精霊とは協力関係にあることを忘れるな
体の周りから約十五センチの空間の先には、真っ黒に濃い緑が混ざった壁ができている。これだけ近いと何百もの蜂の羽音は、夏によく出現する騒音バイクのような振動がした。
いま自分の姿を俯瞰視点で眺められるのならば、寂れた村を支配している影のような姿の人外にしか見えないだろうな。
私が全身蜂塗れの姿をしているのは、たった数分前にちょっとした失敗をしたからだ。蜂がそこまで音に敏感だとは思っていなかったので、ルーがなんとかしてくれるだろうという甘えが出たんだろう。
「ルー? 蜂が巣を作っているのは、この家だけじゃないよね」
「うむ。この花に近い六軒に集中しておるな」
「ぶんぶんのおうちはじゅっこあるの」
村にある建物を数えると二十六軒あり、すべてが大きさが違うだけの似たような外観をしていた。
ここの家にもガラス窓がないから家の中を確認しづらいし、外に跳ね上げてつっかえ棒をするタイプの窓なので、外から開ける方法がない。隙間から覗けたとしても家の中には光源がないので、真っ暗闇で何もわからなかった。
慌てて逃げたらしい開け放しの戸の中は、野生生物に荒らされた形跡があったが、その生き物の姿はどこにもなかった。
「夜間に侵入したのであろう」
「それはどこに行ったのかな」
「メダーホルネッソは縄張り意識が強い。すべて排除されたのであろうな」
外に散らばる骨は人のものばかりではないらしい。
家の周りにあるどの畑も雑草だらけで、植えられている作物は不作かと見てみれば、葉についた虫はメダーホルネッソのエサになったらしく、大きく成長しているようだ。
ジャガイモは収穫されずに種芋になったようだが、いまが食べられる状態かはわからない。少しでも食料を増やしたいが、これはこのままにしておこう。
「日中に襲われたんだよね?」
食事の準備をしていたとしても薪が燃え尽きれば火は消えるので、どの家も火事になった形跡がないからといって、夜間に襲われたとは限らないだろう。
「メダーホルネッソは早寝早起きぞ。夜間は活動せぬわ」
「小学生が掲げる長期休暇中の目標みたいなこと言わないでよ」
「チカは大人になっても言っておったが?」
えー? そんなバカな。とりあえず、花壇から一番離れた家に入ってみるか。
建物はすべて片流れ屋根によって、雨水を効率よく集められるようになっていた。軒下には大きな甕が置いてあり、その水を洗濯などに使ったのだろう。近くに川はなかったので貴重な井戸水は飲水に使い、雨水が貯まらないと洗濯や体を清めることができなかったのかも知れない。
「ボウフラは湧いてないかな。蚊にさされるのは嫌なんだけど」
龍が蚊にさされるかはわからないが、血液を媒介にして変な病気になったら困る。いくら頑丈でも内部疾患で弱るかもしれないからな。
「ここに蚊はおらぬが蛭やダニはおる故、注意するが良い」
「注意ってどうするの?」
「防御膜を張るのだ。忘れたのか、チカも幼少時使えたようだが?」
「…………?」
「鬼から捕まらぬのだ」
「んんっ!? それってバリアじゃん」
私が知っているのは鬼ごっこで近所の年上の子たちと遊ぶときに、年下の子だけが二回使える防御呪文だった。それと、三歳以上年下の子を連続して狙うのも禁止されてたな。
たぶん同年代の子が少なかった、私の近所に住む子どもたちだけのローカルルールだったと思う。
家の扉は引き戸で、敷居に砂でも溜まったのか片手では開かなかった。両手で持ち上げるようにしながらスライドさせると、ジャリジャリと砂を潰す音とともに家の中に陽が指していく。
さてと、と木戸から手を離して家の中を覗いた途端に、数匹の兵士蜂に見つかってしまった。
花壇からは少し距離もあるし、村長の家の影になっている家の、さらに裏に位置する建物だったから油断していたのかも知れない。慌ててムチを振るうも簡単にかわされて、その内の二匹は反転すると仲間を呼びに帰っていった。
残った四匹を打ち落とそうとムチを振り回したが、あっという間に数百もの兵士蜂に囲まれ、振り払うこともできずに真っ暗闇に放り込まれてしまった。
そしていま、ルーが灯すマッチ程度の明るさで見える範囲しか確認ができないが、私は大量の蜂に集られて、絶体絶命の差し迫った状態に立たされている。
「豆太は大丈夫なの?」
「まめちゃ、わるいこをぼこしてるの」
「豆太を襲うものは、風に切り裂かれておるな」
「どうしようもないのは私だけか。蜂が体に触れないだけ助かってるんだけどさ、これだけ近いと自分ではどうしようもないんだよ」
家の壁に体を押しつけて追い払おうとしたら、蜂は壁と体を覆う透明の壁に挟まれて圧死した。壁が透明だったことで、潰れる過程をつぶさに観察させられて激萎えする。あれで吐かなかった私は偉いと思う。
透明な壁に蜂の体液がつかなかっただけマシだが、精霊の棲家と違い死骸がそのまま残るので、生き物を殺した感が酷い。
「チカよ、そなた何故豆太を頼らぬのだ」
「えっ?」
「そなたに精霊を育てる気がないのならば、豆太は上位精霊のままで、高位精霊にはなれぬのだぞ」
「はぁ。でも人型の豆太って想像できないし」
「精霊はすぐには育たぬ。石筍の育つが如く、永い年月が須要なのだ」
確か豆太と出会った頃に、相利共生って言ってたような気がするわ。
「でもさぁ、この体はルーのものだから、使われる魔素だってルーのものでしょう? あんまり勝手なことをするのは気が引けるよ」
「我は些末ごとは気にせぬと申したはずだが?」
そこまで言ってくれるなら全力で甘えるか。
「豆太、私の周りの蜂を吹き飛ばすことはできそうかな?」
「できゆの! でもしゅぐあちゅまりゅのよ?」
やっぱり倒さないと駄目なのか。
「この数を放置するなら、村人たちだけでは駆除しきれまい」
女王や家政蜂が冬眠しても兵士蜂は交代で仮眠し、巣を温めたり見回りをしたりと、完全に活動しないわけではないようだ。
働き蜂には冬に死んでしまう種もいると聞くから、こんなに攻撃的な種類に天敵がいないと、さすがに駆除が難しいのだろう。
「十個の巣の内、一番若い女王の巣だけ残したいんだけど、豆太にはわかる?」
「まめちゃ、わかんにゃいの」
「我が教える故、そのように悄げるでない」
「ぼく、かじゅはわかっちゃのよ」
「そうだね、ありがとう。何個壊せば良いのか、豆太のおかげでわかったよ」
豆太は風の精霊だもんな。その精霊が持つ特性や能力を理解していないと、お願いできることもわからないから注意しないと。
能力的に無理なことを頼むと、豆太も役に立てなかったと落ち込んでしまうから、よく考えてから頼まないといけないのか。
「豆太に頼みたいんだけど、風で吹き飛ばしたメダーホルネッソをできるだけ倒してくれるかな?」
「まめちゃ、できゆの」
返事が聞こえたと思ったら、吹き飛ばされた蜂がバラバラに切り刻まれて落ちていく。張り切ったにしてもオーバーキルが過ぎる。
「豆太、豆太。大丈夫なの? 疲れてないかな」
「まめちゃは、よゆーよ!」
「素晴らしき腕前よ。我は誇らしい」
ルーは運動会で一位になった我が子を見たかのようなテンションで、胸を張って片前脚をあげている豆太を拍手で讃えた。
散らばった蜂の残骸にはルーが土をかぶせたのだが、弔ったのではなく草木の養分にしたというのが、まわりに漂う下位精霊たちの喜びようでわかる。
「芽吹きの精霊かな?」
「左様」
ほらね。
「じゃあ、豆太には斥候の役割をお願いしよう。数匹でふらふらしている兵士蜂は倒しちゃってね」
できるだけ囲まれるのは避けたいから、見回りしているルートを避けて家の中を確認しておきたい。
「巣のない家など、いちいち見ずとも良いではないか」
「だって半年も使ってないんだよ。メンテナンスしていないと壊れちゃうでしょう?」
雨漏りなんかしていたら、床が傷んで冬越しなんてできないと思う。
「豆太には、屋根に隙間があるか調べてもらえば良いだろう」
「光が漏れるから自分でも見…………いや、やっぱり豆太にお願いしたいかな」
「まめちゃ、できゆよ!」
ルーから豆太の実力を把握しておけと、無言の圧力を感じたので、つぶらな瞳でこちらを見ている豆太に依頼した。
ルーがいて豆太に無茶はさせないだろうから、これからはルーに聞きながら仕事を頼むようにしよう。
「でもさぁ、ここで大部分の巣を壊して兵士蜂の駆除をしても、一匹いる女王蜂が卵を産むでしょう?」
そこまで巣が大きくなることはないだろうけど、村人が倒せるかは疑問だよな。
「危険なのは兵士蜂のみ故、女王蜂と家政蜂ならば子どもでも駆除できる」
「じゃあ兵士蜂を全部倒しても、これから産まれるから組織としては成り立つのかな」
「冬前にも駆除せねばならぬだろう」
東西の集落に残った家族にはどうしようもない奴らが多かったけど、村で亡くなった家族を弔わずにはこの地を離れられないという、精霊持ちの人もいた。だからルーは、最終的には全滅させるか遠くに引っ越しさせるつもりなのだと思う。
「じゃあ一軒ずつ状態を確認して、壊れそうならルーが補強してね」
移動中に見つけた兵士蜂は豆太が倒して、巣がある家は今年産まれた女王以外は駆除する方針で行くぞ。
「では蜂蜜入手に行くぞ」
「ゆくじょ」
「はいはい、行こうか」
豆太が頑張ってくれるから、きょうのおやつは馬の形のビスケットにしよう。




