭は揃って、同じ方向から獲物に近付いている。
ライオンは、逃げる方向に仲間が伏せる狩りも出来る。つまり2頭は、平均よりもアホ寄りのライオンである。
エムイーの2頭を今から教育するのは、ちょっと難しい。
俺の『ちょっと難しい』は、日本人が好む「無理」の優しい言い方だ。
別々の道が確定している兄達に、俺は心の中でエールを送った。
――強く生きてくれ。
エムイーは、ツノをぶつけ合っているオス達に、少しずつ近付いていた。
風上であることは、まったく考えずに進んでいる。
そして、なぜか途中で茂みから飛び出して、駆け始めた。
すると2頭のトピは、争いを止めて走り出した。どちらを追うのかを決めていなかったエムイーは、目標が定まらずに一瞬迷った。
トピは、時速80キロメートルで疾走できる。
オスライオンは、時速60キロメートルほどだ。
逃げられた上に、追う相手に迷ってしまっては、もう追い付けない。
狩りは、見事に失敗した。
「ミャォ」
ミーナが、残念そうに呻った。
一度襲い掛かれば、ライオンが獲物を欲していると、知れ渡ってしまう。
周辺では、草食動物側の警戒度が一気に上がって、狩りがし難くなる。
『あれが、狩りの悪い見本な』
成果を期待していなかった俺は、アッサリと言った。
エムイーは、大人のスイギュウに突撃した馬鹿猫6兄姉の主犯格だ。
慣用句に『男子三日会わざれば刮目して見よ』があるが、兄達とは毎日会っているので、刮目しなくても分かる。
エムイーは、1ヵ月半前と変わりない。ハイエナの群れが半壊して、ぬくぬくとスローライフを満喫していた。
おそらく、父ライオン達の真似である。
だが姉達は、大人のメスライオンの真似をして、連携が上手くなっていた。
俺は、エムやイーとは別の場所に居る姉達に視線を送った。
エムイーと同い年のビスタ、そして1歳のアンポンタンが狙うのはシマウマだ。
トピとシマウマは『混群』といって、群れが混ざって行動することがある。
『あっちは、ちゃんとしているな』
1歳のアンポンタンは追い立て役で、三方向からシマウマに近寄っていた。
三方向から近寄られた場合、逃げ先は残る1方向に絞られる。
その逃げ先に、ビスタが伏せているのだ。
『ふえぇ』
ミーナが、感心した声を上げた。
姉達は慎重に迫った後、一斉に走り出した。
子ライオンとは言え、もうブチハイエナより大きい。それが3頭同時に姿を現して迫れば、シマウマの群れは警戒して逃げる。
一斉に走り出したシマウマの集団は、待ち伏せるビスタの傍を駆け抜けた。
シマウマは時速64キロメートルで、ライオンよりも若干早い。
だが集団には、老若男女、怪我や妊娠など、狙い易い個体がいる。
小さな一頭に狙いを定めたビスタは、一気に駆け寄り、背中に飛び掛かった。
『捕まえた』
上り坂で尻を掴まれた子供のシマウマは、体勢を崩して倒れ込んだ。
すかさず喉元に噛み付いたビスタは、身体をシマウマの頭の後ろに移動させて、シマウマの蹴りが届かないようにした。
ここまで完全に抑え込まれてしまっては、自力で助かる術はない。
さらにアンポンタンの3頭が駆けてくるのを見た親のシマウマは、見切りを付けて逃げていった。
シマウマには助ける術が無いし、残っていたら自分まで狩られてしまう。
捕まったシマウマは、呼吸が出来ず、次第に抵抗を弱めていった。
『あれが、狩りの良い見本な』
俺達の群れの食料事情は、かなり良い。
そのため大人のメスライオン達は、狩りの練習をしろと、任せている。
駆け付けたアンポンタンは、ビスタが倒したシマウマを押さえるのに加勢して、捕らえた獲物を逃すまいとした。
すでに決着していたが、万全を期したのだ。
――お見事。
俺が感心していると、エムイーがノコノコと、シマウマに寄っていった。
トピを無駄に追い回して狩りを困難にしたことなど、まったく気にしていない。
それどころか、シマウマを狩ったアンポンタンを押し退けて、シマウマの下腹部を囓り始めた。
エムイーの行動は、人間感覚では呆れるが、典型的なオスライオンである。
兄達のせいで、ちょっと肩身が狭い俺であった。