恐れていた事 2
とはいえ、とはいえだ。解決策など持ち合わせていない舞のせいで先程までとは違った緊張感が漂っていた。モンスター側ではその強さを測りあぐね、銘は巻き込んではいけないと軽率な行動を取れずにいた。最強の矛と盾に挟まれた豆腐、誰よりも弱いはずの存在が今だけは輝き、場を支配していた。
……あ、もしかして。
ここぞという場面で悪知恵が働くからこそ厄介であり、舞らしさでもある。彼女からしてみれば理由を図り知ることはできないが、両者身動きが取れないという事実を知ってにんまりと底意地の悪い笑みを浮かべていた。
「仕方ないわねぇ。言い分なら聞いてあげるから双方攻撃の手を下ろしなさい」
やれやれと首を振りながら舞は言う。勘違いもここまで来ると鬱陶しくもあるのだが、話を聞いていた銘は呆れたように目を半分閉じて、
「馬鹿姉ぇ、言葉通じてないから意味ないよ」
至極まっとうな意見を口にしていた。
当然と言えば当然のことである。モンスターにはモンスターそれぞれの言語があり、舞のよく知る山ゴブリンですら日本語は話せない。見た目が人間よりだからと言って日本語、いや世界中の言語のどれかを話せるとは限らないのだ。
そんな当たり前のことで横やりを入れられ、しかし舞はめげず、ただ不満そうに頬を膨らませてモンスターのほうへと向く。それだけでなく二歩三歩と近づいてついには一歩踏み出せば潰されるやもという距離まで来ていた。
改めて見てみるとその大きさは驚くべきものであった。信号機より少し低いくらいだろうか、ヨーロッパの俳優のように整った顔は若干の差異はあれど皆美形と評されること間違いない。かのマルコポーロが見たのではないかというほど煌びやかな黄金の鎧を身に着け、その隙間からはこれまた金襴緞子をあしらった鎧下が顔を覗かせている。ただそのさらに下、鎧などただの拘束具でしかないように思えるほど膨れ上がった筋肉が見るものを震え上がらせるほどの威圧感を醸していた。
……首いてぇ。
見上げながら舞は思う。緊張の欠けらも無いがほぼ垂直に上を向いていたならその感想も致し方ない。それならば離れるだけでいいのだが、相手の懐に入らずして意思疎通は図れず、仕方なしという顔をして舞は胡座をかいて地面に腰を下ろしていた。
言葉とはコミュニケーションとして必要でありながら、その実非常に欠陥が多い。言語にはそれを裏づける背景、文化がありそれを理解せずして話を進めれば礼儀が欠けると見なされてしまうからだ。どれだけ手練手管に長けていようとも、そも言葉が伝わらなければ意味がなく必要以上に盛られた言葉には誠意が乗らない。
ならばどうするかを舞は知っていた。1度山ゴブリン相手に通った道である、経験があったのだ。
薄汚れたポーチからパイプを取り出し慣れた手つきでたばこ葉を詰めていく。ものの1分でみっちりと盛られた葉に火をつけて、数度息を吸えば甘酸っぱい果物のような香りが立ち上る。
それは1人楽しむための道具ではない、何をしているのだというモンスターの目に映るよう舞は咥えていたパイプから口を離し、吸口を相手に向けて差し出していた。
吸え、と。
舌なめずりする笑みではなく恍惚に蕩けた緩い笑顔に害意などなく、見た目矮小な存在に騎士が引くわけにもいかず、モンスターの一体は誘われるがまま腰を下ろす。
パイプを手に取るがそれはあまりに小さく、飴細工のように噛み砕かれてしまいそうなほど、それを器用に咥えて舞の仕草を真似する。
直後。
「――っ、んんっ!」
葉を真っ赤に燃やして勢い良く吸い込んだのだろう、モンスターは盛大にむせるがそれを声に出さず喉で抑えていた。
喫煙という文化がないのだろう、異物を喉に通せばどうなるかという見本のような反応におかしくなって舞は背中を震わせる。ただそれがいけなかったようで、敵対行動と見なされたのだろう、後ろで控えていたモンスター達の矛先が舞へと集中していた。
「アリィラ!」
一喝。
未踏の泉のように澄んだ、鋭く冷たい声が放たれると電流に当たったかの如くモンスターは身をすくめる。何かと矢面に立っている彼はリーダー格のようで、彼の命令には絶対らしい。
……へぇ。
半ば感心したように舞は浅く笑みを浮かべる。モンスターにおいて縦社会を形成していることは珍しくない。最弱とされる山ゴブリンですら群れを率いるリーダーはいるのだ。より強いものなら言わずもがな、という訳もなく、むしろ強ければ強いほど単独での行動を好む。何故かは解明されていないが比較的隘路の多いダンジョンにおいて大きいということはそれだけ窮屈であり、そんなものが群がって生活していれば身動きも取れず食糧にも困窮する。利便性という観点から見れば理にかなっているため、そういう傾向にあるのだろうという説が主流だった。
もちろん何事にも例外があるように、強くとも群れるモンスターもいる。が、高度に連携を取り作戦まで考えるというものはなかなかに少なく、それだけ厄介ということでもあった。




