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初仕事8

「ありがとうございます!」

 頭を勢いよく下げる。そんな有頂天の所へ、

「礼ならあの嬢ちゃんにいいな。いい部下じゃないか」

 冷水の言葉を浴びせられ、

「いや、あの……むすめ――」

「あんな煙草臭い子供なんているわけないだろう」

 ……そうですね。

 ぐうの音も出ない。完全に白旗を振るしかなかった。

 当事者はあまり気にしないが、舞の吸うパイプの臭いはきつい。甘い香りに誤魔化されがちだが香水とは似ても似つかない臭いは煙草のものだと誰でも分かる。

 恐らく舞が甘えるふりをして抱き着いたときに気付いたのだろう。となるとほぼ最初からとなるわけで――。

「すみませんでした、(だま)すような真似をして」

 新堂は再度頭を下げる。深く、どんな叱咤(しった)も覚悟の上で。

「気にしとらんよ。まぁあんな小さな大人がいることの方がよっぽど驚きだがね」

 蓮田は緩く笑って言う。(とが)めるつもりはないと言うように冗談を飛ばしながら。

 ……はぁ。

 心臓に悪い。新堂はほっと胸を撫で下ろしていた。何が交渉はこうやる、だ。目論見は最初から破綻していたじゃないか。

 結果としては最上だが、過程はただの運が(つな)いでくれたものに過ぎない。あれで図に乗られると問題があるなと教育者としての使命を思い出していた。

 春の風が前髪に触れる。すぅーと引いた汗に身体が冷える。

「そろそろ出ます。後ほど会社のほうから連絡が行くと思いますのでよろしくお願いします」

「あぁ」

 蓮田は短く頷く。

 長かった一夜が終わり、誇らしい成果を持って午後からは通常業務に当たれると思えば気分も軽くなる。あとは車までほんの少し減った荷物を積み入れるだけだった。

 しかし、その気持ちに待ったがかかる。

「あの子のこと、よく見てやりなさい」

「はい?」

 突然告げられた言葉に新堂は困惑を返していた。

 老人は車の方角を向いていた。積み込みをしているのか、少女の姿は見えず、それでも、

「ああいう性格は敵を作る。本人は気にしないだろうけれど、悪意の目というのは知らず心を傷付けるものだから」

「大丈夫ですよ。昨日入社したばかりですけど、みっちりしごきますから」

「昨日っ!? 昨日かぁ……」

 事実を知った蓮田は素っ頓狂な超えをあげて目を丸くする。

 新堂には気持ちが痛いほどわかった。近年、世の中では凄い新人が入ってくるという話を面白おかしく紹介されているが、初日から上司を蔑ろにする新人も珍しい。

 彼女から言わせれば付け入る隙のある方が悪いなどとのたまいそうではあるが、温厚で知られている自分でも不愉快になる場面は多々あった。

「……時代、なのかね」

「時代ですかね」

 2人の間に哀愁が漂う。話題の中心の人物は車の横で大きく手を振っていた。それが早く来いという合図にしか見えず、新堂は苦笑いを浮かべていた。

「そうだ」

 急ごう、そう思って荷物に手をかけた時、蓮田が止めるように言う。

 何事かと新堂は顔を上げる。そこには困ったような悩んでいるような、判断に迷う顔があった。

 口を開き、閉じてまた開く。一連の動作を見届けた後、

「――水門のところにあった足跡なんだが」

 と前置し、

「1つ、小さな子供の足跡もあったそうだ。あそこは子供達の遊び場にもなっているから関係ないかもしれんが一応な。近所の家庭には一通り連絡を入れて全員無事な事も確認しているし、考えすぎだとは分かっているんだ」

「……」

 新堂はそれ以上何も言えずにただ小さく頷いていた。





 帰り道、関越道。

 車内に会話はなく、備え付けられた純正のナビが進路を更新し続けていた。

 舞はやることも無くただスマホを眺めていた。時折思い出したように画面をタップしてはまた見る作業に戻る。

 ちらりと新堂が視線を泳がす。かれこれ1時間、数分ごとに横目で見るを繰り返していた。

 気になっているのは、あの老人の最後の言葉だった。ある意味では予想していた通りでもあるが、

 ……そういうことなのか。

 確信の持てない疑念が渦を巻く。問うか、問わざるべきか。そしてそれを聞いたところで何になるのか。もやもやばかりが暗雲のように立ち込めて思考が上手くまとまらずにいた。

 その瞬間――。

「ブレーキっ!」

 殴りつけるような大声に、新堂は即座に足を踏み込む。

 タイヤが悲鳴を上げる。前に吹き飛ぶ慣性をシートベルトが受け止めていた。

「……」

 嫌になるほどの静寂の中で、馬鹿みたいに大きな鼓動だけが耳障りだった。

 渋滞だった。前方の車群が徒歩のような速さで進んでいた。

 首と胸に痛みが走る。急ブレーキによる代償が体に現れていた。

「……すまん」

 絞り出すように声が出た。体温が上がり、噴き出た汗が気持ち悪い。

 助手席からは軽いため息が漏れる。理由を問う必要すらない。

「眠いんですか? 運転変わりますよ」

 舞が提案する。それを首を振って、

「……大丈夫だ」

「大丈夫な人は前方不注意なんてしません」

「足届くのか?」

「届かなかったら免許取れないです。馬鹿にしてるんですか?」

 舞は頬を膨らませていた。

 車はゆっくりと進んでいく。前の車とつかず離れずの距離を保って。

 ……やっちまった。

 新堂は前を見ながら先ほどのことを悔いていた。雑念に頭を支配されて運転がおろそかになっていたのだから。

 その原因は人の気も知らずにまたスマホを眺めていた。先ほどより前方に気を配りながら。

「……よそ見」

 彼女が言う。弓なりに細くなった目は瞳を隠していた。

 わからん。わからん、わからん。わからんことだらけだ。

 新堂はハンドルを強く握る。不快感を顕にして、

「なんなんだよ、もうっ!」

 突然叫んでいた。

「事故ですかね」

「そっちじゃない! お前の事だよ」

「んなこと言われても……」

「水門壊したのお前だろ。モンスター連れて、なんでそんなことができるんだよ」

「出来ませんけど」

「嘘つくなっ!」

 怒鳴る新堂に返事はない。それがさらに虫の居所を悪くする。

「黙ってねぇで何とか言えよ!」

「ちょっと、落ち着いてよ」

「落ち着いていられるかっ!」

 新堂が吐き出すように言うと、その口を塞がれていた。

 甘い香りが鼻をくすぐる。

 それはまだ火の着いていない煙草だった。

「聞きたいことがあるなら喫煙所で聞くから、今は運転に集中しなさい」

「……ん」

 新堂は煙草の先を上下させる。

 車は群れの中でゆっくりと次のパーキングエリアへと向かっていた。

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