【2】
「実佑里、小柳くんが呼んでたよ。教室来てって」
一か月と少し前の終業式だった。
帰ろうと昇降口で靴箱のローファーに手を掛けたところで、同じクラスの清佳に呼び止められたのだ。
「教室? うちの?」
「そう。早く行ったら?」
意味ありげな笑みを受けべる彼女。いったい何なのだろう?
清佳は群を抜く容姿で、まさしく「美少女」を絵に描いたような存在だった。男子にはもちろん、明るく裏表のない性格で女子にも普通に好かれている。フィクションの世界のような人気者。
そのため、悪い意味だとは思えなかった。それでも実佑里は多少の気がかりを覚えた。
小柳は駿の姓だ。
実佑里は彼が好きだった。ただ、今思い返せば単に片想いしている乙女な自分を愛でるかのような、ファッション程度のものだった気もする。
見た目もそれなり以上に恰好良く、クールな印象に反して意外と優しい彼に話し掛けられると、それだけで胸が高鳴った。
この高揚がきっと「恋」というものだ、とまるで自分に暗示を掛けていたような、淡い想い。
半信半疑で教室に向かった実佑里を待っていたのは、彼の告白だった。
「俺、金澤さんが好きなんだ。もしよかったら付き合ってくれないか?」
今も一言一句、実佑里の脳裏に焼き付いている。少し緊張したような、いつもとは違う駿の声音もすぐに思い出せる。
実佑里にとって初めての告白は、一生忘れられないほどの強い衝撃で心に刻みつけられていた。
翌日からの夏休み、二人は一日おきには会っていた。
名前も最初の日に「駿」「実佑里」と呼び合おう、と決めたのだ。
◇ ◇ ◇
「え? お前、金澤さんと付き合ってんの? いやマジ!?」
「なんだよ、それ。どういう意味だっての」
夏休みに入って、……つまり二人が付き合いだして半月が経った頃だった。
やはり約束してこの街で会い、「暑いからどっか入ろう」と話しつつ店に向かう途中で偶然に出会ったクラスメイトの男子の驚き顔。
「え〜。だってさ、嘉納さんにィ」
「おい! 間中、お前──!」
嘉納、……清佳がいったい何だというのか。
よくわからないことで揉めているらしい二人を、一歩離れて眺めながら実佑里は考えを巡らせた。
実は少し変だとは思っていたのだ。
何故なら駿と清佳は、特別仲良くなどなかったと実佑里は認識していたからだ。
あのとき、清佳はどうして駿が実佑里を呼んでいることを知ったというのだろう。
『小柳くんて──』
ふいに友人の声が頭に過った。どうして今……。いや、今だから、か。
「行こう、実佑里!」
間中を振り払ったらしい彼が、ぼんやりとしていた実佑里の腕を引いた。
けれど実佑里は、その日に何を話したのかもよく覚えていない。結局はハンバーガーだけ食べてそのまま解散したのだった。
実佑里が上の空だったため、駿が「夏バテか?」と気遣ってくれていたのはもちろん忘れてはいない。
家に帰るなり、実佑里はクラスで一番仲の良い友人にメッセージを送った。
中学から今もずっと一緒の奈緒に。
《奈緒、あの話ちゃんと聞きたい。彼と清佳の。》
駿と付き合うことになって、彼女にだけは打ち明けていた。
夏休みに入ってしまい、他の友人とは会う機会もなかった。
当たり障りのないメッセージ交換程度ならともかく、電話をしたり一緒に遊んだりしてプライベートに関わる話をするのは奈緒くらいのものだ。
あの、話。
《小柳くんに告白されちゃった〜(*'▽') 付き合うことにしたの〜。》
初めてできた恋人が嬉しくてその日のうちに浮かれたメッセージを送った実佑里に、奈緒はすぐに電話を掛けて来た。
『実佑里、あの。小柳くんて、えっと、清佳……』
いやに歯切れの悪い友人の口調に、頭に疑問符が躍った。
清佳が好きだという相手は確か他校の、しかも上級生ではなかったか。
あれほど美人で性格も良く、完璧に見えるような子でも片想いなどするのか、と衝撃を受けたのを覚えている。
「なに? 小柳くんが何なの? 清佳がどうかした!?」
問い返した実佑里に、彼女は口籠った。
『あ、……私の気のせい、かも。なんか余計なこと言っちゃってごめん』
「……? そう?」
焦ったように謝る彼女に、実佑里はそれ以上何も訊かなかった。とにかく舞い上がっていて、たいして気にもならなかったのだ。
──ううん、きっと違う。気にしないふりしたんだ。だから今もずっと、心のどっかに引っかかってた。
《今から会える? 直接の方がいいと思う。》
手に持ったままだったスマートフォンが震え、ディスプレイに奈緒の返信が浮かぶ。
何度かメッセージを交わし、二人は互いの家から近いファストフード店に向かうことにした。
「あの、こんなこと言っていいのかわかんなくて……。でも実佑里には黙ってちゃダメなんじゃないか、って」
落ち合った馴染みの店で、昼食は済ませていたこともありドリンクだけ買って席につく。
言いにくそうに前置きする奈緒に、実佑里は「教えて」と改めて頼んだ。
「あの日、……終業式の日、よね? 実佑里が小柳くんに告白されたのって」
「うん」
慎重に、何か探るように切り出す彼女に、自然身構えてしまう。
「私、さあ。ホームルームのあと、とりあえず部室行ったんだけど教室戻ったのよ。忘れ物ないか気になっちゃって」
終業式後のホームルーム。
いよいよ夏休み、ということでみな浮足立っていて、終わるなり蜘蛛の子を散らすかのように教室内は見る間に人口密度が下がった。
実佑里も気が逸っていたため、駿が残っていたかどうかなどまったく記憶にない。
教室を出た後、一応部室に顔を出したのは夏休み中の予定を確認するためだった。
所属する美術部は厳しいとは対極で、普段の活動も週一度のみ。
休み中は自由参加だと言い渡されてはいたものの、一年生が真に受けていいものか判断できずにいた。
部室に居合わせた上級生は「ホントに自由なの。去年、私もお圭と二人で一回だけ来たけど誰もいなかったもん。まあクーラー効いてるから、涼みにだけ来てもいいよ〜」と笑ってくれて、さすがに安心できた。
では帰ろうか、と靴を履き替える手前で清佳に声を掛けられたのだった。
時間が合えば一緒に登下校していた奈緒は、部活のミーティングで残ると知っていたから最初から一人で帰るつもりでいた。
「で、さ。──階段降りて廊下に出たとこで、清佳が教室入るの見えたの。その時は何も考えなかったんだけど……」
「だけど何かあった、ってこと?」
奈緒の話に思わず訊き返し、口の中がカラカラに乾いているのに気づく。
実佑里はテーブルのトレイからカップを取って、ストローでドリンクを吸い上げた。
「……後ろのドア開けようとしたときに、清佳が『小柳くん。何、このメモ』って。『靴箱にお呼び出しの手紙なんて古風すぎるんじゃない?』なんて言ってるのが聞こえて──。わけわかんなくなってそのまま走って逃げちゃったから、それからのことは知らないんだけど」
言いたいこと、訊きたいことはあるのに、声が、出ない。
駿が好きで告白したかった、……実際にしたのは清佳だったということか。しかし彼女には断られ、それで実佑里に?
いったいどうすればそんな流れになるのか意味不明だ。
清佳が悪戯心でも起こしたのか。彼女は実佑里が駿を想っていたのもきっと知っていた、はずだ。
しかし、「自分は無理だけど実佑里ならOKしてくれるよ」などと言うだろうか。
あの表情は実佑里を嘲笑って、同情、していたとでも? 清佳が断った男の告白を、実佑里なら喜ぶんでしょ、と……?
いや。もし実佑里の名前を出したのだとしても、清佳は好意のつもりだったのではないのか。今も実佑里は、彼女がそんな意地悪するなどとは思えないのだ。
けれど駿は。清佳が無理なら誰でもよかったのか。
適当に「彼女」が欲しかっただけだとすれば、確かに実佑里はちょうどいいだろう。
そこまで思い至っても、駿に腹は立たなかった。
実佑里は変わらず彼が好きだったからだ。
二週間、一緒に過ごしてただ楽しかった。彼が実佑里に特別な感情など持っていないとしても、会っている時は本当に優しく素敵な彼氏でいてくれた。
それでもよかった。好きな相手と「恋人ごっこ」ができるだけでも。夏休みの間、だけでも。
休みが明けたら学校が始まる。実佑里と駿のクラスには清佳もいる。いざ二人が並んだら、きっと駿も気づくはずだ。
所詮、実佑里は紛い物だと。
実佑里は自分が、綺麗、可愛いと評される方だと自負していた。
もちろん表に出すことはあり得ない。面と向かって褒められれば、条件反射の如く否定して謙遜してみせるけれど。
しかし清佳とでは勝負にすらならないのもまた、わかっている。彼女はもう次元が違う存在なのだ。美貌に限らず、美点について一切鼻にかけない人間性まで含めて。
すぐ傍に本物がいるのに、どうして実佑里といるのだろう、と駿が我に返っても無理はない。
だからその前に終わらせないといけなかった。駿のためなどではなく、実佑里自身のために。「やっぱりお前じゃなかった」と突き付けられる前に。
それでも夏の間は、駿は実佑里の恋人なのだ。限られた時間だからこそ、あともう一か月もない「ふたりの夏」を後悔のないように味わいたい。
そう考えて、見たくないことには目を瞑って、いやなことは全部頭から、心から追い出して。
駿と、二人の時間のことだけ考えていた。今日まで、ずっと。
実佑里は駿が好き、だった。いや、そうではなく。
──今も、すごく、好き。




