実働1部7
男女3人が校舎の中を歩いていた。真ん中に一際小さな少女を連れて歩く姿は家族のようで、砂場で遊んできたのか父娘の姿は砂まみれで薄汚れている。
汚れの原因は舞と新堂が取っ組み合いの喧嘩をしていたせいで、それを辛は止めるでもなく笑って眺めていた。5分程揉み合いになった後は口汚くお互いを罵り、どちらからともなく一服を始めて、そして思い出したように校舎へと移動していた。
1階南校舎、校門から1番近い部屋の前で新堂が皆を止める。元々は守衛室だった場所だ。そこで彼はドアノブを握る前に舞の方を見て、
「1つ言っておくが、結構気難しい人だから言葉遣いには注意しろよ」
「はいはい」
「……そういう態度がなぁ」
舞の適当な返事を聞いて、思わずボヤいてしまう。その気持ちを察したのだろう、小さな少女は大仰にため息をつく。
「わかりましたって。親じゃないんですからそんないちいた釘刺さなくても」
「上司だから言ってるんだ」
しつこいくらいに釘を刺す。それだけの相手がこのドアの向こう側にいるからだ。
実働部、その中でもモンスターとの戦闘、ダンジョンの攻略を主の業務として行う1部。ダンジョンワーカーの中でも花形の部署であり、ここを維持する為だけに他の部署があると言っても過言では無いほど会社の心臓部だった。
同時に1番消耗の激しい部署である。過去ダンジョンで1団丸々行方不明になったこともある。それでも差配をしていかなければ一般市民にまで累が及ぶため、トップには甘えは許されず強靭な精神が求められていた。
心労は計り知れない。それでも会社設立から一度も部長の席を譲ったことのない人物にこれから会いに行くのだ。
ただ、心配事がある。
……苦手なんだよなぁ。
どの部署からも好かれていない人事部だが特に実働1部からは嫌われている。当然だ、1番優遇すべきところへろくな人材を紹介出来ていないのだから。
小言の1つくらいはいつも覚悟しているが、舞の行動が火に油を注ぐ結果にならないことを願うしかなかった。
「延々とここで話しててもしょうがないでしょ、行きましょう」
辛が促す。実働1部への出向が多い彼女は慣れた感じでドアをノックしていた。
緊張するなぁ……。
汗で湿る手を握る。痛いほど強く跳ねる心臓の訴えを無視して、新堂は声を出す。
「失礼します」
「……新堂課長か」
ドアを開けた先に1人の男がいた。
6畳程度の狭い部屋は両側あるキャビネットが天井まで伸び、ガラス板の先にバインダーがびっちりと詰められている。迎えるように設置された幅2メートルを超える机の他に調度品などは見当たらない。
いかにも仕事部屋という雰囲気のそこに座る男性は、同じ人間か疑わしいほどの巨漢だった。太っている訳ではなく鍛え上げられた二の腕は白いワイシャツにくっきりと線を写し、狭い部屋がより狭く見えていた。
六波羅 巌。実働1部の部長であり本人も現役でダンジョンに潜っている。その戦績は他の追随を許さず、精神的、業務的にも部の大黒柱だ。
舞の部屋に入り浸る専業ハンター、薬師丸よりかは小柄だが、実力なら遜色ないだろう。普段から放たれる威圧感に、積極的に人を襲うはずの弱いモンスターが脇目も振らず逃げ出すほどなのだから。
新堂は内心に冷や汗をかきながら部屋の中に入ると、
「はい、今日は新人訓練にうちの新人も混ぜてもらいたくてですね」
要件を告げ、後ろに続く2人を招き入れる。
狂島から話は通っているはずだが、知ってますよねとは言えない。どこで琴線に触れるかわからないからだ。
地雷除去の気分のまま入ってきた2人と合わせて横1列に並ぶ。順に顔を見ていた六波羅の目が舞に向いた時、
「……」
何故か凝視のまま彼の動きが止まる。
「……どうかしましたか?」
「いや……本当にうちの社員なんだよな? 小学校の社会科見学じゃなくて」
「冗談のようで本当です」
気持ちは痛いほどわかる。それでも非情な現実を伝えなければならない。
……頼むぞ。
新堂は目を軽く閉じて祈っていた。身長のことを弄られると舞は時折思い出したようにキレるからだ。反面外面だけはいいことも知っているのでコイントスのように表が出ることに賭けるしかなかった。
しばらくしてなんの反応もないことに新堂はほっと息を漏らす。どうやら今日は舞の機嫌がいい日のようだ。
「事務方はいいな。体格関係ないんだから」
「こんな見た目ですが体力はなかなかのもんですよ。辛から一本とるほどですし」
軽いジャブのような嫌味を逸らし、引きつった笑顔で答える。このくらいならまだ理性的で可愛い方だった。
「ほら挨拶しろ」
いつまでもただ立っているわけにもいかず、舞に話を振る。余計なことは言うなよと目線で合図するが、彼女は一切横を見ずに1歩前へ出て会釈をする。
「夜巡 舞です。よろしくお願いします」
「夜巡?」
差し障りのない自己紹介に問題なく終わると思われたが、六波羅がその名前に反応する。深く腰かけていた所から浅く座り直し、舞の顔をじっくりと見つめる。
「どうかしましたか?」
「いや、どこかで聞いた名前だとな……」
「珍しい苗字ですけど誰からか聞いたのでは?」
「……いや、気のせいだと思う」
小首を振り、六波羅は元の体勢に戻る。緊張感に心が折れそうになるがもうこれで終わりだと思うと晴れ晴れとした気持ちになっていた。
しかし、
ぴりりりり。
甲高い電子音に一同が注目する。
――あのバカ!
一瞬でそれがなんなのか理解する。スマホの着信音だ。せっかく穏便に終わるはずの挨拶に雷鳴のごとく亀裂が入る。
「おい、マナーモードにしとけ」
「すみません。ちょっと失礼します」
「おい!」
新堂の静止よりも早く、舞がスマホを一瞥して部屋から出ていってしまう。伸ばした手は空を切り、背中には脂混じりの嫌な汗が吹き出す。
パタンと閉まるドア。新堂はすぐに反転して、踵を揃えて腰を曲げる。
「申し訳ございません。教育がなってなくて」
「非常時なら仕方ないだろう。私用なら……」
それ以上六波羅は言わない。言わないでも分かるだろうと薄く閉じた目が物語っていた。
……おぉ、もう。
不謹慎ながら誰か身内の不幸が起こっていてくれと願う。しかし彼女に既に身内が居ないことを思い出して苦笑いで時間を稼ぐしかなかった。
話題もなくいたたまれない沈黙が場を支配する。この状況から入れる保険が見当たらず、引きつった頬が痙攣を始めていた。
那由多の時は実際1分足らずで、カチャリと音を立て開いたドアから舞がすみませんと一言発して入室する。
……聞きたくねぇ。
でも聞かないと納得しない人がいるから、と新堂は口を開く。
「誰からだった?」
「やーさんでした」
そこは嘘をついて欲しかった。横目で見た六波羅はただ押し黙ったまま新堂を見つめていた。
試されている、上司としての態度を。それが分かり内心で涙が零れる。
……いや待てよ?
やーさんこと薬師丸さんは専業ハンター、つまりダンジョン関係者だ。業務の関係で同業者である外部のハンターと接点を持つことは社内において一般的であり、イコール客という構図も成り立つ。
むしろ好都合なのでは、と思い直し、新堂は深く問う。
「薬師丸さんか、ダンジョン関係か?」
「薬師丸!?」
何気ない一言だった。それにあらぬ方向から激が飛ぶ。
身体の大きさに比例した六波羅の大声量に、新堂は飛び上がるほど驚く。今まで見たこともない姿に、彼をよく知る辛へ視線を投げるが彼女も目を丸くしていた。
「ど、どうしたんですか?」
「薬師丸って……薬師丸先輩のことか?」
知らんし……。
様々な言葉が抜けた質問を受けて返答に困る。珍しいほうの苗字ではあるが全国に1人しかいないというわけではないからだ。
「どの薬師丸か知りませんけど、雨生って人です」
フルネームを伝えると、新堂はその次を待つ。
もしかしたら本当に知人かもしれない。立場は違えど同じハンターだ、接点があってもおかしくなかった。
……むさいな。
2人が並んだ姿を想像して思わず吹き出しそうになる。相撲取りかラグビー選手かという巨漢が街を歩いていたらモーゼの如く道が開くことだろう。
現実逃避の妄想をしていると、視界の中にいたはずの六波羅の姿がなくなっていた。
……あれ?
隠れたのか。あの身体を隠せる場所などほとんどなく、理由もない。どこかに行ったのか。部屋を出るためのドアは新堂の後ろにある。
唐突な異変への疑問を消化する前に答えが音となって床を震わせていた。
ドンっ、と巨大な鉄球でも落としたかのような音と振動に一同顔を見合わせる。
「……えっ?」
理由は分からない。誰に何をされたわけでもなく、六波羅は机の向こう側に倒れていた。




