13話 若スイギュウ狩り
『おっにく、おっにく』
今日も今日とて、狩りである。
俺達4頭を引き連れたポンは、ルンルンと楽しげに、茂みへと向かった。
俺達と別れたメスライオン達は、草原で獲物の選別を開始している。
ライオンが食料を得る方法は、狩りの一択だが、前世は4種類あった。
・植物から得る『採取』、『農耕』。
・動物から得る『狩猟』、『牧畜』。
採取と狩猟は自然から得て、農耕と牧畜は人が生産した。
前者は供給が安定せず、後者は安定供給された。
生憎と今世では、採取か狩りしかできない。
肉食動物のライオンは植物を食べないので、食事は狩りの一択だ。
――人間の家畜を襲えれば、牧畜の達成だけれど、マサイ警察がなぁ。
こちらの世界に、マサイ族のような集団が居るのかは、定かではない。
だが人間はクロサイを狩れていたので、ライオンも狩れるはずである。
それ故か、ライオン達は家畜ではなく、野生のスイギュウを狙っていた。
『さあ、入ってね』
ポンに指示された俺達4人は、トコトコと茂みの中に入っていった。
牧畜を導入できれば楽だが、ライオンでは人間のような文明を築けない。
文明を築けない最大の理由とは、ライオンが火を使わないことだ。
火を使わないと、食べ物を消化するために、ゴロゴロ寝なければならない。
ライオンは、食後に怠けているのではなく、生肉の消化を頑張っている。
つまり、狩りと食事の消化に時間が掛かりすぎて、文明を築く余暇が無い。
人間も、火の使用前は食事の消化に時間が掛かり、活動が限定的だった。
ライオンが文明を築くためには、『食べ物の加熱』が足りていない。
しかも、肉を加熱すると、ビタミン類が壊れてしまう。
雑食性の人間とは異なり、ビタミン摂取が可能な食物が限られる肉食動物のライオンには、生肉の加熱に対する導入のハードルが高い。
――食事の改革は、無理かな。
現状で困っていなければ、必要に迫られての進化は、起こらない。
サバンナではハイエナが厄介だが、ライオンは群れる対処法を身に付けたので、環境に適応できている。
進化には、哺乳類に胎盤を獲得させたレトロウイルスへの感染のような突然変異や、種族全体で生存が困難という生存環境の変化が、必要になる。
前者は奇跡的な確率で、後者は強者のライオンには難しい。
ライオンが牧畜や食べ物の加熱を始める姿は、当面見られそうにない。
『さあ、始まるよ!』
俺達が眺める視線の先には、スイギュウの群れに迫るメスライオン達が居た。
昨日は、最後尾のスイギュウ親子を狙っていた。
今日は、狙い易い仔牛が見当たらず、群れの真ん中に向かっている。
――スイギュウ親子の移動を遅らせていたハイエナ、便利だったな。
足止めをしていたハイエナは、ライオンの食べ残しというお零れを持ち帰った。
ハイエナの強靱な顎と胃は、腐った肉や、骨すらも噛み砕いて消化できる。
骨には骨髄が詰まっており、栄養源になる。ライオンが食べられない部分でも、ハイエナはちゃんと食べられる。
今日はハイエナの姿が見えず、メスライオン達はスイギュウへと向かっていく。
『隠れて行かないの?』
『あいつら、あまり逃げないから大丈夫』
『へぇぇ、そうなんだ』
スイギュウは、なぜライオンから逃げないのだろうか。
両者では、スイギュウのほうが足は遅いが、体力はライオンのほうが無い。ライオンが姿を現した段階で直ぐに逃げれば、スイギュウは逃げ切れる。
子ライオンが迫っても脅威を感じないのは、分からなくもない。
だがメスライオン4頭は、そこまで弱くない。
――どうして逃げないのかなぁ。
俺はスイギュウの心理について、あまり詳しくない。
だがスイギュウは、群れで活動しており、仲間を助けることもある。
ライオンが見えたからといって無様に逃げていると、オスはメスのスイギュウから幻滅されて、繁殖機会が遠のくのかもしれない。
子供を守る行動や、繁殖機会を得る行動などであれば、生存や繁殖に関わるので理解が及ぶ。
――逃げないなら、狩り易いな。
木登りライオンの地として有名なマニャラ湖国立公園では、ライオンの食事の6割以上をスイギュウが占める。
スイギュウが居るなら、ライオンに牧畜は必要ないのかもしれない。
管理しなくても育つので、天然の牧畜のようなものだ。
そんなスイギュウの群れに迫ったメスライオン達は、若い個体に狙いを定めた。
標的に定めたのは、親離れした若いスイギュウだ。
スイギュウは1歳半になると、親離れをして、親も守らなくなる。
2歳頃にはオスが生まれた群れから離れて、新たな群れでツノによる決闘を行い、勝った強い個体が繁殖の機会を得る。その部分では、ライオンに似ている。
スイギュウの性成熟は4歳頃で、それまでは親離れしても、まだ子供だ。
身体が小さくて、力も弱くて、経験も浅いので、成体よりも狩り易い。
『結構、小さいね』
『そうだね。狩り易くて良いね』
メスライオン達が狙ったのは、独立前の未熟な個体である。
得られる肉は少ないが、ポンは狩り易さから、大きさを肯定した。
『行ったぁ!』
ポンが喜ぶ視線の先では、メスライオン4頭が同時に駆け始めた。
まるで狙いが未定のように、それぞれが数頭のスイギュウを追う動きをする。
すると我が身が可愛いスイギュウ達は、反転して、一斉に逃げ始めた。
いかに体格で勝るとはいえ、至近距離で足や咽に噛み付かれたら傷を負う。
無駄なリスクを負わないのは野生下で生きる鉄則で、逃げるのは道理だ。
だが逃げ出す動きが、遅かった。
『おおっ、爪が届いた』
メスライオンの両前脚の爪が、子スイギュウの尻に突き立てられた。
「ウモオォォォッ」
子スイギュウは、ロデオのようにピョンピョンと跳ね飛んで逃げた。
だが子スイギュウでは、体格もジャンプ力も足りていなかった。
子スイギュウが跳ねた尻は、メスライオンの両前脚が爪を突き立てて、両後ろ脚をしっかりと地面に着かせられる程度の高さだった。
後ろ脚を地面に着けたメスライオンは、体勢を修正しながら獲物を押さえる。
その間に2頭が参戦して、子スイギュウの脚を、爪で引っ張った。
大人のライオンが全力で引っ張る力は、かなり強い。
足を引かれてバランスを崩した子スイギュウは、その場に倒れ込んだ。
――上手くて、早い。
爪を引っ掛けてから、倒すまで、僅か5秒ほどの出来事だった。
倒れた子スイギュウの背中に、3頭のメスライオンが爪を立てる。
仰向けにひっくり返されたスイギュウは、抑え込まれ、喉と口を噛まれた。
「モォォッォオォッ」
口を押さえられた子スイギュウは、くぐもった声を上げた。
だが2頭に喉と口を噛まれ、3頭目には後ろ足を噛まれて、逃げられない。
さらに4頭目が、子ライオン達と共に、ほかのスイギュウとの間で牽制している。
決着したように思われた。
『おにくっ!』
ポンが嬉しそうな声を上げて、俺達に行こうと催促した。
今回は木に登っていなかったリオ達が、茂みから出ていこうとする。
『待て、ハイエナだ』
俺が警戒の声を上げた先に、10頭を超えるハイエナの姿があった。
しかも巣穴と思わしき地面からは、続々と増援が現れていた。