幕間 銭湯にて4
一服、二服と無言のまま時だけが流れる。パイプに比べ紙巻煙草は吸える時間が短いためすぐに至福の時間を終えた戸事は、口の中に残った香りを流し込むように缶ビールを煽る。
「ふう……ねぇ、ちなみにどうやって作ってるの?」
「うーん、企業秘密なんですけど、まずは洞窟ダンジョンに生えてる苔を集めて三時間蒸すんです。それでから十分に乾燥させた後細かく刻んで、その時なるべく苔の芯は抜くようにして、後はフレーバーですね」
「それは手間かかってるわね。フレーバーは何? 果物とか?」
「いえ、モンスターの体液ですね」
それを聞いて吹き出さなかっただけ褒められるべきである、それでも盛大にむせ込んで、涙目になりながら戸事は舞を睨みつけていた。
「は? ちょ、えっ……何使ってんのよ!」
その苦情混じりの問い詰めは正しい、モンスター食は未だに安全かどうか不明であり、ただはっきりと分かっているのは冒涜的にまずいということである。それを煙にして肺に入れるなど、そもそも発想からしてイカれてる。
しかしその製法も舞が独学で得たものでは無く、山ゴブリンから継承されたものだった。だから狂っているとしたらモンスターのほうで、モンスターだから仕方ないとすれば誰が悪いということもなく、異文化コミュニケーションのひとつと考えれば……納得出来る者は少ないだろうが嫌なら吸わなければいいだけと舞なら一蹴することだろう。
「マンションなんですからあんまり騒がないでくださいよ。それにそんなに変な話でもないでしょう、モンスター食べるのとたいして変わりませんしすっぽんの生き血を飲むようなものだと思えば」
「珍味と一緒にしない……本当に安全なのよね?」
「今のは大丈夫です。ちょっと夜目が効くようになるくらいなので」
「……なんで?」
舞がひとつ答える事にひとつふたつと疑問が生まれていくため戸事の質問が終わらない。
「蝙蝠の血とスライム、化け猫の白子を混ぜたらそうなりました。夜目が効くのは化け猫の効果ですかね、なので急に明るいところへ出ないでくださいね」
その言葉通り、確かに戸事の視界は部屋に来た時より広がり細部までよく見えるようになっていた。しかしそれが暗がりに慣れたからなのか煙草の効果なのかは悩むところ、それほど小さな変化しかなかった。
実際にはちゃんと効果が出ていて、他の調合次第では傷の治りが早まったり身体が柔らかくなったり、もちろん逆もあるのだが、古の魔女が鍋をかき混ぜて作る怪しい薬のようなものだった。ろくにレシピ帳やお手本などないのだから日夜様々な素材をハンター、薬師丸から仕入れ試行錯誤をする日々。手順や量を少し間違えるだけで目も当てられない失敗作が出来上がるのだから効果付きのふくよかな香りを作り出せれば感動は他に勝るものを知らない。
そういった裏の事情を知らなければ民間療法以下の怪しい儀式にも捉えられ、
「……わかった。聞かなかったことにするからそれ以上何も言わないで」
戸事にはまだ受け入れ難い話だったようだ。それでも2本目の煙草に手を出すあたり味にだけはお気に召したようだが。
ピーンポーン……。
間の抜けた電子音が2人の間を駆け抜ける。
「誰だろ?」
「セールス……にしては時間が遅いわよね」
女の1人住まい、警戒するに越したことはなく舞がスマホを見ても来客の予定はなかった。
不意の来訪者へ居留守を使うことも考えられたがカーテンの隙間から漏れる光でバレバレである。そうでなくともマンションの薄い壁は姦しい2人の会話を外に漏らしているのだから、無意味な抵抗はやめておとなしく出迎えたほうが得策であった。
「今行きまーす」
ガチャリと冷たいドアノブをひねる。用心という言葉を教えてもらわずに育った少女はレンズから外の様子を確かめることもせず勢いよくドアを開き、そこに立っていたのは闇よりも深く暗いものだった。
夜灯りを背負い、他になにも見せないのは単純に身体が大きいからであり、舞はすぐに検討がついて顔を上げる。
「あ、やーさん――」
最後まで言い切れなかったのは隠れていたものが見えてきたから。
いつものように威風堂々、すこしふてぶてしく立っているかと思えば雰囲気が違う。ヘビースモーカーで馬鹿になった鼻でも確かに嗅げるのは鉄錆のような臭いだった。
「――酷い怪我じゃん。大丈夫?」
「……ちと、やすませてくれ」
言葉すら満足に話せず来訪者、薬師丸は部屋に入るとそのまま倒れてしまう。そのまま押し倒されそうになった舞は咄嗟に跳ねて避けると、激しい音を耳にした戸事が立ち上がり駆け寄っていた。
「夜巡さ――どうしたのその人!?」
「さぁ? モンスターにでもどつかれたんじゃないですか? あっ血、貰っていい?」
これ以上ご近所迷惑にならないよう薬師丸の傷付いた身体を踏み越えてドアを閉め、何故そこにあるのか靴箱の中から救急箱を取り出すと脱脂綿を傷口に置いていく。看病していると言うよりは血の跡が部屋に残らないよう掃除しているような手荒さに戸事は軽く引いていた。
「それ何に使う……いや止めておくわ」
「新しいフレーバーに使ってみようかと」
「言わなくていいから! ホントやめてよそういうの耐性ないんだから」
想像して頭の中から消し去ったことを明言されれば誰でも怒鳴る。モンスターだけでなく人の血まで使うとなればなおのことだ。どんな病気になるかわかったものではない。




