精霊は可愛らしく賢いものだ
遠慮なく聖樹の枝に足をかけプラタナスに似た葉をかき分けると、柘榴のような大人の握りこぶしサイズの実がいくつかあらわれた。こぶりなその実は柘榴と異なり、外皮が自然に割れることはないが、龍のツメにかかれば問題はないだろう。
「そっか、聖樹だった。世界樹ってなんだよ」
うーん、これは私の方の記憶だな。実際に見たんじゃなくて、ゲームや神話に出てきてた。めちゃくちゃデカくて、世界に唯一の大樹なんだよね。それで、その星を守ったり、命の母なんて更年期の薬みたいな異名で呼ばれたりするんだ。
だから私が知ってる世界樹は、現実に生えている木じゃなかったんだよ。
「この大陸では妖精の木で、妖精の果実なんだね」
「我も幾らか納めたものよ」
「ギルドで売ったのかー。えっ!? 蘇生はできないでしょ!」
龍の記憶では果実一つで寿命が延びるだの、亡くなった命が蘇るだの、間違いだらけの情報がまかり通っていたみたいだ。そんな間違いも正す者がいないんだから、ギルドではバカみたいな買取額で、王侯貴族たちがこぞって採取依頼をしていたのだ。
「うむ」
うむじゃないよ、それって詐欺でしょ。そんなのを龍の特権で卸したら市場は大混乱だし! バカみたいな量を納めてないからまだマシだっただけじゃん。
帝国ではこの実一つで屋敷が建つって言われているじゃないか。
「詐欺とはなんだ。魔力が上がるし、病も治るではないか」
そうか、死病も治すから生き返ると信じられてるのかな。ん? 果実を食した大神官の魔力が上がって、奇跡とも言われる蘇生魔術を発動したことが実際にあったと。
千年近く前だから古文書に書かれていて、伝説のように言い伝えられてるのか。
「龍はさー、もうちょっと物の価値を気にしたほうがいいよね」
なんかずっと龍って呼び続けるのもおかしいかな。
「ねぇ、龍のことはルーって呼んでいい?」
豆太もそう呼んでいるし、いまさら龍らしい格好いい名前ってのも、似合わなすぎて違和感があるんだから仕方ないね。
「構わぬ」
「いや、即答かよ! そんなんだから帝国がつけ上がったんじゃないの〜?」
「弱小なものになんと呼ばれようとも、我は不快にはならぬ」
無駄に偉そうだし、言い回しがいちいち気にさわるわ。余計な争いを生むようなことは、なるべくしないでもらえませんかね。こっちが不愉快になるんで!
「チカ、マニェータも名付ける気か?」
そうだった。豆太って、私の聞き間違いだったとは! そっか、だから声に出して豆太と呼ばなかったのかぁ。
果肉の粒を口に放り込みながら、命名のリスクについて思い出す。聖樹の実は手でもかんたんに皮が剥けたが、ルーの力が強すぎるせいかも知れない。柘榴の果肉には、そのひと粒ごとに種があって、食べにくかった思い出があるんだけど、これは舌と上顎で潰しても種が口に残らなかった。
「るぅ! はやいよ。おいてかないでよ!」
仔馬が鼻息も荒くブルルと嘶く。まぁ実際のところはピルピルと可愛いものだが。
「あぁ、ごめんなさい」
いや、敬語はいらないか。精霊相手だもんな、普通でいいんだった。
「マニェータよ。そなたは名を欲するか?」
「おなまえ! ほちい、ほちい!」
「では、小さき馬のマニェータよ。そなたの名は豆太とする」
「ちょっと、ルー! 勝手にしたらダメでしょ」
メッチャ跳ねまわって喜んでたのに、豆太って言ったとたん黙っちゃったじゃん。さすがに聞き間違えた本人としては気まずいことこの上ないわ〜。
「うわ〜い! おなまえだぁ。まめちゃだぁ」
ぷるぷる震えていた豆太は、嬉しさいっぱいといったようすで跳ねまわっている。
「豆太は豆太でいいの?」
「まめたは、まめちゃがいいの! うれしい、うれしい。るぅからもらったのよ。おなまえよ!」
「豆太はカワユイな」
「じいちゃんかよっ!」
私のことはお前って言ってたのに、豆太に対してはそなたって呼びかけたよ。差をつけ過ぎじゃない?
「精霊はいるだけで土地を潤す。だが人は目を離すとすぐに枯らすばかりであろう?」
そんなこともないと思うけど。ほら、魔素の循環と精霊の成長には人との関わりが必須だし?
「魔素だけならばドラゴンだけでも代わりにはなるが?」
「たしかにあのブレスだけでも、かなりの魔素を消費するけどさぁ。ルーだって人が作るおやつとか、めっちゃ気に入ってたんでしょう?」
「あぁ、幾らかは取っておいたな」
ルーは手のひらに卵ボーロのようなものを五粒ほど乗せて、ひと粒口に運ぶ。
「甘っ!」「うまいな」
ちょっと! 勝手にこんなの口に入れないでよ。ただの砂糖の塊じゃん。それにどっから出したのさ…………そうだ、亜空間収納に問題があるわけないんだった。王宮では必要のない知識をだいぶ植え付けられたみたいだね。
龍の持ち物がそう簡単にロストなんてするものか。生じて以来、溜めに溜め込んだお宝が眠っているんだぞ。
「死んだら倉庫の所持品がロストするのは人だけであるな」
「それをダンジョンの宝箱に入れて再利用してるんだから、精霊たちもなかなかアコギな商売をしてるよね」
ハンターや商人など多くの荷物を運ぶ必要がある職業や、魔力の高い王侯貴族で貴重品を自分で管理していた者が亡くなると、亜空間収納内にある所持品は精霊たちのものになる。
そしてダンジョンに潜ったハンターたちが宝箱から得る戦利品は、大抵がそれの使いまわしなのだ。
「荷物を無償で預かっているのだ。そのくらいは問題なかろう」
まったく、龍は精霊に極甘だよな。それを餌に魔術を使う者たちを集めてるんじゃないか。
「そのようなことより、今夜の寝床をどうするのだ?」
「たしかに。でも逃げた先が龍の棲家なんて上出来だよ」
ここは大陸の南東にある半島で、三方が海に囲まれてはいるがかなり広大な土地だ。しかし、唯一大陸と繋がる北側は越えられる者がいない山脈が連なっていて、巨大な魔物がうじゃうじゃと巣食う海原にはどこにも海路が存在しないため、陸の孤島であることで有名なのだ。
人が踏み入れたことがない未開の地は生き物たちの楽園で、精霊たちの避難場所にもなっている。
半島の中心近くであるこの地に生えている聖樹は、樹高百メートルを軽く超えており、大陸中を探してもたった数本しかない貴重な種で、天を支えていると言い伝えられている。その実は病を癒やす力があり、調合次第では命すら取り戻せると信じられているのだ。
まぁ、それは龍の知識からすれば残念ながら迷信である。失った命を戻すには、それなりの条件と神に等しい力が必要不可欠なのだ。それに聖樹は精霊が棲む世界に生えていて、たまにこちらに姿をあらわすだけだ。同じ場所に行っても見つからず、樹高が高いため簡単には採れない。果実が貴重なのはそのためだ。
「ここにポータルを置いてもいいのかもね〜」
「豆太は聖樹とともにこちら側へ来たのであろうな」
ポータルとは青ダヌキの便利なドアのようなものだ。この大陸のどこにでも門を創り、精霊界を介して移動できる。
美味い菓子を作る料理人や、ここでの暮らしに協力する者たちがいないのだから、移動手段は重要だ。ベッドがないのも辛い。昔のように自然の洞窟に住まうには、我はながいこと王宮で暮らしていたし、混ざった意識がインドア派過ぎた。チカも野宿はハードルが高いらしい。
「不潔な場所での寝食などまっぴらです」
「それには我も同意する」
「まめちゃはどこでもねんねできるよ」
精霊は案外、神経が図太いんだな。
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