【3】
「今までありがとう、駿。……ごめんね」
電車に乗って辿り着いた港で、二人並んで停泊している客船を眺めながら実佑里は唐突に口にした。
海水浴場ではない、浜でさえない。実佑里がそれでいいから、と連れ立ってやって来た港。
彼に目を向けることもせず、前を見たままで。顔を見たら、目を合わせたら、泣いてしまいそうだった。
「実佑里? 何、言って──」
「もういいの。あたしのこと好きじゃなくても、一緒にいられて嬉しかった」
──あの告白は何だったのよ。本当に誰でも良かった? それとも清佳に、「実佑里がいいよ」とでもおススメされたの?
今更そんなことが気に掛かる。
けれど、訊けるわけもない。「とりあえず誰かと付き合ってみたかっただけ、お前じゃなくても」などと、駿の口から聞きたくはなかった。それが事実だとしても。
駿が好きなのは実佑里ではなかった。
それは少し哀しい、けれど駿は文句のつけようなどない実佑里の「夏の恋人」だった。夏、限定の。
高校生になって初めて迎えた夏休み。駿も「彼女」という存在を手に入れるだけで良かったということなのか。
それが実佑里だったのは、きっと幸運だったのだと思う。
理由など何でも良かった。この夏、実佑里は幸せだった。それだけが真実なのだ。
結局、夏休みの半分以上は複雑な気持ちで過ごしたことになる。それでも実佑里は、「最初から何もない方が良かった」とは考えていないのだ。今も。
「なあ、実佑里が何言ってんのかわかんねえよ! どうしたんだ? もしかして誰かになんか言われたのか?」
「清佳、に?」
恐るおそる口にした実佑里に、駿は虚を突かれたような表情を見せる。
「? 清佳って嘉納さんだよな? 彼女は知ってるから──」
「やっぱりそうなんだ。清佳に『実佑里なら行ける』とか言われたの? でもあの子ならバラしたりしないって信じてるって!?」
駿が言い掛けるのを遮って、実佑里は言葉を被せた。
「いや、待てって! 実佑里、なんか勘違いしてないか?」
「勘違いって何よ。なんで誤魔化すの? 清佳に告白して振られたからあたしなんでしょ!?」
冷静なつもりだったのに、はぐらかそうとする駿に一気に頭に血が上った気がして声が荒くなる。
「あのさ、まず前提が違ってんだけど。俺は最初から実佑里を呼び出したんだよ。靴箱に『教室来て』って紙入れて。……今思えばそれが間違いだったんだよなあ。というか、せめて『金澤さんへ』って書けばよかったのか」
「え、あたしそんなの知らない。それに手紙は清佳がもらったんでしょ?」
思い掛けない彼の台詞に、実佑里は混乱してしどろもどろになってしまった。
「だからさ、間中がふざけたことやらかしたんだよ! 俺が実佑里に渡すはずのメモ、下の嘉納さんの靴箱に移しやがった! それで俺、教室来た嘉納さんにあたふたして『金澤さんは?』って言っちゃったから『これ、実佑里宛てなんだ』って。呼んで来てやるってすぐ出てったよ」
「なんでそんな……」
駿の真剣な様子に嘘だとは感じなかった。しかし、だからこそ余計に意味がわからない。
「彼女に振られて、俺の告白も失敗すればいいと思った、ごめん、て。ただの呼び出しメモだってのはすぐわかるし、ややこしいことにはならないって考えたんだってよ」
デート中に会って「こいつの仕業だ!」ってわかったんで、帰って電話したんだ、と駿が忌々しそうに続けた。
──いや、なってるよ。ややこしいことに! 間中くんが余計なことしなければ、あたしがこんなに思い悩むことなかったんじゃん!
実佑里の内心が透けて見えたのか、駿が眉を下げて話し始めた。
「俺、実佑里が知ってるなんて思わなかったから。悪かったよ。それで悩んでたのか? 俺は嘉納さんが好きだから、休み終わったら俺達の関係も終わりにしようって?」
「いや、……うん、まあ──」
改めて駿の口から聞かされると、実佑里は己の考えのなさを見せつけられた気がした。これではまるきり一人相撲ではないか。
けれどどうしても駿には訊けなかったのだ。夏の間はすべて知らない振りをして、良い関係でいたかった。
「夏休みずっと一緒にいてさあ、俺の気持ち伝わってなかった? そんなくだらねえやつだと思われてたのか?」
内容とは裏腹に、駿の声は落ち着いてまったく怒りなど感じさせない。
逆の立場なら、実佑里は同じようにはできない気がした。
そう、おそらくは「あたしのこと信じてないんだ、そんな人間だと思ってたんだ」と怒りをぶつけてしまったのではないか。
「ご、めんなさい……」
他に言葉がなかった。言い訳などしたくはないし、する気にもならない。
「いつ知ったのかわかんないけど、その後もふつーに楽しそうにしてたのは、実佑里も俺のこと好きだったからだろ? でなきゃそこでバイバイだよな?」
「好き、だよ。駿があたしのこと好きじゃなくてもいいと思うくらい好きなんだ。だから──」
馬鹿にされた、舐められた、とは考えても、それなら別れようとは考えなかった。
──そうよ、駿が好きだから。理由なんてなんでも、ただ「恋人同士」でいられるのが大事だった。
「じゃあこれでいいか? 俺たちの、ちょっとだけズレてた『夏』はもう終わり! ここからは『秋の二人』が始まるんだよ。……『夏』はまた来年やり直そう。海もさ、泳げるとこ行こうか」
すべて断ち切るように、駿が故意に明るい声で宣言するのを実佑里は黙って聞いている。
すぐ横に立つ駿の笑顔が涙の膜の向こうに霞んでいた。きちんと笑えているのだろうか、と無理は承知で思い巡らせる。
こちらを見たまま、彼の手が実佑里の肩を抱いた。まだ暑いというのに、じんわりと伝わる熱が少しも煩わしくないのは何故だろう。
──あたしの期間限定だった夏は、いま終わりを迎えたんだ。
~END~




