夏、海、カツオ14
十分に距離が離れ3人だけになった空間で、舞は辛にもたれ掛かり心身ともにくたくたと言った様子、存外死の恐怖というものは傍若無人の少女にも多大なストレスをかけていたようで、気を抜けばすぐにでも睡魔の誘いに誘われるようだった。
かと言って本当に寝てしまえばこの後の話がどう転がるか分からない、起きた時には取り返しのつかない印象操作をされていては堪らんと起きているしかないのだが、いかんせん辛の身体が柔らかすぎて意識を集中できない、いやらしい意味ではなくスライム的な意味で柔らかいのだ、抗うには相当の胆力を必要とし今の舞には持ち合わせていないものだった。
結果として傍から見れば相当だらしない格好になっているがこれでも努力しているつもり、あくまでつもりであり戸事の見下ろす視線は氷山のように冷ややか、それは口から出る言葉の雰囲気にも現れていて、
「で、何隠しているのよ」
秘密を探りにジャングルの奥地へと探検隊が来たでは無いのだ、もう少しはっきり言わないと困る、と舞が悩むのは言っていないことが多すぎるからである。本人としては言う必要が無いだけで隠しているつもりがないところもたちが悪い。
「何って言われてもねぇ……めんど、課長が語らない以上のことは言えないんですよ」
「今面倒くさいって言いかけたでしょ」
言ったかな? 言っていない気がする。頬に指を当てとぼける姿は喧嘩を売っているようにしか見えず、氷結した眼光は鉄のような重量を追加していた。
……んな事言われても。
本当に1から語るには自分の半生をだらだらと口にするしかなく、時間があってもやりたくない。だから舞は指を1本立てて宙に浮かせ、
「1番聞きたいことを1つ、それならいいですよ」
「……」
それくらいならと条件を付けると戸事は顎に手を当て考え伏せる。どこぞの名探偵風である、しかしすぐに答えは出たようで、
「……辛さんの身体が真っ二つになったのよ。それなのにどうして生きているの?」
「ん? あぁ、モンスターになったからですね。スライム、正式には強酸バブルですけどそれでじゃないですか?」
ちょっと、と頭上から諌める声と共に口を塞がれる。それが言ってはいけないことだと気付いたのはもう遅すぎて、ただ荒唐無稽な内容を理解できるかは別の話だったようで戸事は頭を捻り、直後に馬鹿にされたと顔を赤く染めていた。
「そ、そんな訳ないじゃない!」
「事実です。論より証拠ですよ」
ね、と舞は顎を上げて上を見る。予想外のキラーパスだったのか、舞と目が合った辛は視線を泳がせえっとと口篭り、舞と戸事を交互に見ては降参とため息をつく。
白く艶やかな腕が伸びる、何かを求めるように掌は上を向き、誘うような指先は官能的とも言える、彫刻の如く均整の取れた腕は突如として先端から溶け落ちて、地面に滴り煙をあげる。手首まで無くなった腕だけが残り、しかし青い液体がその空間を埋めるように流れ出て、元の形を作るまであまり時間を必要としなかった。
寸分違わぬ元の腕を見て、戸事が震える指先を伸ばして恐る恐る触れる。感触を舐めとるように確かめてもそこにあるのは先程までの光景が冗談であると言わんばかりの人の腕だった。
「……な、んで……」
「こうでもしないと死んでいたのよ、それを舞ちゃんは助けてくれた。来なかったあなたと違ってね」
うわぁ……。
修羅場の気配である。舞は退避しようと猫のように身をくねらせるがいつの間にか絶叫マシンのシートベルトさながらに肩から腕が回り抱きしめ、いや固定されていた。
何が嫌だと言えば2人の間にいることである。そんな舞を他所にたじろぎ後ずさりする戸事は掠れた声で、
「だ……って、知らなかったんだもの……」
「でも舞ちゃんは来てくれた。貧者の水すら使って命を繋いでくれた。あなたにそれが出来たの?」
「それ、は……」
無理だろう、無理を言っているのだ、辛は。
そもそも他の誰でも無理でありたまたま打開策がなければ舞でもお手上げだった、それを責めるのはお門違いである。
「私がどうしようが私の勝手でしょう? そんな良くも知らないで醜い嫉妬するあなたなんて嫌いよ」
あー……。
言っちゃった。取り返しのつかない言葉に戸事は固まり、それから逃げるように踵を返す。
「待てっての」
それを止めたのは舞だった。走り始めた戸事の手をとり留めたつもりが引っ張られて、立ち上がりたたらを踏む。
「謝ってよ、私に」
「えっ?」
「えっじゃないっての。あのさぁ、この状況私必要だった? こちとら海に投げ出されて変なおっきいのに食べられてあーもうダメかなぁって思ってたら……まぁ色々あってさ、命からがら帰ってきたわけよ。それで疲れてるところに痴話喧嘩、いくら私が温厚でもキレ散らかす自信しかないわ」
物言いは無茶苦茶、要求はもっと無茶なのだが、とにかく憤りに腹が立つという崩れた日本語ですら内心を表現しきれないほど怒りに満ちていた。




