11話 アンポンタン
「ウニャッ」「ミイィッ」
俺が寝転んでいると、ギーアとミーナが襲来してきた。
俺は身体を反らして突撃を躱し、足を引っ掛けて、ギーアの身体を押してやった。
イメージは、柔道の足かけだ。
「ウナァッ」
足が引っ掛かったギーアはゴロンと転がって、ポテッとうつぶせになった。
何が起きたのか分からないギーアは、キョトンとした表情を浮かべている。
その様は、スペインの牛追い祭りで街角を曲がり切れずに転んだ牛である。
「ウミィッ」
立て続けで来たミーナも、やはり足を引っ掛けられて、コテンと転がった。
そちらは部屋で立ち上がり、コテンと転んだ乳児の様であろうか。
『あー、よしよし』
ミーナを舐めてやると、ギーアが自分も構えと、再び突撃してきた。
ギーアの突撃をひっくり返して遊んでやり、真似をして向かってきたミーナもひっくり返す。それと同時に、幼獣同士の力試しも行った。
――俺の3割は、リオの4割、ギーアの5割、ミーナの6割と釣り合うな。
ギーアとミーナが完璧に連携すれば、俺に勝てる気もする。
片方が注意を惹き付ける間に、もう片方が後ろから噛む挟み撃ちだ。
群れる肉食獣には定番の戦法で、ハイエナやリカオンもよく行う。
だがギーアが突っ走り、ミーナが後から来るので、まったく出来ていない。
――そういうのも含めて、遊びで学ぶんだろうな。
二人を軽くあしらった俺は、兄の威厳を示した。
これにて同世代での序列は、定まった次第だ。
そう思っていたところで、いきなり背後から押された。
「ガッオッ」
奇襲攻撃を行ったのは姉で、アンポンタン3姉妹の次女ポンであった。
俺の5倍もの体重には流石に耐えられず、俺はドテンと座り込んだ。
すると母ライオンが、座った俺とポンを薄目で観察した。
母ライオンの様子を窺ったポンは、俺と顔を擦り合わせて、親愛を示した。
『はーい、こっちに来てね』
ポンは顔で俺を押し出して、どこかに連れて行こうとする。
――ポンに付いていって、大丈夫かなぁ。
俺は不安に駆られたが、結局は付いていくことにした。
先ほどはビスタから、ライオンの食あたりに有用な薬草を学んだ。
兄姉から色々なことを教わるのは、人間もライオンも変わらない。
ポンが何かを教えてくれることを期待した俺は、トテトテと後を追った。
すると俺の後ろに、ギーアとミーナも付いてくる。それを見ていたリオも付いてきて、母ライオンまで一緒に付いてきた。
「ガオッ、ガオッ」
ポンはルンルンと楽しげに、サバンナの草地を歩いて行く。
しばらく歩くと、やがて立派なアカシアらしき木が生えていた。
アカシア・ニロティカは、4から15メートルのマメ科の常緑低木だ。
3500年前のエジプト王朝で、薬として使われていた歴史もある。
1世紀にギリシャ人で医師・薬理学者・植物学者のペダニウス・ディオスコリデスが『akakia』と記述しており、その頃にはアカシアに近い発音で呼ばれていた。
論文にアカシアと書かれた初出は、1754年。
スコットランドの植物学者フィリップ・ミラーが、アフリカとアメリカのアカシアを『Acacia』と記述している。
だがアカシア……アフリカ原産の『アカシア・ニロティカ』という木は、国際植物学会議で『ヴァケリア・ニロティカ』という名前に変えられてしまった。
その理由は、オーストラリアがゴネたためだ。
1788年、イギリス人がオーストラリアに入植した。
その際、オーストラリアに生えていた1000種の木も、アカシアと呼ばれるようになった。
1986年、オーストラリアの植物学者レスリー・ペドリーによって、アカシア属と呼ばれる1352種は、3属に分かれると発表された。
ペドリーは、アカシアが、アカシア属161種、セネガリア属231種、ラコスペルマ属960種に分けられると提案した。
オーストラリアにあるアカシアは、ラコスペルマ属であった。
だがアカシアは、オーストラリアの国花でシンボルだ。
そのためオーストラリアは、「オーストラリアの木は、ラコスペルマ属ではなく、アカシア属だ!」と、国際植物学会議に主張して、押し通した。
時系列で考えれば、アフリカのアカシアが先に命名されている。
国花やシンボルだという主張は、科学的根拠に基づく分類ではない。
先に発表されたのに、真似した人間が「俺のほうが人気だから俺のもの」と言っただけである。
だが2011年に開催された第18回国際植物学会議において、「アフリカのアカシアは、ヴァケリアと呼ぶ」と決定されてしまった。
もちろんアフリカ諸国は改名を認めておらず、今でもヴァケリアをアカシアと呼んでいる。
――アフリカのアカシアが、アカシアだな。
それらの経緯から、俺も元々のアカシアをアカシアと呼んでいる。
そんなアカシアの木の上に、アンとタンの姉妹が登っていた。
身体が重いオスライオンは木登りが苦手で、メスライオンと子ライオンが木に登るとされる。
だが俺は、怒らせたスイギュウの群れから逃れるために、アカシアの木に登ったオスライオンの映像も見たことがある。
木には様々な種類があって、低くて垂直ではないアカシアは、登り易いほうだ。
ライオンを大きな猫だと思えば、オスでも不可能ではないのだろう。
「ガオォッ」
俺達を引き連れてきたポンが、アカシアの木に飛び掛かった。
跳躍して、木の幹に爪を掛け、身体を引き上げながら瞬く間に駆け上がる。
このように爪を立てられるのが、ネコ科とイヌ科との違いだ。
軽やかに駆け上がったポンは、アカシアの太い枝に身体を預け、もたれ掛かる。
低木はどっしりとしており、アンポンタンが乗っても、小揺るぎもしない。
アカシアの木はキャットタワーのように、ライオン3姉妹に占拠された。
「ウミャァ」
姉たちの勇姿に感心したリオが、木の周りをグルグルと回った。
そしてピョンと幹に飛び掛かり、四肢の爪を引っ掛けて、ゆっくりと登っていく。
俺達が感心して見上げる中、リオは見事にアカシアの枝まで登っていった。
上に居た姉達は褒めるように、リオの頭に頭をぶつけ、身体を舐めた。
巨大な姉達の攻勢を受けたリオは、木から落ちないように必死に枝にしがみつく。
――俺も登ってみるか。
木登りは、生存に有利となる技能だ。
ヒョウは敵が来られない木の上で安全を確保し、食事を行い、獲物を探せる。
ヒョウほど高い木には登れないライオンでも、スイギュウから逃れることが出来るので、覚えて損はない。
ポンとリオが木を登る姿は、しっかりと観察している。
猫のようにジャンプして飛び付いて、四肢の爪を木に引っ掛けて登っていくのが、ライオンの木登りのコツだ。
木の根元から上を見上げた俺は、猫ジャンプを放った。
『ぬおりゃっ!』
C+という俺の身体が、強い風を感じた。
タイミングを合わせて木に四肢を引っ掛けた俺は、そのままガリガリと駆け上がった。
途中で勢いを緩めてはいけない。
一気に駆け上がった俺は、上に辿り着いて、枝にもたれかかった。
――ふぁぁ、上がれた。
姉達は、よくやったと言わんばかりに、俺のことも舐めてきた。
するとギーアとミーナも、アカシアの木に飛び付いていった。
「ウニャ」「ミイ」
2頭は必死に鳴きながら、アカシアの木を登ってくる。
登る速度は、俺やリオに比べると、おそらく遅い。
それでも枝を足場にしながら、しっかりと上のほうに登ってきた。
――流石、ネコ科。
俺を舐めていた姉達は、ギーアとミーナのほうに移動して褒め始めた。
攻勢を受けた2頭は、木から落ちないように、必死に枝にしがみつく。
その辺りの匙加減は下手だと思いつつも、俺は姉達の指導に感心した。
この時の俺は、まだアンポンタンの抜けた部分に気付かなかった。
姉達は、体重60キログラムの大人。
俺達は、体重12キログラムの幼児。
木に登って降りられなくなった猫の動画は、前世でも見たことがある。
子ライオン達の鳴き声が響くのに、それほど時間は掛からなかった。