はじまりの地へ 8
扉の先は日本家屋だった。
冗談や酔狂で言っている訳ではない、畳があり炬燵がある、障子に土間、羽釜が2つ備わった石の竈と、先程までの先進的なデザインを見てからだと時が巻き戻ったような昭和の景色が広がっていた。
その炬燵に、天板に顎を乗せ、何も映っていないブラウン管テレビを眺めていた少女がいた。寝ている様子はないが手持ち無沙汰に飽きているようで、半分休眠しているかのようにとろけた目でゆっくりと来訪者を見ていた。
来訪者は1人を除き驚きを隠せずにいた。どんな前例を探ったとしてもダンジョンの中に日本家屋はない、それどころか小学生程度に見える少女が1人で寛いでいるなどあってはならない事だった。
質の悪い冗談のような状況は、どっきりであることを願ってしまうほど、しかし現実であることは疑いようがなく、それでも信じられないものは目を背けていた。
どこかで見た面影のある少女は半分未覚醒のまま左から順に視線を回す。ひとりひとりと値踏みするように見つめる部屋の主は、同じような体型の少女に目を留めると一転破顔して、
「あー! お姉ちゃんだ」
もどかしい動きで炬燵から飛び出ると、潰れた右足を引きずるようにして近づいていた。
その光景があまりにも痛々しく、血は垂れていないにしても引き裂かれた筋繊維が顔をのぞかせており、少しひねればそのままちぎれてしまいそうなほど。出来の悪いホラー映画を見ているような、近づく少女へ嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
エレベーターの中、いやその前からやけにおとなしかった舞の表情は月夜のように暗く、それでも無理して作った笑顔が寒々しい。横から見ていた辛が心配して肩に手を添えると、濡れた猫のように震えていた。
「……大丈夫?」
「……」
答えはない、いや答えない。または答える余裕がないのか。
明らかに正常ではない舞を他所に、片足が損傷した少女、夜巡 銘は転びそうになりながらも懸命に姉の元へと駆けていた。となれば座位では見えなかったところも見えるというものである。
悶絶しそうなほどの大怪我は何も足だけにとどまった話ではなかった。色褪せたキャラクターもののTシャツには胸部から腹部にかけて血で固まった傷跡が透けて見えており、左手にはひび割れたような痕がある。出血量だけ見ても生きていることさえ不思議に思えてしまうほどの大怪我であるにも関わらず、痛みを知らぬかのように銘は笑顔を絶やす様子はなかった。
愛しの姉のもとへあと数歩、感動的にも感じる場面で銘が足を止めていた。そこには躊躇いなどなく、傷だらけの両手を広げて迎える用意があった。歩み寄ったのだからそちらも、という意味なのだろう。
舞は選択を迫られていたが、直ぐに前へと進む。解けるように置いていかれた辛の手へ目を向けることなく、包み込もうとする銘の腕の中へふらふらと夢遊病のように進んでいく。
あと1歩、その時だった。
「――銘」
銀光が煌めく。舞の手には隠し持っていたナイフが握られていて、それが真っ直ぐ銘の眉間へと走っていた。
突然の凶行へ誰も反応出来ずにいた。まさか自分の妹へ殺意を抱いているなど考えつくはずもなく、しかし、
「――っのバカ姉!」
誰がどう見ても当たるはずだったナイフは届く寸前で見えない壁に阻まれ弾かれる。そして大きく振りかぶった銘の平手が、何が起きたのか分からず惚ける舞の頬を捉えていた。
「この度はうちの姉が大変失礼をしました」
波平同様、ダンジョンコアと一体化している銘が、畳の上で土下座していた。よく見れば確かに姉妹である面影がある一方で、その性格はあまりにかけ離れているものだった。
礼儀正しく口も悪くない、目上に対する敬意も感じられるが、見た目10歳にも届かない女児が土下座しているという状況に大人達は居心地悪く顔を顰めていた。
その原因となった舞は頭を強く振ったのだろう、意識なく漆喰の壁側に捨てられていた。黙っていれば場に彩りを与える花にもなろうが、起きてしまえば場を荒らすだけの嵐となるため、起こそうとするものはいなかった。
「えっと……銘ちゃんだっけ? とりあえず頭あげようか」
とうとういたたまれなさの限界が来た新堂が優しく声をかける。子供を囲むように立つ大人という構図は悪人のそれであり、何より他に語り合うべきことを優先するほうが時間の有効活用だからだ。
銘はなおもすみませんと頭を下げながら立ち上がる。そして8人ほどがゆうに座れる炬燵に案内すると、旅館の女将さながらに手を叩く。やや古臭い所作のあと、障子がひとりでに開くと、そこには女性が膝をついて座っていた。
軽い会釈のあと、おぼんを持って湯呑みを配膳していく。急須を傾けると馴染みのある薄緑の液体が湯気を立てて注がれていくが、なにぶん人数が多すぎた、直ぐに空となり女性は口を開く。
「うわっ!?」
新堂が驚き声を上げるのも無理はない。普通口を開いたなら言葉が出るものと想像するが、実際出てきたのは急須から注がれたものと同じ液体、なぜ1度わざわざ急須を経由するのかも分からないが、その光景を見てしまえば最初に注がれた液体の出処も想像してしまうというもの、その手の特殊性癖でもなければ手を伸ばすことを躊躇してしまう。




