母の思い出と新しい生活の始まり
今回とおった精霊界は、デートスポットに人気が出そうな色とりどりの花々に彩られた草原だったから、のんびり昼寝できたのなら気持ち良いだろう。
だけどあまりに長い時間、シアさんが精霊界に滞在するのは良くないので、故郷の空気を堪能している屋敷の精霊には悪いけど、わりとすぐに拠点に帰ってきた。
ルーは精霊相手になら、自分のうろこをすぐに与えるかと思っていたが、過度の魔素を一度に取り込むのは良くないらしく、聖樹の実をふた粒ほど含ませるに留まった。
「ここが私の家だよ。いまは私と人魚の家族しか使ってないから、空いてるところで好きな場所をシアさんの部屋にしようか」
「ありがとうございます」
ルーが邸の真ん前に出るポータルを開いたので、ついでにシアさんの部屋を決めてしまうことにした。
あわてて亜空間収納に預かった荷物を渡したいし、シアさんだってすべての遺品を確認したわけじゃないからね。自分の記憶と照らし合わせる時間が必要だろう。
それにトイレとかキッチンとか、場所や使い方がわからないと困るから、案内は早めにしてしまいたい。
邸を見上げていたシアさんの返事を聞いて、玄関に招き入れた。
「豆太は遊びに行っても大丈夫だけど、どうする?」
「らりゅしゅは?」
「シアといっしょにいる」
「じゃあ、まめちゃもいっちょにいりゅ〜」
相変わらずラルスは自分で動くことはせずに、シアさんがわざわざ持って周りを見せながら歩くのを、甘えるように受け入れている。これまでずっと動かずに暮らしていたからか、シアさんが荷物として腰に固定しても、されるがままで不満はないようだ。
ずっとそんな感じなので、シアさんから離れて豆太と遊びに行くのは心細く思うのかもね。
二体がちまちまと相談している姿を、ルーがニヤニヤしながら見ているのがなんとなくわかる。
「こっちは裏口があるだけで、庭とかはまだ整備してないんだ」
一階には使用人たちの部屋があって、夜はベッドで眠るので大部屋を人魚の家族が使っている。一人部屋もあるにはあったが、管理職についていた人が使っていたのか、それはふた部屋しかなかった。
廊下を挟んで四人部屋が五室ずつ並んでいて、その内の一室がラメトゥ一家の住まいになっている。
「この邸のトイレは魔石を使ってないから、洗浄は各自でしてね。シアさんは魔術を使えるけど、集落のトイレは魔石を使ってるんだよ」
あとは客間が十部屋と大広間がふたつある。ダイニングはなぜか二階で、小さな図書室と執務室が階段を上がりきった場所に並んでいていた。
さらに奥が家族の部屋だったらしく、不愉快で趣味の悪い家具は捨てたので、いまは空っぽである。
廊下を進んだ先に広めの客間が四部屋あったので、その一つを私とルーと豆太の部屋として使っているのだ。
「こっちの四部屋のうちの南側がオススメだよ」
この邸は陽を遮る建物がないので、南側なら夕方でも暖かいし、東側なら他の住民たちの住まいにも近い。
「このあたりはずいぶんと暖かいのですね。北にある山脈は、ドラゴンの背骨でしょうか?」
一階を案内し終わり、二階の北側の窓から見える景色にシアさんが疑問を持つが、あの山がそんな呼ばれ方をしているとは知らなかった。
「シアさんがいたテピトラ王国の南西にあった山脈のことなら、それで合ってるよ」
「ドラゴンの背骨の南側に立つとは、自分にはまだ信じられません」
「わざわざあんな山に近づかないよねぇ」
「いえ。毎年無謀な冒険者が森へと入り込み帰ってこないと、恐れられているのですよ」
「大型の魔獣が徘徊してるんだよね?」
「そうなのです。一頭だけでも持ち帰ることができたら、数か月は遊んで暮らせると言われていますからね」
『お金に困ったら一頭狩って売るのもありかもね』『そなた、自分より大きな魔獣を狩れるのか?』『! まだその大きさと対面したことはなかったね』『我の体に傷はつかぬが、そなたが動かねば獲物は狩れぬぞ』『なんかムリかも。ダンジョン攻略が順調だからって、調子にのったわ』
ゲーム感覚でいたらダメだよね。こんなタイプが序盤で脱落して早々にいなくなるんだ。
「シアさん、こっちですよ。右の部屋は南に面していて、左のふた部屋は中庭があったら良かったんだけど……」
いまのところは拠点を囲む塀の向こうに、真っ白にそびえ立つ山脈しか見えないな。景色が地味だけど、そのうち手前にある森は紅葉するんだろうか?
「落ち着いたら拠点まわりの植生を調べなきゃいけないな」
「外での狩りは、精霊の棲家で腕を試してからであろうな」
「シアさんにも、ここの精霊の棲家を育てる手伝いをお願いしますね」
「いつでもお声掛けください」
「いや、しばらくはゆっくりしてて。ほかの住民たちと顔合わせをしなきゃだし、屋敷の精霊をどうするか決めてないし」
そう。屋敷の精霊を助け出してから、いまも継続でこの子を抱っこしている。ルーが静かなのは、たまに頬ずりしたり撫でたりと、屋敷の精霊を愛でるのに忙しいからなのだ。
「では、こちらの部屋を使わせて下さい」
シアさんが選んだのは北側に窓がある部屋で、二つ並んだ内の手前の部屋だった。
少しでも故郷に近いほうが良かったのか、それとも見たことがある山脈が視界に入っている方が安心なのかは本人にしかわからない。だけど、遠くを見つめるシアさんの眼差しが思ったよりも柔らかかったので、ここての生活に絶望しているようには見えなかった。
「この鏡台は寝室に置きますか?」
「こちらの壁沿いにお願いします」
木製で明るい色合いのドレッサーは、鏡のまわりに果実をついばむ小鳥と、大きな花が彫られている。それは、おそろいの椅子にも同じものが彫られていた。
「女性らしいデザインですね」
貴族の女性が好みそうな派手めな花が、背の高いシアさんにはとても似合っている。
同じ工房に依頼したのか、小さな机や背の低い箪笥、ベッドとサイドテーブルも統一した意匠でまとめられていた。
「そういえば、この鏡台を母は少し派手だと笑っていました。わたしが覚えているのは、痩せ細りベッドで目を閉じた母の姿ばかりだったので、母の笑顔を思い出せて良かったです」
シアさんがスツールに腰を下ろし、鏡を見つめながら滑らかな台の部分を撫でる。いまの自分の姿に、幼い頃に見た母の姿を探しているのだろうか。
ラルスは艶のある出窓の床板に置かれ、豆太が『どっこいちょ』と隣に座り込んだ。二体は正反対の性質を持っているようだが、案外気が合うのか話が盛り上がっているらしい。時々豆太が笑い転げるような仕草を見せるが、何を話しているのかまでは、聞こえてこなかった。
『チョコが旨いと話しておるな』『ラルスにも分けてあげた?』『チョコのみならず、アメやらビスケットも分け与えたようだな』
いつの間におやつタイムになったのか。さっきシアさんにトイレやお風呂の使い方を教えていたから、そのときに渡したのかもね。
「では、このドレスはクロークじゃなくてシアさんの亜空間収納に入れておくんですね?」
「もう母のドレスはこの一着だけですから」
シアさんのお母さんのアクセサリーは、高価すぎて換金できなかったらしいが、ドレスに使われていた宝石や半貴石、パールやレースは切り取られて、売却されてしまった。病弱だったシアさんの母が、普段着ていたシルクのドレスの内の一つだけ、特に目立った装飾がなかったからか残されていたようだ。
伯爵家の屋根裏に隠されていたのを、まとめて回収した際に一緒に運んできたんだろうな。
私の母はシアさんの母親と違い、病気知らずでいつでも家族の中心にいた。交友関係が広く、趣味が合う友だちも多かった気がする。インドア派の父とは違い、骨の髄までアウトドア派だったけど、不思議と両親の仲は良かったと思う。
「細かいものは明日にしましょう。寝床と着替えが準備できたら、遅くならないうちに顔合わせに向かわないと」
装備を外しワンピースに身を包んだシアさんをうながすと、ラルスを持ってついてくる。
豆太はそのまわりを飛びながら、拠点について説明しているが、拙すぎてシアさんにはわからないかも知れない。後からラルスが説明するだろうから、いまは豆太に任せておこう。
だが、キラキラした髪の毛の話をされても、シアさんにはなんのことかわからないだろうな。
「ここが人魚の池なんだけど」
「留守のようですね」
「もう足が生えたのかも。そろそろ夕方だし、ご飯を食べに炊事場に行ったのかもね」
後日シアさんが話してくれたのだが、この時の豆太の話もよくわからないかったが、私が話した内容は輪をかけて理解不能だったらしい。
たしかに、毎晩人魚の足が生えてくるとは思わないもんな。




