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ダンジョン攻略14

 ……あちゃあ。

 小休止らしい小休止も挟まず、直ぐに死体から飛び降りた舞はそんな感想を抱く。それも仕方のないことで、辛の容態は無事なところを探す方が難しく、手足は全て折れ曲がり、特に右足はほぼ千切れてどうにか皮で(つな)がっているような状態だ。それでもまだ生きているのは彼女の胆力と装備が優秀だからと言ったところか。この様子では臓腑(ぞうふ)も無事なわけがなく、口からは糸のようにか細い息と血痰(けったん)まじりの唾液が零れ、黒曜石の瞳は白い霧が走り始めていた。

 医学に明るくない舞ですらそう見えるのだ、当の本人ならばよりはっきりと自分のことが分かる、故に、

「最後に……逢えて、良かった……」

 くだらない辞世の言葉を言う余裕はまだあるらしい。医者に見せようにも今はダンジョンの奥深く、連れてくる時間も連れ出す時間もないため、状況は八方塞がりに見えて、しかし、

「ねぇ。ここから助かるとしたらどうする?」

 それは悪魔の(ささや)きか天使の福音(ふくいん)か。舞の顔には小生意気な笑みが浮かんでいて、しかし冗談をほのめかしているようにも見えず、

「むり……よ……」

「諦めんなよ。もっと命燃やしていこうぜ!」

 怖いくらいのテンションで拳を前に突き出す少女は、そのまま交互に両腕を伸ばす。その行為自体になんら意味はなく、大事なのはその後、腰に括りつけていたバッグに手を突っ込むと、ゴソゴソと荒々しく漁って取り出したのは血のように紅く、涙の形をした石だった。それがなんなのか、考えるより早く答えから殴りつけられることになる。

「というわけで、ここに貧者の水を用意しました」

「……!?」

「進化の石、命の系譜(けいふ)の切れ端、ライフストーン。まぁ名前は別にいいとして、外傷に効く奴で手っ取り早いのはやっぱりあれかな」

 時価数億円の宝石をそこら辺の小石のように扱う舞は、独り言を呟いた後、近くにいた山ゴブリンへ言伝をする。彼は一息喉を鳴らすと足早にその場を去り、その姿を傍目によし、と小さく呟いた舞が、

「2分待ってくださいね」

 重症患者を置いて、センシと反対の方向へと歩いていく。今モンスターに襲われたらひとたまりもないのだが、幸運なことに何事もなく2分が過ぎ、舞が戻ってくる。手には貧者の水と……否、貧者の水はなく、不満げとも申し訳なさげとも取れる微妙な眉寄せ顔の少女と、カビが生えたように変色した右腕、そこからボタボタと同じ色の粘液が垂れている姿は生理的嫌悪感を掻き立てるようで。

 しかし彼女はそんなことお構い無しに横たわる辛の横に立ち、足を曲げ屈む。既に呼吸はなく、死んでいるように弛緩(しかん)した身体、その服を剥ぎ取り胸に汚らしい手を当てる。

 余人(よじん)には何をしているか分からないだろう、目を閉じた舞の深い呼吸に合わせ、肘まで伸びた翠の粘液が押し流されるように下がっていき、同時に辛の胸の上に零れ落ちる。ゆっくり、ゆっくりと広がる粘液が全身を包むまでただひたすらに待つ時間だけが流れていく。

「――ふぅ……」

 極限まで集中したためか、額に玉の汗をいくつも浮かべた舞が一息つく。目を開けた先にあったのは翠色した繭のような楕円形の物体で、淡く光を放つそれの中には胎内(たいない)の子に似た何かが浮いていた。

 繭の中から手を抜くと、赤く(ただ)れた肌が目立つ。大きな湿疹(しっしん)、かぶれ、削ぎ落としたくなるような痛痒感(つうようかん)に、

「……きっつぅ」

 大量の涙を目に湛えた少女は誰にも届かない小さな感情を吐露していた。




 ……これは?

 急浮上してきた意識の中で、辛は目の前の光景に疑問を持つ。光景と言っても見ているわけではなく見せられていると言うほうが正しく、自身の身体すらない状況でどこにあるのかわからない目に映像を投影されていた。

 流れ込む景色は、これもまた統一感はなく、土塊(つちくれ)が何も無い空間に浮かんでいるだけ、時折どこからか飛んできた同じものが当たり、くっついては砕かれ、次第にその大きさを増していく。

 と思っていたら次は水の中。泡立つ水の、ごく小さな物体が合わさり分かれ、試行錯誤を繰り返しながら徐々に大きく、複雑化していく。柱状の何かが螺旋状の何かに変わり、また分裂して他の螺旋と合わさり――。

 また景色が変わる。そこには大地があり、海があり草木があった。コマが送られる度に博物館で見た生物が生まれ、食い食われ、その姿が洗練されていく。全てを溶かしきる灼熱(しゃくねつ)の溶岩に埋め尽くされることもあれば、ペンキのように白い雪が全てを覆う時もある、そこまで至ってようやくこれは地球史であることを理解し始めていた。

 ……で?

 そう、だからなんだという話である。夢か妄想か知らないが、図鑑で見れば十分なことを追体験させられる理由がわからない。それよりも大事なことがあったはずなのに、四肢の感覚もなければ目を閉じることもできない。脳みそだけ培養槽(ばいようそう)に浮いて電極で情報をガソリンスタンドのように流し込まされているようで、知識を得る快感よりも自由意志のない不快感が勝る。

 声に出せない不満を抱えていると、風景がまた変わる。ようやく現代、人間史が始まり、歴史の教科書の流れに沿って進んでいく。といっても一秒が百年単位で過ぎていくため、人が服を着始めた直後には今を通りすぎて、視界が黒に染まる。その先はまだないということなのだろう。

 そして、辛がいた。

 ……あ。

 身体がある、感覚もある。目は相変わらず閉じることができず、自由に動くこともできない。全身を石膏で固められたただのマネキンになってしまい、

『――』

 目の前に緑のクッションがあった。

 分厚いゴムで覆われた半透明のそれは、夏場はひんやりと冷たい清涼感を感じさせる、いやゴムは空気を通さないので熱がこもりやすく汗で肌に引っ付くためただ不快で、とにかく巨大な饅頭型の物があった。

 見覚えは、ある。モンスターだ、しかもちょっと厄介な性質を持つ、嫌われ者。他のモンスターにも言えることだけれど、1対1では相対したくなく、専用の装備も欲しい。

 いつもならすぐに回れ右して離れる相手、幸いなことに能動的に動くモンスターではなく逃げることが簡単なので、しかし今は身体が動かないしなぜか全裸だ。いやそれよりおかしいことだらけなので全裸程度でうだうだ言うことではなく、夢幻(むげん)の世界だと考えているため恐怖心もない。ただようやく動いた足が前に進みだしたことだけは流石に内心で驚いていた。

 止めようにも止められず、1歩2歩と地面を蹴る、地面は見えないのに確かに硬い何かが足裏を支えていた。そのまま意思に関係なくぜんまい仕掛けのように動く足は、モンスターにゆっくりと浸かり、その酸により溶け、混ざり、

 ……あぁ。

 死ぬのか。辛はそう心の中で呟きながら、身体が胸まで無くなったあたりで意識を手放していた。

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