終わりに向けて
「今だけ忙しいんでしょ。こんな所で油売ってていいの?」
遠慮なく切り込む銘。どうしてそんなことを知っているかと言えば、定期的に職員がこのコアルームに訪れているからだった。休憩地点として、下手なことをしない限り確実な安全が担保されているとなれば利用しない手はなく、特にダンジョン探索を主業務とする業務1部は男性が多いからか、背景も相まって銘はやたらとちやほやされていた。こういう時ばかり自分の持ち味を発揮するのだから魔性の片鱗を持ち合わせているということなのだろう、舞には出来ない芸当である。
小姑の如く言う程、人事部は今繁忙期であった。3月から1ヶ月、新人が入社するまでの間に整理しなければならない書類が山ほどある。税金、保険、年金などなど。そのくせ大半は入社後1ヶ月と経たず辞めていくのだ、虚しくなっても当然だった。
「いいのよ、今日は有給だから。わざわざ休みを取ってまで会いに来た姉を労いなさい」
「もー、勝手だなぁ。そんなんじゃ会社でも上手くいってないんじゃないの?」
銘は呆れながらも目の前に剥いたみかんを置いていく。それを犬のように舌を出してすくい取る舞は、どちらが姉だか分からない程堕落しきっていた。
元気がない、いつものような無鉄砲さは息を殺している。来るべき時に備えていると言うよりかはその来る時が分からなくなってしまったような茫然自失を身体にまとい、銘はそれを目ざとく見つけていた。
「……元気ないね。なんか迷ってる?」
「……わっかんない」
それは心の底から溢れ出た声である。非常につまらなそうな顔をした舞はそれだけ言って口を閉ざしていた。
10年。決して短くない時間、舞は戦っていた。ダンジョンで、学校で、そして社会に出てからも。全ては自分の生きる道を辿るためと、銘をどうにかするために。その目標をクリアするために薬師丸に近づき最新のダンジョンについての情報を得てきた。煙草ですら今は慣れたがダンジョンで生きるため、そして薬師丸から関心を引くために続けていたこと。い号ダンジョンの生き残りと伸び悩む身長というのはどうにも生きにくい環境から抜け出すことを容易としなかった。
が、それも全て終わってしまった。今の職場はそれなりに居心地がいい。頼りない上司とときおり身の危険を感じる先輩、つっけんどんながらもやれやれと意見を聞いてくれる小さいの。あとはよくわからないさらに上の上司といやいや仕事している会社の顔。羅列してみるとろくな人間関係ではないがどれも自分らしく生きることを邪魔しない。今後に不安がないとはいえないが、少なくとも他所で新たに関係を築く気にはなれないことは事実だった。
もうひとつ、銘が予想外に元気なことだ。最初の2年、彼女はコアと一体になった時、生きているのか死んでいるのか曖昧な程感情を表に出すことがなかった。食事もしない息も必要ない状況で両親が目の前で惨殺された事実が生きる気力を失わせていた。その頃を知っている舞からしてみれぱ現状は好ましく、むしろ今の社会に不安が残るようになっていた。もっとダンジョンについて世間が寛容になるまで10年行方不明だった銘をダンジョンから出す訳にはいかないとまで考えるようになるほどに。
誰に命じられた訳でもない使命が今までの舞を支えていた。しかし今はそれがない。12の子供が拙いながら作った柱は今根元から完全に折れてしまっていた。
と言うのは誰にだってある話、殊更舞が特別という訳ではなく少しくらい休む時間が出来ただけの事。銘は菩薩のように穏やかな笑みを浮かべて蕩けきった姉の姿を目に収めていた。
「……本当はね、少し感謝してるんだよ。お姉ちゃんが地上に行って、仕方なかったとはいえ寂しかったから。でもやーさんが来る度お姉ちゃんが私の事忘れてないっていう教えてくれたからむしろいつ会えるか楽しみにしていたんだ」
「少しじゃなくてもっと感謝しなさい」
意気消沈しても不遜は健在、少しはしおらしさでも見せれば可愛げがあるというのに、舞の辞書には存在していないようだ。
そんな姉の戯言も銘には笑って見過ごすだけの度量があった。半生弱共にいなくともそこは姉妹ということらしい。
時は有限ながら穏やかに流れていく。このまま、このまま何事もなければどうなるだろうか、それは誰にも分からないことだが、今だけは10年前の風景がそのまま切り取られたように残っていた。




