半年前の事件現場
すみません、遅くなりました
「鉛筆かボールペンが必要だよね」
天板が滑らかじゃない状態で羽を筆記用具として使うには、このわら半紙は最弱すぎて無理がある。
どこかの国で、柔らかい芯の筆記用具は作られているんだろうか? 例えばクレヨンとか。
「無いな」
「インク以外まだないの? 鉛筆も? ルーが知らないだけじゃなくて?」
「フム。我は字を書けと要求されたことはないな」
帝国では貴族だったのに、サインが必要な書類とかって何もなかったのかね。
フェルスさんとセドリックさんの執務室では、インク瓶と万年筆っぽいものを使ってたな。サフォーク商会のタッドさんも二人のよりは実用的だったけど、同じような万年筆を使っていたのを見たし。あれはつけペンの一種なんだろうか?
いずれにせよ、もう少し使いやすい筆記用具が揃うまでは、部屋にある頑丈で平らなお貴族様用の、ライティングビューローを使うしかないな。
「この作業台は天板に凹凸があるから、ペン先が引っかかるんだよね」
たぶんこの作業台は置いてあった場所からして、使用人たちが食事をしていたテーブルだろう。椅子も木製の簡素な造りだし、背もたれがない丸椅子だからね。
だからか食器やカトラリーで傷がつきやすかったのかも。
鉋が売っていたなら表面を薄く削るために買いたかったのに、どちらの商会でも探さなかったから売っていたのかもわからないや。
いまのところ食材を切るときはまな板を使うし、お茶を飲むだけならこの程度の凹みは気にならないだろう。
「そうだ! 豆太が言ってたんだけど、ユミーがパンを焼いたって?」
「ああ、ルー様から貰った塩を使ったけど、良かったのかい?」
「精霊の棲家のドロップ品だから、好きなだけ使って良いよ」
「ユミーって娘も、あんなに真っ白な塩を初めて見たってさ」
逆に私は真っ白じゃない海塩を知らないけど、めっちゃ流行ったからピンク色の岩塩は見たことがあるな。あれが流行った理由は全然知らないけど、料理にこだわりのない私が知っているくらいだから相当だろう。
「ジーラさんが知ってる塩はどんな色なの?」
「アタシらが使ってるのは赤黒いねぇ」
「削ればそこまで気にならないんだけど」
ジーラのあとに続いてデラとロモラが情報を追加してくれた。
「アタシの婆さんは『竜の血涙石』って呼んでたね」
怖っ! なんか呪いのアイテムっぽいんだけど、デバフがついたりはしないよね。
「やっぱり洞窟みたいなとこから採取するの?」
「いいや? 精霊の棲家から採れるんだよ」
「アタシらんとこでは赤の山ナメクジから落ちてねぇ」
「うえっ、そりゃご愁傷さまだわね」
ユーマがしみじみと東の精霊の棲家での該当する魔獣を教えてくれたが、それを聞いた西の里人たちが吐き気を抑えるような仕草をする。
聞けば山ナメクジは体長三十センチの超大型のナメクジで、その体にまとう粘膜は溶解液で武器を溶かすため、精霊の棲家では五本の指に入るくらい嫌われている魔獣だという。
「東の精霊の棲家は洞窟型なんだね、アタシらのとこでは赤の鼠賊から落ちるらしいよ」
そうなんだ? 鼠賊から落ちるのは、佐々木商店と一緒だな。でもさ、竜は全然関係なくない? ナメクジとネズミだよね。竜のにした方が、ありがたみが増すからだろうか?
「それでパンは美味しかった? みんなで食べる分はなかったんでしょう?」
「いいや、小さく分けてみんなで味見をしたよ」
「もしょもしょちてたの」
「スープと一緒に出したんだけどねぁ、あれは腹が膨れるから、毎日焼けたらいいんだけどね」
ユミーが焼くパンはピタパンのような平焼きパンらしく、豆太に言わせると残念ながらモソモソだったようだ。
菓子パンと違って甘みがないから、ルーは興味を惹かれないらしいが、拠点に植え替えたブルーベリーのジャムをつけたら十分甘く食べられると思うけど、砂糖がたっぷり必要だから現実的ではないな。ハチミツがあれば滋養があるし、弱っている人たちにも食べさせたいな。
「チカの国ではハチミツを食したのか?」
「うん。集めた花の蜜によって、味とか香りが違ったんだよね。私は定番のアカシアやクローバーが好きだったけど」
「我も採りに行くぞ」
「ゆくじょ!」
「待った! とりあえず用事を済ませてからにして」
ルーは蜂を襲う気みたいだけど、男性たちにノコギリを渡してユミーと話した後にしてくれ。
「ジーラは豆料理を作ったことはある? 商会から豆を買ってきたから、スープの具にしたらいいよ」
大麦も外皮を剥いたものを買ったから、ルーにお願いして調理しやすいように圧力をかけて潰してもらった。たしか大麦はそういう処理をして押し麦として販売していたはずだ。
お料理担当の人たちにサフォーク商会から買ってきた小麦粉や豆類を預けようとしたが、この炊事場には置く場所がなかった。
鍋などの調理器具でさえもこの作業台の片隅に積み上げているのだから、この際まとめて解決しておけば良いだろう。
「底板がないと困るし、棚は手前にスライドできないと使いにくいよ」
作業台の下を調理器具の収納場所にすると、台の上がスッキリする。これで作業できる人が倍になっても狭くはなさそうだ。
食材をしまう場所は木製だと湿気が心配だったので、精霊にも頼んだけれど石造りにしてもらった。正面からは木製の戸棚にしか見えないが、上下と側面は石で隙間なく覆っている。人の力では二度と動かせないけれど、ルーに頼めば位置の変更は容易いだろう。
「じゃあ、この中身は好きに使っていいからね」
お料理部隊と別れて建築部隊に合流すると、ルーが積み上げた丸太を太さ別に分けたり樹皮を剥いだりする作業をしていた。
「バルトフリートさん、道具がいくつか増えたよ」
良いノコギリは一本だけであとは中古が多いけれど、作業が捗ると喜んでくれた。特に山刀は数があるので、枝打ちする人と樹皮を剥ぐ人たちに渡された。大型のナイフを使っていたけれど、やはり山刀の方が処理が早いようだ。
斧と手入れの道具も渡し必要なものがあれば教えて欲しいと言い残して、足早に立ち去った。
去り際に、人手が必要なときは手伝わせて欲しいと声を掛けられたので、精霊の棲家攻略に同行してもらおうと思う。
狩り部隊のみんなも、この生活に慣れて落ち着いたら精霊の棲家に入って、自分たちに必要なものを集めたら良いからね。
「もう良いのか?」
「ゆくじょ?」
子どもたちが見ているところで、ユミーに母親の魂の欠片を渡すわけには行かないし、妊婦さんのお家は聞かないとわからない。ルーを宥めてまで急ぐこともなさそうなので、とりあえずの予定は済んだことを伝えた。
「うむ。ならば我らは蜂蜜を手に入れるぞ」
「いれゆじょ!」
「あっ、それなら入れ物が必要だよ!」
格好がつかなかったが、屋敷に戻って半分近く空になった厨房に入り、棚から蓋付きの瓶や両手で持てるサイズの水瓶を選んで亜空間収納に入れていく。
ここには里人たちが使うのをためらった、ガラスや陶器の食器が残されている。そのかわり鍋や刃物は大きさに関わらず、すべて炊事場に運んだのだ。
「どれくらい必要なのかな」
「それぐらいで構わぬ。器が足らねば再度向かえば良いのだ」
それもそうだね。じゃあもう行くのかな?
「チカよ、鞭の準備を忘れておるぞ」
「へっ?」
ルーがハチミツを欲しいと言ったんだから、採取もルーがすると思うじゃん。まったく準備ができないままにルーがポータルを開き、次の瞬間には小さくて寂れた村の中心地に立っていた。
「うーん。小さいけど木造平屋だし、竪穴式住居よりは家っぽいな」
残念だけど、家族旅行で行った牧場の畜舎の方が十倍は立派だ。そんな家が二十軒ほど集まった村だった。
「おっちなぶんぶんがいるの!」
「あれが村を襲ったメダーホルネッソだ」
誰もいない村はホラー映画のように静寂に満ちていて、木造の家がひしめき合っている隙間をクリーム色の羽虫が行き交っている。
この場所では羽音は聞こえないのだが、豆太的には大きなブンブンがいるらしい。
「大きいって言う割には、たいしたことなさそうだ。私の国の蜂の方が大きくて凶暴だったよ」
「チカよ、あれは家政蜂ゆえ襲っては来ぬ。毒針も持たぬ最弱な蜂よ」
「毒針がないの?」
そんなの楽勝じゃないか。数はバカみたいに多いけど、襲われないなら敵ではないね。
「あれらの役目は蜜を集め、子を育てるのみだ」
「じゃあなんで住民の二割以上が亡くなったんだろう」
「兵士蜂がおるのでな」
兵士蜂は体長七、八センチの大型の蜂で、体色は黒と緑の斑らしく、森の中では近くにいても気がつきにくいのだ。そして毒針は折れることなく何度でも敵に突き刺してくるので、麻痺毒ながら最終的には呼吸もできずに死に至るらしい。
メダーホルネッソはミントの匂いを嫌うので、西の集落の周りには囲うようにビッシリと植えられていたのだ。
「この辺にはいないのかな?」
ムチのグリップが手汗で滑るので、シャツの裾で拭きながら握り直す。正直そんな小さい標的を狙って、このムチを振るえる気がしない。
「奇襲するつもりで家の中に隠れておるのだろう」
「さすが兵士、死角から襲う気なんだね」
黒と緑の斑模様なのも、カモフラージュっぽくて怖さが増すわ。黄色と黒の縞模様だって危険臭が強いのに、その上を行くヤバさだよ。
「ルーは本気でここからハチミツを採るつもりなの? さすがに無茶なんじゃないかな」
私は呼吸困難で死ぬのは嫌なんだが、ルーは家の周りを意味もなく歩き出す。草むらには朽ちた衣類と骨が散らばり、村人がここで倒れたことを示唆している。
「豆太はアレらを近づけぬようにできるな?」
「まめちゃ、びゅんびゆんとばしゅ! やっちゅけるの」
「うむ、危険ならばポータルを開くが良い」
できれば私もそうしたい。ハチミツなら佐々木商店にだって売っていたのだ。精霊の棲家が成長したら、棚から採取できるって言ったよね。
「我はいま欲しい。それ故、巣をいくつか回収せねばならぬのだ」
しなきゃいけないことはないと思う。そっとしておけば、寒くなったらいなくなるんでしょう?
「フム、原因はこれか?」
そこは一面真っ赤な花が咲き乱れる、花壇らしきものの跡があった。
「メダーホルネッソらはこの花の蜜に惹かれて村を襲ったのだろう」
それが事実ならば、人災じゃないか。ここは村の中心で少し南寄りだ。花壇がある家は周りよりも大きくて立派な佇まいで、明らかに村長の家と見て取れる。
「これは村長がやっちゃったんだろうね」
真っ赤な花はもはや花壇など関係なく、その範囲を拡げているのだ。クリーム色の蜂がせっせと蜜を集めているのが良くわかる。
「村人たちは冬になればメダーホルネッソはいなくなると言ってたけどさぁ、どう見たってここで越冬する気だと思うよ」
家の中にはどこかの隙間から侵入したらしい家政蜂が、蜜を抱えて大きな巣に帰っていく。
「チカよ、この女王の巣をひとつ残して、あとはすべて回収せよ」
こんな無茶ぶりをされるとは思わなかったが、豆太がやる気だしルーが引くわけもない。
私はもう一度シャツの裾を握ると、ゆっくりと扉に手をかけた。




