はじまりの地へ 1
い号ダンジョン。
そこは世界最大級のダンジョンであり、同時に攻略最難関のダンジョンでもあった。
判明しているだけでも20層を超え、その深さは1000メートルにも及ぶ。基本的にダンジョンはひとつのコンセプトに従って作られるが、そのルールに当てはまらないところも最難関である所以だった。
火竜荒れ狂う火山がある。
一面大海のフロアがある。
止まぬ大雪の吹雪くフロアがある。
人知を超えたマシンが守る機械都市がある。
ひとたび足を踏み入れればその異質さ、過酷さを体感するだろう。10年という積み重ねはそこに何があるかを伝えるには十分だが、どの程度驚異であるかを伝えるにはあまりに短すぎた。映像機器もろくに使えないのだから尚更である。
現在管理は自衛隊、または特別に許されたハンターが入場していた。それでも安全に行けるところは半分程度、いまだ成長を止めないダンジョンを攻略するには人間の持つポテンシャルでは足らないというところまで来ていた。
その中でも別格とされているのが最古参のハンター、薬師丸 雨生である。彼は唯一ダンジョンコアのある場所まで行ける人間として定期的にい号ダンジョンでの探索を行っていた。
そしてそれはダンジョン管理が民間へと移行しても変わらぬものとなっていた。
「――で、一緒に潜りたいと?」
都内、葛飾区。公益社団法人ダンジョンワーカーの一室、応接室となっている部屋に薬師丸はいた。
社内で一等上品なソファーに座る彼はその大きな身体を深く沈めて目の前の少女を見る。その後ろ、立位で見守るのは複数の男女であった。
「いや別についてこいなんて言ってないよ。ただ銘のいるコアルームまでの近道を教えてほしいってだけ」
客人に対して横柄な口調で話すのは少女、舞である。彼女もソファーに座り、床につかない足をふらふらと揺らしていた。
ひとつ、ため息が漏れる。
「メリットがない」
「世話になってる人間が里帰りしたいってだけなのにメリットとかちっこいこと言ってるんじゃないわよ」
薬師丸とはいえその身ひとつで商売をする一人親方である。そんな彼に対して一歩も引かず舞は客に出されたはずの茶をすすっていた。
そして、一服。本来禁煙なはずの屋内であっても彼女を止めるものはない。
なぜこんなことになったのかと言えば、正式にい号ダンジョンが民間、ダンジョンワーカーへの譲渡が決まったからであり、その委託契約に薬師丸が呼ばれたからであった。本来ならば総務部と経理部で書類を記入して終わりという、簡単な事務手続きをして帰宅になるところをたまたま通りかかった舞が見つけて近くの応接室に連れ込んだというのが現在の状況であった。
振り切り断ることもできたのだが、舞が新作のブレンドができたと足を止めさせたのが運の尽き、一服している間に人が集まり身勝手な要求をされたというのがここまでの流れだった。
その要求というのが、い号ダンジョンに人事部のみんなで潜るというもの。名目としては事前視察だが、本当の目的は銘と、そのダンジョンネットワーク上にいる波平と会話するというのだから案内役をしろと言われていると勘違いしても仕方がなかった。
よくあることなのだ、将来の職業にハンターを希望するものへ先達が連れ添って小さなダンジョンに潜るということは。ありていに言えば職場見学、または思い出作り。まだ一般人には縁遠い存在のダンジョンだが興味を持つものがいないわけではなく、薬師丸も数回講師として若人を連れ歩いたこともあった。
今後のことを思えばハンターの育成は急務である。しかし日本にはまだ職業選択の自由があるため人材育成ははかどらず、熟練と言われるハンターにも後進を育てることは半ば義務という風潮すらあった。
が、ダンジョンワーカーは違う。経験者揃いであり、保有するダンジョンも企業の中では世界一。ならばしっかりとした契約のもと報酬を決めて案内することは薬師丸も反対ではない。しかし舞はその情報だけをかすめ取ろうとしているのだから反感を買うことも必至であった。
縁があろうとそれとこれは別問題。一度許してしまえばどこまでも甘えられる可能性があるため、ハンターとして薬師丸がうなずくことはあり得なかった。
「ダメなもんはダメだ。それにショートカットって言っても危ないところを通る必要はあるんだ、今のお前らじゃ行ったところで死にに行くようなもんだぞ」
「へぇ、ショートカットはあるんだ。どこからどこに行けるの?」
相変わらず人の話を聞かない小娘である。
もはやため息すら出ない薬師丸は、これ以上は時間の無駄だと立ち上がる。はらはらと事の成り行きを見守る人を横目に扉へと手をかけた時だった。
「――あ、エミちゃんから連絡来てたよ。最近店に顔出さないから心配してるってさ。それと駅前のキャバクラに足繁く通ってるみたいじゃん。鞍替えするならエミちゃんに言っておこうか?」
薬師丸の手がピタと止まる。伏せられた顔からはその表情を窺い知ることは出来ないが、文脈から判断した女性陣の目つきが変わっていた。




