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狂島

「あ、そういえばなんだけどさ」

 腰に手を当て、仁王立ちする舞が聞く。

 痛みに悶え(うずくま)る新堂は、かすれた息を吐いている。声にならない悲鳴が吐息として漏れ出していた。

 目の端に涙を浮かべ、それでも気丈に睨みつける。息も絶え絶え、立ち上がることはしばらく出来ない状態で、

「……な、んだ?」

 意地が言葉を紡いでいた。

「人の事散々詮索したんだから答えて欲しいんだけど、部長と話してた7割ってなんの事?」

「……」

 新堂は答えない。答えられないのではなく、なんの事だか分からなかったからだ。

 すぅー……ふぅ……。

 徐々に引く痛みに息を整えながら、ゆっくりと立ち上がる。思わず落としてしまった煙草を拾い直し灰皿に捨てると、新しく火をつけて、

「……なんだっけ?」

「昨日の昼のことだけど、忘れたの?」

「んー……あ、あぁはいはい」

 長考の末、小刻みに頷く。そういやそんなこともあったなと他人事のように考えていた。

 実際他人事になってしまっていた。後処理を残っている人事部に任せた為、もう関わる仕事はない。だから、

「そんなにつまらない話が聞きたいのか?」

「つまらない話?」

「あぁ。今年入った業務部の新人のうち17、8人が当日退社したってだけだしな」

 さも当然のように新堂は告げる。

「何人中?」

「25人」

「……えっぐいわ」

 舞が漏らした感想に、新堂は何がと首を傾げる。

「仮にも国から支援を受けてる会社がそれでいい訳?」

「仕方ないだろ。文句なら劣悪環境のダンジョンに言ってくれよ」

 新堂は吸いかけの煙草を台詞とともに吐き捨てていた。




「以上が報告になります」

 3畳ほどの小さな小部屋に新堂の声が響く。

 時刻は既に夕方、壁1面に貼られた窓ガラスからは赤い日差しが差し込んでいる。

 その部屋は元々音楽準備室として使われていた。楽譜やらが雑多に置かれていただろう棚も今はなく、大型のキャビネットには個人情報の入った書類が保管されている。

 報告書を熟読し、脇に抱えた狂島が視線を横に向ける。地平線に沈みゆく太陽を眺めながら、

「困るなぁ……」

 その口の端は、言葉と裏腹に引き上がっていた。


 埼玉の出張から戻り報告書を書き上げた新堂は、いつも通りずっと離席中の狂島を探していた。電話をしても繋がらず、しかし勤怠に退勤の文字は無い。

 待っててもいいが……。

 打ち終え、印刷した書類を持ってしばらく悩んだ新堂は立ち上がっていた。以前同じような状況に遭遇した際、知らぬ間に退勤していたことがあったからだ。

 定時まで、もう時間はない。部下に舞の世話を任せ、新堂は宛もない旅に出ていた。

 そして呆気なく目的の人物は見つかっていた。廊下に出てすぐ向かってくる影が目に入っていた。

「あ、いさおっち帰ってたんだ」

 子供のように手を高く上げて振る狂島がいた。

 わざとらしい、といつも通りの感想を抱く。帰る前にだいたいの到着時刻は電話で報告しているし、着いてからも電話している。もっとも到着時の連絡は繋がっていないが、それから2時間も経っているのだ。普通なら着いていると判断するだろう。

「えぇ、戻りました。で、今回の報告なんですけど」

「ならちょっと空き部屋でやろうか」

 そう言って狂島が近くの扉を指さした。

 男2人、個室。嫌な汗が背筋を走る。しかしノーとも言えず新堂は後ろをついて行くしかなかった。



「困るなぁ……」

 報告書を見て狂島は呟く。

 優秀な部下に優秀な新人。自分にはもったいないくらいの存在が、ちゃんと成果を上げて無事に帰ってくる。上司としてこれ以上ない幸福を噛み締めていた。

 しかし、社会はそう上手くいかないことも知っていた。

 この報告書を真面目に通したら他部署の人間がどう思うか。法務部は間違いなく気分が良くないだろう。成果を盗み取られたと非難されるかもしれない。

 自分ならいい、しかし部下が病むようなことは防がなければならない。

 狂島は思わず作っていた笑みを伏せ、いつもの覇気のない顔へと戻す。

「僕の方で書き換えておくから元ファイルをいつものフォルダに入れておいてね」

「了解です」

 新堂は即答する。1番信頼している部下の頼もしい姿が嬉しく、そしてその手柄を素直に認められない自分の不甲斐なさが嘆かわしい。

 ただもう1つ、気がかりな事があり、

「舞ちゃんはどう?」

 先日入ったばかりなのにすぐ芽を出した新人について尋ねていた。

 心配だなぁ……。

 今までにないタイプの子だ。取り扱いには一層の注意が必要だった。

 新堂に一任すれば問題ないとはいえ、まだ若く経験もない。新人らしい行動力は評価するが、出る杭は打たれやすいことも事実である。

 ……?

 狂島は静寂の中に戸惑いを感じていた。いつもなら聞いたことにすぐ返答を用意している新堂が珍しく口を塞いでいたからだ。

 彼は喉のつかえを取るようにあぁと低く唸ってから、

「優秀だと思います。けど手綱を離しちゃいけないタイプだと感じました」

 その言葉に狂島はうんうんと頷いていた。

 よく見ている。共通の認識を持てていることがなお良い。

「なら引き続きよろしくね」

 心配事が1つ減った狂島は胡散臭い笑みを浮かべて新堂の肩を叩く。そして、その耳元に、

「……舞ちゃんが手に負えないなと思ったら『秘密』を知ってるって言うといいよ」

 自分の持っている切り札のうちの1つを晒していた。

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