14話 ハイエナの巣穴
『拙いね』
仕留めたスイギュウの下へ行こうとしたポンが、歩みを止めて、短く呻った。
狩り場がハイエナの巣の近くだったらしく、続々とハイエナが飛び出してくる。
『何あれ』
『ハイエナの巣だね』
リオの疑問に、ポンが答えた。
俺と会話する時とは異なり、リオはポンの説明を明確には理解できていない。
俺が相手の場合は、言語翻訳の祝福が、双方に伝わるように機能している。
それが無い場合、ライオン同士の意思疎通には限界がある。
リオの懐疑的な鳴き声に対して、ポンの警戒する鳴き声が返って、危ないことが伝わったようだった。
「ヒーッヒャッ、ヒャッヒャッ」(ライオンが、来やがったぜ)
「イーッヒッヒッ、ヒャヒャー」(子連れだぜ、ナメやがって)
ハイエナの甲高い声が、サバンナに鳴り響いた。
ハイエナは威嚇や求愛など、少なくとも12種類の鳴き声が確認されている。
そんな12種類のうちの1つである威嚇にも、そこそこの語彙があるらしい。
俺はハイエナの笑い声に、過激な暴走族を妄想した。
暴走族の言葉も、おそらく12種類くらいであろう。
世紀末に「ヒャッハー」などと叫びそうな連中は、子スイギュウを狩ったメスライオン達の周囲を、グルグルと回り出した。
ライオンとハイエナのナワバリは、往々にして被る。
ライオン同士の場合は、お互いに臭い付けや遠吠えで教え合う。それで相手の強さを推し量り、不要な戦いを避けるのだ。
だがハイエナの場合、どこに巣が有って何頭居るのか、ライオンに教えない。
ハイエナの巣穴自体は、ツチブタが掘った穴の再利用だ。
ツチブタの肩高はハイエナ並に高くて、一晩に3メートルの穴を掘れる。しかも住居以外にも、隠れ家として大量の巣穴を各地に作る。
そのためハイエナを含む様々な動物が、ツチブタの掘った穴を再利用している。
ライオンは、どこにハイエナの巣があって何頭居るのか、分からない。
ハイエナに遭遇してしまうのは、ライオンにとっては不可避だ。
そして巣穴の近くまで迫られたハイエナ達は、かなり興奮していた。
「ヒャーヒャッ、ヒャッヒャ」(やっちまえ、殺しちまえ)
「イーヒャーッ、イッヒャッ」(いいぜ、狩りの時間だぁ)
俺はライオンが正義で、ハイエナが悪と言うつもりはない。
獲物が無限には存在せず、ライオンとハイエナで競合するのなら、殺し合うのは自然の摂理だ。
自分と子孫の生存に必要な行為が悪なら、全ての生物が悪となる。
もちろん、俺達ライオンがハイエナを攻撃するのも、自然の摂理である。
さしあたって生後2ヵ月半の俺には、今のところ出来ることはないが。
『巣穴のハイエナは、狂暴だよ』
『危ないの?』
『凄く危ないよ』
ブチハイエナの繁殖期間は通年だが、出産の最盛期は、2月から3月だ。
その時期はサバンナの草食動物に出産が多く、狩り易い獲物が増える時期だ。
ブチハイエナは、1回の出産で1頭から3頭を生む。
最初は母子だけの小さな巣穴で暮らし、2週間から1ヵ月で群れの巣穴に合流する。巣穴には、大人のハイエナと同数くらい、子供のハイエナも住んでいる。
子供は、生後8ヵ月から1年ほど巣穴で過ごした後、母親に付いて餌を探しに行くようになる。群れの狩りに参加するのは、1歳半くらいからだ。
肉を食べ始めるのは生後3ヵ月ほどからで、性成熟は生後2年から3年ほど。
ハイエナは、多くの部分がライオンの生態と共通している。
――巣穴があるのなら、ハイエナは子供を守ろうと動くか。
狩った獲物一つを巡る戦いでは、獲物を放り捨てて逃げれば、追って来ない。
それは殺し合って自分が怪我を負うことが、損をするからだ。
だが子供を守る戦いでは、怪我を負っても、なかなか引かない。
次々と現れたハイエナ達は、メスライオンが狩った子スイギュウを奪うよりも、メスライオン達を追い払おうと動き出した。
「ヒヤーッ、ヒャッヒャッ」(いくぜ、血祭りだぁ)
「イヒッ、イヒッ、イヒィ」(行け、行け、行けぇ)
サバンナの暴走族どもが、一斉に突入を開始した。
30頭近くのハイエナ達が、4頭の大人ライオンと5頭の子ライオンに襲い掛かっていく。瞬く間に、双方が入り乱れての大乱闘となった。
5頭のハイエナが同時にメスライオンに襲い掛かり、それを庇おうとした別のメスライオンに、新たなハイエナが乱入していく。
数を活かしたハイエナが、ライオンの尻や足に噛み付いた。
ライオンもハイエナの一頭に噛み付いて、力強く振り回す。
「グガオオオオッ」
「イーッヒャヒャ」
両者は噛み合いながら、グルグルと回転して土埃を舞い上げた。
1対1で戦えば、絶対にライオンが勝てる。メスライオンは2倍から3倍もの体重がある上に、10センチメートルの爪も持つからだ。
両前脚の爪10本で引っ掻けば、刃渡り10センチメートルのナイフ10本で、同時にザクザクと切り裂くような攻撃になる。
それに対してブチハイエナは、爪で攻撃が出来ない。
噛む力も、ハイエナは咬合力が高いと言われているが、奥歯で噛み砕く方向に進化しているので、犬歯に力が集中するライオンに比べて戦いでは弱い。
それらによって、1対1ではライオンが圧勝する。
だが多数に襲われたライオン達は、四肢を地面に付け、苦戦を強いられた。
――かなり拙い。
爪を使えなければ、武器の大半を封じられたようなものだ。
エムやイーが逃げ惑い、メスライオン達は自分達の攻防で必死だ。
ライオン側は密集状態になり、押し潰されそうな味方を強引に庇う動きを取る。
だが乱戦では、ライオンよりもハイエナのほうが一枚上手だ。
ライオンは、追い立てと待ち伏せで、捕まえるまでの連携を得意とする。
ハイエナは、集団で食らい付くなど、捕まえた後の連携を得意とする。
ハイエナ側の連係攻撃は巧みで、ライオン側は押されていた。
「ミャォ」
不安そうなリオが、どうしたら良いかと尋ねてきた。
ギーアとミーナは、子猫のように小さくなっている。
『隠れていろ。見つかれば、木に登るぞ』
『分かった』
俺はリオの身体をポンポンと撫でて、緊張するリオを宥めた。
俺達が傍に居るメスライオン達は、ハイエナ同様に引き下がれない。
――この状況で、俺が土魔法で出来ることは、あるのか。
生後2ヵ月半の子ライオンが助けに行けば、何かする間もなく、一瞬でハイエナの群れに飲み込まれてしまう。
だがメスライオン達を見捨てると、ミルクが得られなくなってしまう。
そろそろ肉食は可能だが、親ライオンの庇護を失うと、生存は厳しい。
生活全般が、スローライフから、ハードモードになってしまう。
悩む俺の耳に、状況を一変させる音が響いてきた。
「グルルオォッ」
重低音が轟き、ライオン達を襲っていたハイエナ達が、一瞬で方々に四散した。
それは、ハーレムに旅立っていたオス2頭とメス2頭の乱入であった。
集団に突っ込んできた2頭のオスライオンは、ハイエナ達を追い始める。
ハイエナの一頭を前脚で引っ掛けて転ばせたオスライオンは、大口を開けた。
「グルアァッ」(あたあっ)
「イヒャヒャ」(ひでぶっ)
ハイエナの頭を噛んだオスライオンは、犬歯の一撃でハイエナを噛み殺した。
――マジか。
ハイエナの咬合力が高いとは、一体何だったのか。
奥歯で噛む力が強くとも、ハイエナの小さな顎では、ライオンの身体を奥歯まで入れられない。
逆にオスライオンの口は、ハイエナの頭を噛んで殺すことが出来る。
一撃で一頭を殺したオスライオンは、続けて2頭目を追った。
もう一頭のオスライオンも、ハイエナを1頭殺していた。そちらはハイエナの後ろ首を噛んで、巨大な爪で身体を押さえ、骨を折っていた。
オスライオンの大きさはメスの1.5倍なのだから、爪の大きさも1.5倍だ。ハイエナの身体は、無数の巨大なナイフで、深く切り裂かれていた。
――メスライオンと、全然違うじゃないか。
オスライオンは、メスライオン2頭分。
そんな風に思っていたが、実際にはオスのほうがずっと強かった。
強さの理由の一つが、オスライオンだけが持つ『たてがみ』だ。
オスライオンの首回りに生えている大きなたてがみは、首への攻撃を防ぐ。
毛なので滑り、広がっているので噛み難く、首を噛み絞められないのだ。メスライオンが狩りで得意とする首噛みも効かないので、2頭でもオスには勝てない。
瞬く間に2頭のハイエナを狩ったオスライオン達は、次の敵を探す。
その間に、メスライオン6頭と子ライオン5頭が合流した。
「イーッヒッヒッヒ」
ハイエナは、警戒しながら遠巻きに威嚇している。
だがオスライオン達は、威風堂々と迎え撃つ構えだ。
その間、大人達に守られた子ライオン達は、ハイエナの巣の上に移動した。そして巣穴へと入り、ハイエナの子供を殺し始めた。
大人のライオン達は、肩高があるので、ハイエナの狭い巣穴に入れない。
だが子ライオン達は、巣の中に入れて、大人のハイエナ1頭よりも強い。
つまり生後1年未満のハイエナの子供達など、ライオン5頭の敵ではない。
――ほかの出口から逃げても、地上には大人のライオン達が待っている。
突如として発生したナワバリを巡る争いは、ライオン側の勝利となった。
ハイエナの子供を殺すのは可哀想という考えは、今世の俺は持たない。
こちらが殺さなければ、相手に殺される。あるいは、獲物を奪われる。これは、自然の摂理だ。
さしあたり明日からのハードモードが避けられた俺は、ホッと一息吐いた。