恐れていた事 3
ただそんなこと今は関係なく、大事なのは銘への敵意を無くすこと、もしくはその理由を探ること、そのためにモンスターと膝を付き合わしての交流をしているのだ。
舞の微笑が癪に触ったのか、彼は慣れないたばこをもうひと吸いする。肺の大きさが違うのは明確で、人間用の小さなパイプでは直ぐに燃え尽きてしまう、吸い方が悪いこともあり今度はむせる程の煙もたたず違和感に不思議そうな顔をしていた。
まるで上手くいかない子供のようであり、そこが可愛らしい、舞は仕方ないと微笑みながら手を伸ばして返却を促していた。
『これはなんだ?』
突然脳髄を揺さぶるような鐘の音が響く。耳から鼓膜を震わせるのではなく、直接脳みそに刻みつけられたような感覚は誰もが不快感を抱くものだろう。
驚き固まる舞の手にゆっくりと、硝子細工を置くようにパイプが手渡される。木の感触と少しだけ軽くなった、それでも指が沈むような重さも今の舞には届かず、数秒たってようやくエンジンがかかったオンボロ車ののように身体が動き出す。
「喋れたならそう言いなさいよ」
『すまない。こちらの意思しか伝わらないのだ』
「あ、そういうこと……」
脳みそを揺さぶられながら納得したように舞は頷く。
テレパシー、もしくは統一言語。大雑把に言ってしまえば身振り手振りと変わらないものである、それを自分が理解しやすいように言語化しているだけであった。だから細かいニュアンスに違いが出てしまうのだがそこは脳みそがだいたい補完してくれるため大きく外れた理解にはならない。
当然言葉も発せずに、身体すら動かさず意思をダイレクトに伝えるなどできるはずも無い。不思議な現象は全て魔法とダンジョンという言葉でかたが着くのだから便利なものである。
……むぅ。
魔法を使えない舞にとって一方通行の対話であることに不満を持っていた。向こうは言いたい事を言うだけ言えるのにこちらはない頭と身体を動かして意思を伝えなければならないとはなんと不公平なのだろうと。
だからといって対話を止める選択肢はない。舞はパイプの中を捨てながら天敵を前にした鼠のように端で小さくまとまっている集団に目をやり、その中の一人に照準を向けていた。
「戸事さーん、ちょいとこっち来て」
「……私? ……私なのね」
呼ばれた方は左右に目をやり、名指しなのだ、当然他に同姓などいるはずもなく、生贄に選ばれたような感情を抱いたまま大人しく前へと進む。ここで颯爽と駆けつけ止めてくれる王子様など現れる様子はなく、その背中は死地へと赴く兵士のようでもあった。
「……来たわよ」
心底嫌そうな声を出すと舞は地面を2度叩く。ここに座れということなのだろう、それ以上の説明を求めても答えなど返ってくるはずもないと諦め戸事はゆっくりと腰を下ろしていた。
小さく焼け焦げた土の上、胡坐をかいて座る戸事は恨みがましく舞を見つめるがどこ吹く風、舞は意に介さず言う。
「戸事さん、ちょっと魔法使ってほしいんですけど」
「魔法……ね。何が欲しいの?」
「いや物じゃなくてその人に言いたいことを伝えてほしいんです」
……。
沈黙。
やったこともやろうとしたこともないことをやれと言われれば黙ってしまうのも当然のである。それでも無理といって聞く相手ではないのだ、最低限トライするまで納得することがないことぐらいわかってしまう程度には相手のことが解っていた。
戸事は急に重くなった頭をもたげて、
「……要はスピーカーになれってことね」
「どちらかと言えば翻訳機ですかね」
たいして重要ではない訂正をする舞に苛立ちを顕にしながら戸事は正面を向く。
そこにはスナック感覚でまるかじりできそうな巨体を超える巨漢がいた。急に現れた戸事を興味深く覗く瞳は至宝の水晶のように澄んでいて、吸いこまれそうなほどに奥が覗けない。ただでさえ人見知りな戸事にとって決して居心地の良いものではなく、震えずに済んでいるだけ成長した証、いやこの状況で何をしてもどうにもならない諦観がそうさせているにすぎなかった。
このままぬいぐるみのようにじっとしていて何が悪いというのか、そんな事を考えていても実行に移す勇気もなく、むしろ目に見えない制限時間のようなものが荒いやすりにかけられたようにゴリゴリと削られていく幻聴が耳を打つようで、戸事は覚悟を決めて見据える。やり方など教わった訳もなく、むしろ非常に曖昧な注文なれど舞の言うことだ、出来ないことはないのだろうという根拠の無い信頼があった。
魔法とは何か、その真髄を戸事は知らない。それでも使えているのは出来ると信じているから、当たり前のことは当たり前にできるように強く信じ込めば文字通りなんでも出来る、それが魔法なのだと解釈していた。
断片的に情報を拾い要望を形にする。きっと恐らく言葉が通じないのだろう、それを魔法でどうにかして欲しいと。それがどれほど難題かは脇に置いておくとしてやって出来ないことはない。大昔の日本人だって言葉の違う外国人と貿易ができたのだ、むしろ魔法というツールがあるだけ何倍も有利なのだから。




