10話 ビスタと薬草
クロサイが骨になった翌日。
父達とメスライオン2頭が、それぞれハーレムへと旅立っていった。
――食料が充分にあると、子作りを始めるわけか。
自己保存、次いで繁殖。
それらは生物として、実に真っ当な行動である。
そんな大人ライオン達の行動において、俺が強く関心を引かれたのは、オスとメスがカップル同士で別々に旅立ったことだ。
複数のカップルが両立するのは、よく考えれば当然のことだ。
1頭のオスにメスが集中すると、ハブられたオスには群れるメリットが無くなるので、オス同士で群れなくなる。
そしてオスが1頭しか居なければ、ほかのオスに対する抑止効果が薄くなって、襲われ易くなる。
――俺だって3頭には挑みたくないけど、1頭ならチャンスと思うだろうな。
オスの交代時には、残っていた子ライオンが殺される。
オスの交代が頻繁だと、子ライオンが殺されすぎて、安定して子孫を残せない。
さらにオスライオン1頭だけでは、子供が育っても父ライオンしか居ないので、娘が出ていく。すると群れは、次代にナワバリを継承できなくなる。
複数のオスが一緒に行動できるように、複数のオスが繁殖機会を得られるのは、むしろ当然だ。
ライオンは、かなり社会的な生き物であるらしい。
かくして父ライオン達2頭は、メスライオン2頭とハーレムに旅立った。
残っている4頭は、俺の母ライオンと、1歳の兄姉の母ライオン達だ。
子育て中のライオンは、発情しないのである。
今は木陰で休んだり、子ライオンにミルクを与えたりして、のんびりしている。
ミルクを飲み、空間収納で確保した俺も、茂みにゴロゴロと転がった。
「ウニャオッ」
サバンナの風は、とても心地良い。
現代社会に疲れた日本人が夢に見る、スローライフの実現である。
文明から離れて、大自然の中で、のんびりと暮らせているのだ。
――羨ましいだろう。君も、ライオンにならないか!
意図せずライオンになってしまった俺は、さしあたり道連れを求めた。
身体能力をC+に上げて、土と光の魔法を取れば、ライオン転生は叶う。
のんびりと寝転がる俺は、横で転がるリオに声を掛けた。
『リオ、元気か?』
『んー、元気』
『それは良かった』
このようにライオン生活は、モフモフの動物達に囲まれるのだ。
さらに俺は、モフモフの又従兄妹を前脚で触った。
『お前、モフモフだなぁ』
『そっちも、モフモフでしょ』
リオは反撃とばかりに、前脚でペシペシと叩き返してきた。
だがミルクを飲んだ子ライオンの猫パンチは、穏やかであった。
ちゃんと爪をしまっているのが、手加減している証拠だ。
わりと本気になった時は、前脚から爪が出てくる。
具体的には、狩りごっこや、追いかけっこの時だ。
最近の俺達は、よく身体を動かす。
そして母ライオンも、体格差が大きい兄姉が俺達に構う時とは異なり、あまり介入して来ない。
これが成長に必要だと、母ライオンも本能的に分かっているのだろう。
ペシペシと叩いていたリオは、やがて興が乗ってきたのか、俺を獲物のようにガシッと捕まえた。
『ガゼルッ』
俺は捕らえられたガゼルのように引き寄せられて、リオに押さえ付けられる。
すると俺のほうも、ライオンの本能が発動する。
素早く身をくねらせて攻撃から逃れた俺は、逆にリオを捕まえた。
『シマウマッ』
『インパラッ』
モフモフ合戦の勃発である。
体重12キログラムほどの子ライオンが、上下を入れ替えながら転がった。
これは人間の2歳児くらいが、じゃれているようなものだ。
メスライオン達は薄目で確認した後、目を瞑った。
勝手にやっていろということである。
『シマァ、ウマァ』
『イィン、パラッ』
しばらく狩りごっこに興じた俺達は、やがて引き分けで戦いを終えた。
もちろん俺達は、手加減してやっている。
感覚的に俺が3割、リオが4割の力を出したといったところだ。
お互いの力を知って、序列を決めるのは、群れで暮らす動物にとって大切だ。
俺は、又従兄妹という兄が上の立場を保ち、弟への陥落は免れた。
『勝った』
『むうっ』
ライオン生活、どうだろうか。
もしも他所の転生者が望むのであれば、身体能力をE+にした人間と、C+まで上げた俺の生涯を交換してあげなくもない。
そんな風に初期は思ったりもしたが、最近の俺は馴染んできている。
生物の環境適応能力の高さには、恐れるばかりだ。
もっとも、転生時に聞いた『恐竜時代』に比べれば、マシだと思ったからかもしれないが。
古生代は、5億4100万年前から2億5100万年前。
中生代は、2億5000万年前から6550万年前。
新生代は、6550万年前から現代まで。
260万人の作者と読者の大半は、俺が希望した「楽に天寿を全うできる」ではない時代に転生したのであろう。
恐竜時代であれば、「従兄弟、何それ喰えるの」だ。
前世で世界最大の爬虫類であったコモドオオトカゲは、共食いをする生き物だと知られる。幼体は、成体に食べられないように木の上で過ごす生態を持つ。
その時代に恐竜として生まれたら、リオのライオンパンチは、ドラゴンガブリに変わる。
ミーナは既に食べられていて、ギーアの足も1本くらいは無かったはずだ。
楽とは主観であり、相対的なものである。
恐竜時代に比べれば、俺の生活は、確実に楽なはずである。
――希望とは、何か違うような気がしなくもないけど。
多分やらかした俺だが、スタートダッシュは、上手く出来たと思っている。
母ライオンの治療と穴掘りで、成長期に魔法も使いまくれた。
魔力自体が上がるのかは知らないが、穴掘り魔法のテクニックは上がった。
人間は、3歳までに脳の発達が殆ど完了して、免疫細胞も獲得される。18歳で大人とすれば、最初の6分の1で決まるわけだ。
ライオンが3歳で大人とすれば、6分の1にあたる生後半年までが重要な成長期になる。
今は生後2ヵ月半で、まだまだ伸びる時期だ。
そんな風に思っていたところ、茂みのほうから呻り声が聞こえてきた。
「ウガァアァ、ウガァァ、ウガアァ」
呻り声を上げているのは、2歳の姉ビスタである。
危機を伝えるものではなく、呻いているといった感じだ。
どうやら昨日のクロサイで、腹の調子がおかしくなったらしい。
あまり良くない肉を、食べ過ぎたのであろう。
子ライオンの俺はコテンと転がりながら、ゾンビのように呻くビスタを眺めた。
大人は、消化力が高い。
エムイーは食べるよりも、大人のライオンに対して、狩りの成果を誇っていた。
アンポンタンは、肉の争奪戦に負けて、あまり多くは食べていない。
ビスタだけが呻いているのは、分からなくもない。
『ビスタが呻ってるけど』
『草、食べれば?』
『草って?』
『薬草、生えてる』
メスライオンの鳴き声が聞こえたのだろうか。
ビスタは茂みから薬草を探して、モサモサと食んだ。
――そういえば、猫も草を食べるよな
俺は姉の背中に猫の姿を重ねながら、ミルクで咽を潤したのだった。