広報部3
舞が軽く言った言葉に、新堂はひどく顔をゆがめる。眉は尖り、目つきは厳しい物へと変化していた。
……怒ってる?
予想より厳しい表情を浮かべられ、舞は驚いて咥えていたパイプから口を離す。地雷だったのだろうかと戦々恐々としていると、
「……すまん」
一転してしゅんとした、雨に打たれた子犬のように小さい声で頭を下げられる。
そういう反応が欲しかったわけではない。いつものように笑い飛ばしてくれればそれでよかった。
……これじゃ私が悪者みたいじゃん。
思慮が浅かったことは認めるが、異常の程過敏な対応に、
「止めてよ。そんなこと気にする仲じゃないでしょ」
ふんと鼻を鳴らして笑い飛ばす。上司と部下とは思えない気安い言葉遣いで。
ただ新堂の気は晴れた様子がなく、中年のおっさんらしい煤けた背中を見せて細々と煙草を口にしていた。
……うーん。
らしくない、気持ち悪い、調子が狂う。大事な顧客の1人がわかりやすく落ち込んでいる状況をどうにかしようとした時だった。
「――モンスターだ!」
どこからか響く声が空を裂く。一拍置いてまず反応したのは新堂だった。
「っ!? いくぞ!」
「えっ?」
「ぼさぼさするな!」
かつて聞いた事のない怒声に、舞はピンと背筋を伸ばしていた。
「どうかしたか?」
「あ、新堂課長」
駆け足で声がしたほうへ向かっていた新堂が足を止める。近くにいた女性へ声を掛けると、彼女は慌てた様子もなく受け答えをする。
……あれま。
後ろをついていた舞が喧噪の元へ目を向ける。そこには数人の職員の姿があり、みな舞達と同じように警棒を持っている。重なる後ろ姿の隙間からは透明な青が見え隠れしていて、天に掲げられた警棒が何度も振り下ろされていた。
「大したことじゃないですよ。ダンジョンからあぶれたスライムが数体見つかっただけで。すでに職員が駆除しています」
その言葉通り、早くもモンスターの駆除は終わりを迎えようとしていた。本来なら実働部が行う戦闘も、スライム程度なら他部署ですら対応が可能だった。
制圧の速さから手慣れていることがわかる。しかし、納得のいかないささくれが舞の心を妙に邪魔していた。
……なんだろ?
明言できない何かに思い馳せている舞を他所に、
「ならよかった。そっちの人員だけで大丈夫か?」
新堂が問うと、女性は、はいと頷いて、
「慣れてるんでしょうね。ホームレスの方々はさっさとどこかに行ってしまいました。退避誘導をする必要もないので大丈夫そうです」
笑顔を振りまく姿に、そうかと新堂が胸を撫で下ろしていた。
……あ。
そうか、と舞が顔を上げる。これは報告せねばと緩んだ頬を見せる新堂の裾を引っ張っていた。
「……あぶれたんだよね?」
「どうかしたか?」
「いやな予感がする」
「……具体的に言え」
声色が1段低くなる。真剣に聞く体勢を取られ、舞が言葉を生み出そうとした時だった。
地震、地鳴り。地が揺れ、内臓が震える音にその場にいた人々が一斉に目線を向けていた。
やっぱり、と舞は思っていた。たかだかスライムごときでホームレスが我先に逃げ出すはずがない。ダンジョンに慣れ親しんだ彼らなら自衛する能力の1つでも用意しているからだ。
それが一目散に散るなら、自衛の範疇では相手出来ない存在が現れたことになる。
「っ! ストーンゴーレム」
姿が見え、誰かが叫ぶ。
苔むした岩が歩いていた。ダンジョン入り口から3メートルに届くかと言うほどの巨体がゆっくりと前身していた。
1歩進む事に巨大な足跡を地面に残す。100の太鼓を1度に叩いたような音を轟かせ、それは標的を求めて進む。
文字通り岩のように硬い相手に警棒では何の役にも立たない。新堂は直ぐに退避と叫ぶと並行して、
「ちっ、面倒な。スレッジハンマーは?」
軽く舌打ちをした後、女性に尋ねていた。
彼女は小さく身を震わせた後、
「すみません、持ってきてなくて」
申し訳なさそうに頭を下げる。
傍で聞いていた舞はあーあと口を開ける。肥大期になりたてのダンジョンからゴーレムが出てくることを想定しろという方が無理なのはわかる。ゴーレムはダンジョンの中でも弱い部類に入るため外へ出てきやすいとはいえ、まだスライムやゴブリンのほうが数も多く溢れやすい。しかしイレギュラーはいつだって唐突に起こるからイレギュラーなのだ。
どうするのか。その決断は新堂に委ねられていた。
「なら近くのホームセンターで買ってこい。それと山下部長にも連絡を」
新堂は自分の財布を女性に押し付ける。すぐに動くよう指示を飛ばすと、ふうと一息ついて、
「……舞」
煙草を咥えながら小さく声を吐いた。
「……舞」
割と絶望的な状況から目を背けるように新堂は震える手で煙草に火をつける。
……さて。
まじでどうしようと内心で頭を抱える。ストーンゴーレムを駆除するためにはハンマー、ドリル、タガネなどが有効だ。欲を言うならば重機が欲しいところだが探して持ってくるまでにどれだけ被害が出るか分からない。
ゴーレム系の特徴として嫌になるほど硬く、熱にも電気にも水にも強いことが上げられる。対抗手段はとにかく鈍器で叩いて砕き、体の中心にあるコアを破壊すること。そんな簡単に出来る話ではなかった。
幸いなことに動きは遅く、逃げに徹すれば追いつかれるようなことはまずありえない。今も職員たちが付かず離れずの距離を保って包囲網を形成していた。
……帰ってくれねぇかなぁ。
儚い希望を思い描きながら、新堂は返答を待っていた。
「なんでしょう?」
「あれをどうにかする方法、あったりするか?」
「……あると思います?」
「すまん」
だよなぁ……。
この場でダンジョンの中の経験が豊富なのは彼女しかいない。職員のほとんどがゴーレムを相手にしたことはなく、ゴブリンやスライム、後は虫系モンスターが関の山。
かと言って放置などできるはずも無い。モンスターによる被害は持ち主が背負うことになっている。家屋の1つでも壊されれば赤字で倒産すら見えてくる。
考えうる中での最善手はこのまま引き付けて増援を待つこと。実働部が来るまでにどれだけ被害者が出るかなど考えたくもなかった。
しかし、
「まああるんですけど」
嘲笑するように口の端を引き上げる少女の姿があった。
こいつ……。
ふざけている場合じゃない。最悪何人も死ぬ状況で、冗談めかした言葉を使う彼女に苛立つ。
「……帰ったら一発ぶん殴ってやる」
それでも今は舞だけが頼みの綱だ。今は飲み込んで、後で発散するしかなかった。
「……で、どうするんだ?」
「蕎麦屋にいきましょうか」
「はぁ?」
お昼何食べるかみたいなテンションで舞が言う。
早まったかなと、新堂は後悔しながら煙草を吸う。緊張で震えていた指がぴたりと収まっていたことを彼は気づいていなかった。




