思い込みと偏見と
「そのように、意気消沈するようなことか?」
「ことですよ…………」
紛らわしいんだよ、侯爵家ェ……。言葉足らずなんだよ、私……。
自室に戻ってソファに座るも、先程の話に頭を抱えてしまう。ルーがさっそくお菓子を食べようとするが、いまはやめてくれ! 私は反省中なのだ。
いや、マジで閉じ込められていた屋敷の精霊を見つけた後、大暴れしたうえに惨殺ってことをしなくて良かった。侯爵家の敷地を、雑草も生えない更地にするところだったわ。
「精霊を苦しめたのだ、更地でも構わぬだろう」
「生きてるからマシって話でもないんだよ。侯爵の娘も、素行の悪いオッサンとは結婚したくないから、そこから免れるのに必死だったってことなのかな」
「我を狩る勢いで見ておったが」
「確かに」
まだ十代半ばで初婚なのに、父親と同年代の男の後妻や、問題のある家に嫁に出されるなんて地獄だし、あのときのルーの見た目は若くて貴族っぽいイケメンだったから、そんな人が訪ねてきたら救いの手だと思うよなぁ。
だとしても、その隣にシアさんが同席していたのは見えなかったのか?
「主人公が相手の浮気とかで婚約破棄されて、その相手がなんやかんやでザマァされる話って、けっこう好きで読んでたわ」
「わるいこは、めっなのよ」
「そうだね。悪いことしたら怒られるのは当然だよね」
こんなのはフィクションの物語だけだと思っていたけど、需要がなくなれば結婚の条件が厳しくなるのは、この国の貴族の間ではわりと普通のことなのね。
そして、貴族の方が男尊女卑の風潮が強いようだ。貴族女性たちは、何よりも嫡男を産むことを求められているらしいからね。
「結婚相手に若い子が望まれるのは、まだまだ高齢出産のリスクが高いからなんだろうな」
私が生まれた国は医療技術が発達していて、四十代でも出産する人がいたけれど、それなりのリスクが無くなることはなかった。
成長してからは、老老介護にはなりにくいかも知れないけれど、子が産まれる時期と親の介護が被る可能性があったよね。子どもの養育費がかかる時期に、親の介護に手がかかって働けないって聞いたことがあったな。
「っと、これはどうでもいい話だったわ」
そもそも、伯爵位が必要になったのは侯爵の娘が婚約を破棄されたからで、それがなかったら未だにシアさんの家には、継母たちが居座っていたことだろう。
侯爵家には跡継ぎである長男とスペアの次男がいて、二人ともすでに結婚している。侯爵家の領地は東の海側で、立地条件は悪くはないし、寂れた土地でもないらしい。
というわけで、娘の結婚に侯爵家の存続が掛かっていたとか、爵位が上の貴族との縁を必ず結ばなければいけないこともなかったと聞いた。
「まあ、他人目線の話だから鵜呑みにはできないけど、王城に立ち入り禁止にまでなっちゃったんだから、それなりに調査はされてるよね」
わりと気楽な婚約だったようだけど、特に問題もなく続いていたのに、結婚間近で破棄されるなんて寝耳に水だったのだろう。王妃主催の夜会での突然の婚約破棄宣言に、侯爵令嬢は婚約者とともに浮気相手の令嬢もコテンパンにやっつけたらしい。
「で、謹慎処分を言いつけられたと。まぁ、そのあたりは同情しなくもないけど、シアさんの母親の形見は渡せないな」
キャットファイトには勝ったけど、貴族としての幸せは遠のいちゃって、いま現在かなり焦ってるってことなんだろうな。
ちなみに相手方は王妃主催の場で問題を起こした為に、王族への不敬罪も加わり生涯王都への立ち入りを禁止されている。
それにより元婚約者とその浮気相手は、両家から縁を切られて屋敷から追い出されたことまでは王宮でも把握しているが、平民として暮らせているかはわからないし興味もないようだ。
「我も興味など沸かぬ」
「まめちゃも〜」
はいはい、それは私もだよ。そんなに首を上げ下げしたら、赤べこみたいになっちゃうぞ。
でも侯爵令嬢なんてマナーでガチガチな生活をしていそうな子が、王城でキャットファイトするなんて、『やるわね!』って感じだよ。
「とにかく、私は侯爵がサイテーで姪の物を泥棒するクズ野郎だと思ってたけど、そこまでじゃなかったよね」
「そうか? チカよ、そなた侯爵があの代官に圧力をかけたことを忘れてはおらぬか?」
「あっ! そうだったわ。あんな真似をしてまで、爵位が欲しかったんだっけ?」
「そなた、記憶を保持出来ぬのか?」
「失礼な! でもさぁ、私の脳みそって物理的に無いよね? ルーの頭を借りて――いえ、なんでもないです。ところで、屋敷の精霊を閉じ込めていた理由って何だと思う?」
バカにされたと感じたからか、勢い良く立ち上がってしまった。ルーは突然自分の体を動かされたのに、欠片も驚いた様子がない。ちょっと悔しくて憎まれ口を叩こうとしたが、寒気がしたので慌てて話を反らす。
「知らぬな」
ルーは興味がないと、細かいことは調べないのか?
「あの子が元からあの屋敷にいたのか見てよ」
「フム」
ソファにドサリと腰を下ろし沈黙していたルーが、口をへの字にして腕組みしている手に力がこもる。
「チカよ、これを見よ」
「んん? この人は誰だろう。へぇ? コイツ、精霊を売りに来たのか」
頭の中に浮かぶのは、あの客間で相対する侯爵と胡散臭い中年男だ。話が進むと傍らに置いた荷物をテーブルに出した。被せていた真っ黒な布を取り外すと、そこには小さな鳥かごの中に蹲る屋敷の精霊がいた。
どんな経緯で侯爵家にいたのかは、あの屋敷の精霊に聞くのが一番早かったんだけど、あの子はショックを受けていてあまり話してくれなかったんだよね。
「さすがに会話の内容まではわからないか」
「精霊がおらねば、聞こえようもない故な」
「そうそう都合よく精霊が通りかかったりはしないか」
精霊だって住み心地の良い場所に集まるよね。主がいるならまだしも、縁のない場所には近づかないか。
「侯爵には聞きたいことができたね」
「精霊を売り買いするなど許せぬ」
「わるいこはぼこすのよ!」
鼻息も荒く、豆太は空を蹄で削る。これは相当苛立っているな。
「精霊を捕まえて商売にしているなら、そこは完全に潰さなきゃ」
「仲間がおるのならば、それらも罰せねばならぬ」
罰するなんて言ってるけど、それは根絶やしにするって意味だと思うな。
それにしても、防犯用の精霊避けを逆に精霊を閉じ込めるために使うなんて、どこの世界にも正規の使用方法を守らない人っているんだな。応用力があるのは素晴らしいことだけど、悪用するなら因果応報と言わざるを得ない。
自らの行いで破滅するなら本望だろう。
「明日はシアさんを連れてナウナウに行くとして、侯爵はまだ王都にいるかな」
王都に戻って侯爵から精霊を売りつけた男の話を聞いて、シアさんにこれまで知った情報を伝えるでしょう。明日、ナウナウに行って手続きを済ませるとして、あの胡散臭い魔術師長は大人しくしてるかな? 説明してくれた官吏もすっごい睨んでたし。
「アヤツは我の顔に緊張しておったわ」
「威圧してないよね?」
「心拍数も上がっでおったな」
「動悸、息切れは病気のサインだよ」
あの人、そこまで年をとってるようには見えなかったし、肥満って感じでもなかったのに、事務職にありがちな運動不足だったのかもね。
「チカは化粧映えする顔立ちだった故、異性から懸想されたことが無かったのだな」
「何気に失礼だけど、化粧映えするなんて言い回し、よく知ってんね」
「チカが地味な顔立ちだと言われた際、そう言い返しておったのを見たのだ」
なんか腹立つなぁ。中途半端な記憶しか残ってないのに、なんでそんなどうでもいいヤツがピックアップされるわけ?
「とにかく、アヤツは我の顔を好いておっただけよ」
「あー! それね。普段はルーが認識阻害っぽい状態でいるからか、ウロコや異常に美しいことを忘れるんだよね」
あの場には精霊の主しかいなかったから、ルーも魔術を解除してたのかな。
「もう良いか? 豆太も待っておる」
私は自分の亜空間収納から、たぬきケーキが入った白い箱を出して開けた。中には茶色のたぬきが四匹並んで収まっている。アーモンドの耳にチョコペンで描いた目は少しだけ曲がっていて、狂気の目つきでこちらを見上げていた。
これは黒色の荷物泥棒からドロップしたスポンジケーキで、チョコが掛かっているにも関わらずルーが呪物かと敬遠した菓子である。
「子どもの頃はスプーンで食べてたけど、アルミホイルを掴んで頭からかじっても良いんだよ」
「たぬきという生き物は、チカの知識では掴みどころがない故、美味そうには思えぬのだが」
「るぅもてぃかも、おいちぃよ?」
口元をクリームとチョコだらけにして、豆太が美味いと頭を振る。たてがみも尻尾もふわふわと跳ねているのを見れば、ご機嫌なのは間違いないな。
「たぬきは人を化かすって言われてたし、妖怪もいたけど事実じゃないよ?」
このケーキの目の位置が、左右別の向きを見ているから怖いのであって、本当は子ども向けのお菓子なんだけどな。
ルーが渋っているが、紅茶葉伝のストレートを取り出してプルトップを開け、ケーキを口に入れる。
「美味いな」
即座に無糖の紅茶で口の中を洗う。私はバタークリームがあまり好きではないのだ。
「何をする。我は余韻を愉しんでおったのだぞ」
プンプンしながらルーがケーキ箱を確保する。残りも渡すように言われたので、三箱出した途端に亜空間収納にしまっていた。
「豆太に一箱あげなよ」
残り十四個をひとりで食べるのは辛すぎるので、豆太に先に渡しておくよう促す。一緒に食べるときには豆太にもあげるだろうから、私がバタークリームに苦しむ回数も、自ずと減るというものである。
「やはりチカは愚か者よ」
「なんて?」
「苦手ならば、我に与えねば良かったのだ」
「はっ!」
呪物として忘れられていた方が、私も無事に暮らせたのか! 無念なり。
「豆太にひと箱与えたところで、また何度でもドロップする故、そなたが食す機会も減りはせぬが?」
「そうだった!」
なんでこんなに迂闊なんだ。私は絶対に社会人だったはずなのに、こんな些細なことすら注意がまわらないなんて、まともな生活を送れていたんだろうか。自分が子ども部屋オバサンだったらどうしよう。
「そう落ち込むでない。たまにはそなたの好物である果実も、口にしてやろうではないか」
あまりにも私が落ち込むのでルーから譲歩の話が出たが、それはちょっと嬉しい。空腹に泣くことはないが、さすがに砂糖菓子だけで過ごすのは辛い。
たまにはみんなと一緒にスープやお肉を食べてみたかったのだ。
「まめちゃはねぇ、ちょこがいちばんおいちいとおもうのよ」
「さっきのケーキはどうだった?」
あれもチョコクリームでコーティングされているんだが。
「たにゅきはみたことないの! まめちゃはねぇ、おうまがしゅきなのよ。おうまのけぇきはないの?」
「うん、残念だけどお馬のケーキはまだ見たことがないねぇ」
豆太よ、私は味について訊ねたのだよ。正直、見てくれはどうでも良いのだがね。
「みんなでしゃがしゅ?」
「佐々木商店では売ってなかったねぇ」
なのちゃんだったら、クッキーやチョコペンとかで馬のお菓子を作れたかも知れないなぁ。
「七叶も近々こちらに来るであろうから、その際に作ればよかろう」
「………はあぁぁあ!?」
きょうはもう、シアさんへの説明だけで神経がすり減るから、余計なことを考えたくなかった!
「なんで? そんなことてきるの? いや、勝手なことしたら駄目! 七叶にも生活があるんだよ?」
「もう願っておる。あやつも乗り気であった故、そろそろ来ても良い頃合いなのだが」
「…………」
待って、待って! なのちゃんまでこっちに呼ばれちゃったら、両親の老後はどうなるの? てか、なのちゃん、若いのにもう寿命が来ちゃったわけ?
「なのちゃん……」
「チカが申したのだ。七叶は菓子づくりが上手いのであろう?」
私のせいだ。どうしよう。なのちゃんが殺されて、こっちの世界に連れて来られちゃうよ!




