恐れていた事 5
モンスターの男性は地面の円を穴が開くほど見つめた後、ひとしきり頷いてから舞、そして戸事を見る。
『其方は姫か?』
立場ある者、それがお付を連れてダンジョンへ赴いている。かつコアの少女とただならぬ関係性を持っている、そう考えても不思議では無い。
不思議では無いのだが、そんな事を言われて平常心でいられるかというかは別の話だった。女児はプリンセスに憧れるとはよくある話だが、舞とて見た目は別として書類上二十歳を超えた立派な女性である。御伽噺に恋馳せる年齢はとうに過ぎている相手に姫とは、笑いを腹の中で堪えただけ場を弁えていた。
そういうことならそういうことにしておこう、というイタズラ心も忘れずに。
「ぷっ……え、えぇそうよ」
「『肯定します』 ……でいいのよね?」
話の流れの分からない戸事が再三の確認をするが平気平気と舞は流す。真実を知ったときどのような被害が出るかなど舞の頭には皆目見当もつかないでいたが、バレなきゃいいというお気楽な、砂糖菓子より甘い考えをしていた。
さも人類代表という厚い面の皮を被り始めた舞に、モンスターは地面に置いていた鉾を握りしめる。1拍遅れて気づいた舞の目の前には既に純金の輝きが焼き尽くすようで、呆気にとられ恐怖が沸く余裕すらなかった。
横で慌てて立ち上がろうとする戸事を手で抑え、
「なんのつもり?」
『……なんのつもりですか?』
『私の卵を産んで欲しい』
「……ごめんね。私胎生なのよ」
『すみません、体勢――』
翻訳していた戸事の言葉が途切れる。たいせい、という単語の意味が文脈から想像できずにいたからだ。
「……ねぇ、たいせいってどういう意味?」
「え、胎生は胎生ですよね。卵じゃなくて子宮で育ててから産む系の」
さも当然のように舞が言う。いや、何一つ間違っていないのだが、凶器を目の前に押し付けられて出てくる言葉としては斜め上に飛んでいるし、卵だ子宮だという馬鹿なほど真面目な返答が出来る舞の胆力に戸事は改めて関心していた。
考えうる中で最低に属する脅しのようなプロポーズにぶっ飛んだ返しをそのまま伝えていいものか、しばらく悩んだ戸事はこんがらがった思考をゴミ箱に叩き込んで晴れ晴れとした顔で口を開いていた。もうこれで反感を買うようなら仕方がない、来世でも舞のことを恨んでやると心に決めていた。
『卵生ではなく胎生なので無理です』
『そうか……そういうこともあるな』
事実を告げられたモンスターはうんうんと頷いていた。その穏やかな、それでいて細めた目からは憂いのような青さが滲んでいた。
戸事の勘違いでなければ彼はショックを受けていることとなる。まさかそんなありえないだろう、体格差を考えてみてもどうだって無理がある。何がとは言わないが無理なものは無理なのだ。
「ねぇ……あんたよくモテるわね」
「そうですか? ……あー、そうかもしれないですね」
戸事の話へ舞は他人事のように言う。辛、六波羅、そして恐らく新堂も憎らしくは思っていない。そこへモンスターまでとなれば両手どころではない引っ張りだこ、あまり羨ましくはないが顔が特別いい訳でもないのに何故と思ってしまう。
それはそれとしてある疑問が頭から離れず、戸事は再度声をひそめて尋ねる。
「……一応求愛されてるのよね? なんか首飛びそうだけどいいのよね?」
「いいんじゃないですか? 吸血鬼だって獲物の血を吸う前に傷つけるって言いますし、身長差だってアンコウに比べれば常識の範囲内だと思いますよ」
例え話に空想上の生き物を持ってくるのはどうなのだろうか、そもそも求愛行動ではなく捕食である。そしてもうひとつは魚類だ、せめて哺乳類ならばどうにか頷けたというのに。
戸事はそれ以上考えることを止めた。どうせ何があっても照準は舞に向けられているのだ、誰になんと言われようと少女のせいに出来るしその少女自体が他人にとやかく言われた程度で折れるたまじゃない。このままモンスターの花嫁として連れ去られたところで……いやそれは困るか、と思い直す。
そこそこ気に入っているのだ、今更手放すことは少しだけ、ほんの少しだけ惜しい気持ちがあった。今ならまだまだどうにか出来るかもしれないといっそう気持ちを入れ直す。
そんな戸事の天邪鬼な気持ちをぶち壊したのもまた舞だった。
「そんなにダンジョンが怖いなら地上に来る? 婚姻関係結んででも安全圏が欲しかったんでしょ、案内くらいならしてあげるわ」
「ちょっと! ……また適当なこと言って。後でどうなっても知らないからね」
戸事は咎めるが、直ぐにその言葉は勢いを失っていた。新人の舞にモンスターを地上に案内する権限などないのだが、既に相手は地上の存在を知ってしまった身である。話が拗れて侵攻となる方が被害が大きいと思ったからだ。
侵攻したとて恐らく人類が勝つだろう。化学兵器をふんだんに使い周りの被害を考えなければの話だが。その後どうなるか、その時自分たちがどうなってしまうかを想定するならば穏便に事を進めた方がマシというものである。




