12話 ポンの子守り
「ウナォーッ」
ギーアが、大きな声で元気に鳴いた。
サバンナで子ライオンが鳴けば、獲物に逃げられるし、天敵も呼び寄せる。
案の定、ギーアは母ライオンにペシッと叩かれて、よろけた。
――実に野性的な教育だ。
教育しないと狩りが出来ないし、群れの皆も危険になる。
これはライオンの社会通念上、認められるしつけの範疇であろう。
又従兄弟はシュンと尻尾を垂らしながら、群れの移動に付いてきた。
――完全に犬だな。
そういえば犬と猫の違いは、何だろうか。
両者の共通祖先は、5000万年前ほど前の小型捕食動物のミアキスだ。
ミアキスの体長は30センチメートルほどで、現代のイタチに近い姿だった。当時は、ヒアエノドンという犬ほどの大きさの上位捕食者が居たので、樹上で暮らしていた。
平原に出ていったミアキスが、イヌ型亜目。
森林に残ったミアキスが、ネコ型亜目。
イヌ亜目は、犬、熊、イタチ、アライグマ、アザラシ、アシカ、セイウチなど。
ネコ亜目は、猫、ジャコウネコ、マングース、ハイエナなどになった。
――外に出たイヌ科がアウトドア派で、引き籠もったネコ科がインドア派かな。
つまり尻尾を振るのは、アウトドア派の連中である。
我らネコ科は、易々となびいてはならない。
そんな風に妄想しながら、メスライオン達の後ろを付いていく。
すると俺達は、ナワバリの中にある草原に辿り着いた。
辿り着いた草原は青々として、水分を含んだ瑞々しい草地が広がっていた。
草食動物が喜びそうな大地で、案の定、遠方には無数の黒い点が動いている。
サバンナで黒い巨体の大集団といえば、アフリカスイギュウかヌーの群れだ。
今回の群れは、アフリカスイギュウだった。
「ガオォ」
母ライオンが、茂みのほうに行けと指示を出してきた。
言語で明確に命じたわけではないが、状況と仕草でも指示は理解できる。
俺とリオ達3頭は、狩りの邪魔にならないよう、トコトコと歩き出した。
すると子守役として、1歳上のポンも付いてきた。
――ポンを子守にして、大丈夫なのか。
ポンは、俺達4人を木の上に登らせて、降りられなくした姉である。
俺とリオは降りられたが、ギーアとミーナは降りられなくなって鳴いた。
そのため、見守りの母ライオンが介入して、降ろしてやっていた。
子育て中のメスライオンは、子供が1歳半になるまでは発情しない。
そのため1歳違いのポンと俺の母は、確実に別個体だ。
我が子ではないポンを見守り、適切にフォローする母ライオンは、育成上手だ。
そんな母ライオンが、子育てのヘルプを、ポンに任せることにしたらしい。
ポンは気合い十分だが、俺はポンで良いのだろうかと不安に駆られた。
ポンは『ゼークトの組織論』の大別で、4番目にあたるライオンである。
・ゼークトの組織論
利口で勤勉=参謀に適している。
利口で怠惰=指揮官に適している。
愚鈍で怠惰=命令を忠実に実行する兵卒に適している。
愚鈍で勤勉=さっさと軍隊から追い出せ。
ポンは、軍人にはあまり向いていない。
だが父ライオン達とメスライオン2頭がハーレムに旅立った今、大人達は狩りの人材不足ならぬ猫材不足に陥っている。
ほかの兄姉は、狩りに付いて行きたがっており、この流れは確定的だ。
俺はポン軍曹に怒られる前に、ギーア達を追って、しぶしぶと歩き出した。
俺達が向かうのは、ポンが好むアカシアの木だ。
ハイエナが登って来られない場所は、避難場所として優良である。
「ガォッ」
俺達と別れたメスライオン達は、姿勢を低くしながら、獲物に近付いていった。
スイギュウは、1000頭以上の群れを作ることもある。
今回は100頭以上200頭未満だが、俺達に比べて遥かに大きな規模だ。
メスライオン達は、もちろん正面から直進はしなかった。
群れの後ろに回り込み、移動が遅れているスイギュウに向かった。
木の上から見えた群れの最後尾は、親子のスイギュウだった。
――生まれたばかりなのかな。
スイギュウには、決まった繁殖期は無い。
10ヵ月の妊娠期間を経て、1頭を出産し、半年から9ヵ月ほど哺乳する。
出生時の体重は、30から40キログラムほど。
狙ったスイギュウは、近くに1頭だけいるブチハイエナよりも小さかった。
俺では勝てないが、ブチハイエナと同程度の大きさのポンなら勝てる。
肉食動物と草食動物が同じ大きさであれば、肉食動物が負けるはずがない。
そして仔牛でも、ハーレムに旅立った4頭を除く俺達の1日分の糧にはなる。
『お肉だぁ!』
俺の隣に居るポンが、スイギュウを見て嬉しそうに鳴いた。
『あれって、美味しい?』
『凄く、美味しいよぉ』
『食べてみようかなぁ』
『良いねぇ、食べなよ』
ワイルドな笑みを浮かべた肉食系の姉は、俺に離乳食を勧めてきた。
ライオンは肉を食べ始めると、一気に大きくなっていく。
成長期だからか、タンパク質や亜鉛の摂取量が増えるからだろう。
まだ少し早い気もするが、積極的に食べたほうが良いのかもしれない。
仔牛は、肉質が柔らかくて、子ライオンでも食べ易いだろう。
唯一の懸念は、早く大きくなると、その分だけ早く追い出されるかもしれないことだ。
――父ライオンとの喧嘩を避ければ、時期を遅らせられるかな。
前向きに検討する俺の視線の先で、メスライオン達がスイギュウ親子に迫った。
スイギュウ親子は、纏わり付くハイエナのせいで、群れから遅れていた。
スイギュウの親が追い払おうとするが、ハイエナはしつこい。
狙いを定めたメスライオン4頭は、ハイエナを威圧で追い出す。
そして前後から、スイギュウの親子を包囲した。
『ほら、行くよ』
ポンが宣言した直後、メスライオンたちが動いた。
前の1頭が親スイギュウの注意を逸らした隙に、後ろの1頭が子供のスイギュウを倒した。
一瞬で倒し、気付いた親スイギュウが戻ってくる前に飛び退いて逃げる。
そして反転した親スイギュウの背中に、別のメスライオンが爪を掛けた。
背中を攻撃された親スイギュウは、堪らず仰け反る。
さらに2頭が乱入して、親子のスイギュウに1頭ずつ襲い掛かった。
『楽しそうだねっ』
ポンのワクワクとした高揚感が、呻り声から伝わってきた。
そして子供のスイギュウの咽が、ついにメスライオンに噛み付かれた。
親子のスイギュウの間には、メスライオンが2頭も居る。
残る1頭のメスライオンは、先行していたスイギュウの群れへの牽制役だ。
間にライオンが1頭居れば、どうしても仲間の下に駆け付けるのが遅くなる。
両陣営が睨み合う間、息が出来ない子スイギュウは、動かなくなっていく。
『決着っ!』
ポンが楽しそうに宣言したのは、メスライオンの1頭が囓り始めた時だ。
獲物が抵抗しているのなら、メスライオンは咽を噛み続ける。
食べ始めたのは、獲物の意識が完全に無くなったということだ。
スイギュウ達は、ライオンを追い払っても仲間を連れて行けない。こうなるとスイギュウ達は、仲間の救出を諦めて去ってくれる。
『さあ、いくよ!』
キャッキャッとはしゃぎながら、ポンは木を飛び降りた。
そして俺達に振り返り、早く来いと態度で促してくる。
『はーい』
返事をした俺は、木の幹に爪を引っ掛けながら、ゆっくりと降りた。
そして気付く。
――この木、前に登った木くらい傾斜がきつくないか。
つまりギーアとミーナは、自力で降りられない。
子守を任されたポンは、ちゃんと頑張って、2頭を降ろした。
だが俺達が到着した時、仔牛の肉は、既に大半が食べられていたのであった。