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初仕事3

「パ――いったっ!?」

 口を開いた直後、新堂が喚きながら飛び上がる。スラックスを握っていたはずの舞の手が、その先にある皮膚を捻りあげていたからだ。

 (もだ)える男性をよそに、舞は老人の前に立つ。少し腰の曲がった彼はそれでも顔1つ分舞よりも背が高く、

「おじいちゃん、ごめんなさい。パパが怒らせるようなことを言って」

 見上げる少女は見た目相応の声を出していた。

「……なんだ、この子は」

「新堂 舞と言います。今日はパパのお手伝いをしてるんです」

 背後で患部をさする新堂の目線が後頭部に突き刺さるが、舞は無視していた。

「……お嬢ちゃん、いくつだい?」

「11歳になりました」

「……お前さん、こんな小さな子を連れまわして――」

 老人の冷たい視線が新堂に向く。必死に否定しようとする彼の姿を遮るように舞は立ちふさがり、握手のように手を取りながらこの後の話の流れを構築していた。

 蓮田(はすだ) (げん)。この家主であり年金暮らしの72歳。既に配偶者は他界していて、3人の子供はいるが全員市外に住んでいて同居人はいない。新堂へ渡された資料に書かれていたことから重要そうな情報を脳内で復唱し、

 ……これで十分。

 多分何とかなるだろうと、舞は目に憂いを浮かべていた。

「パパは悪くないんです。ずっと独りでおうちにいたくないって私がわがままを言ったから……」

「……学校は」

「今は春休みで。ママは私を産んですぐに……パパは仕事とおうちのことで忙しいってわかってるんだけど、1日くらい一緒にお出かけしたくて……本当にごめんなさい」

 銀幕の主演女優のように言葉に熱がこもる。感極まって上擦った声に、蓮田の握る手に力がこもっていた。

 ギリッと切れ味のいい目つきが新堂を射抜く。

「娘さんがいるって言うのによくもあんな恥ずかしい格好を見せられるな」

「いや、あの……はい」

 責める言葉に、お得意のしどろもどろが飛び出す。ただこの状況を否定しないだけの分別はあった。

 今どんな顔をしているのだろうかと、振り返りたい欲求に抗いながら舞は最後の仕上げに入る。

「おじいちゃん、もう嫌なことはしないから調査っていうのだけはさせてください。そうしたらパパも会社で怒られなくて済むの」

「……」

 固く結んだ手から感情が舞に流れ込む。躊躇(ためら)い、迷い、しかし拒絶の色はなかった。

「……わかった。調査だけなら何回か来てるからな、それは許可しよう」

「ほんと? おじいちゃん大好き!」

 舞は無垢(むく)な子供のように抱きついた。細い枯れ木の身体に手を回し、無邪気そうに密着する。

 ……ちょろいわ。

 誰にも見えないその表情は、憎たらしく(ゆが)んでいた。

 絶対の自信があった訳ではない為、上手く行ったことに笑いが隠せない。あのやる気のない上司も少しは見直したかなと考えながら、舞は手を緩めて反転し、老人よりも更に細い男の元へと駆け寄っていた。

 また抱きつき、

「パパ、良かったね!」

「あぁ……そうだな。ありがとう、舞」

 痩せた腹に顔を押し付ける舞を、新堂は手を伸ばして髪を()く。

 麗しき家族愛、その裏で、

「交渉って言うのはこういう風にやるんですよ、先輩」

「後で見てろよ」

「そんなこと言っていいんですか? 交番の前で防犯ブザー鳴らしてもいいんですよ?」

「それは反則だろ」

「ならせめて有能な部下をねぎらったらどうですか?」

「なんだ、おもちゃでも買ってほしいのか?」

 ひそひそと、小さなマウントの取り合いに精を出していた。

 ……さて、と。

 仮初の父親から離れこの後のことを考える。現在時刻は16時をゆうに過ぎていて、終業時間まで1時間程度しかない。そんな事を律儀に守る必要もないだろうが、まさか初日から残業になるとは思っていなかった。

 調査にどれほど時間がかかるのか、そもそも調査とは何をするものなのか、舞は知らない。あの新堂が出来ることなのだから簡単であるはずだけれど、どれほど時間を要するものなのかは計り知れない。

 それに、他の要因があるならば、さらに話が別だ。

「パパ、調査って今から出来るの?」

 舞が問う。お互い全身に鳥肌を立てながら、それでも忠実に設定を守っていた。

「出来るっちゃ出来るんだけど――」

「ど?」

「林の中で暗くなると、な。仮にモンスターが外に出てきていたら対処のしようもないし」

 当然の危惧を口にしながら、新堂が眉をひそめていた。

 モンスターだからと言って特別夜目がきくという訳ではない。しかし物音に対して攻撃的というだけで人間にとっては大敵だった。それこそ全身凶器の熊と出会うようなものだ。

 舞も思案するが、これといって有効打は簡単には思いつかないでいた。工事現場にあるような巨大な照明が大量にあれば危険は少なくなるが、それはただのない物ねだりにすぎない。

 リスクに目を(つむ)り仕事を完遂するか、一度帰るか。はたまた近くのビジネスホテルに泊まり、翌朝片づけてから帰るか。どれを選択するにしても、決定権は舞にはなかった。

「パパ……」

 舞が返答を促す。こういう時のマニュアルくらいはあるだろうと期待して。

 が、返ってきたのは言葉ではなく非常に渋い表情だった。深読みすればするほどどうとでも取れてしまうが、分かったことは、

 ……このポンコツ! ダメ男! ヒモニート!

 あらん限りの罵倒(ばとう)を並べる。方針さえ決まっているならばどうとでもやり方を考えられるが、肝心のところが未定では動きようがなかった。

「ちょっと部長に確認するから待ってろ」

「はーい」

 新堂はスマホを振り、背を向ける。硬質のガラス面に指を()わせると、数秒おいて耳に当てる。

「お疲れ様です……はい……いやまだ……はい」

 風が吹けば消えそうな小声で何かを話している。その丸まった背中が何度も上下する様子を、舞は手持ち無沙汰になりながら見つめていた。

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