とりあえず、いったん解決としようか
チカは領主に面会を求め、開口一番にユミーのパン焼き竈を建物ごと盗んだことを謝罪した。
執務中だったところを数分も待たせずに客間に現れた領主は、正しく鳩に豆鉄砲といった表情を眼鏡では隠せなかったらしい。
領主の財産を奪った挙げ句、悪びれた様子もなく事後報告で流したことは悪かったと思っているが、こちらはユミーを含め、三体の竈の精霊を返す気がまったくないのだ。
「で、家の相場がわからなくてですね、冬鹿なら何頭で足りますか? なんなら妖精の果実の代金から引いてもらいたいんですけど」
「そうですね、簡単な造りですと三千ガドからでしょう。そんなことよりルー殿は冬鹿の毛皮をお持ちなのでしょうか」
「当然、狩りたてに決まっておろう」
ちょっと興奮気味なセドリック様に対して、なにが当然なのかは知らないが、自信たっぷりにルーが胸を張る。つまり私が、なけなしの胸部を突き出しているのだ。恥ずかしいので、即刻止めて頂きたい。
「冬鹿の一枚皮など、この国では王族と一部の高位貴族のみが所有すると聞きます。もちろん僕も父も、おそらくは祖父も触れたことすらないでしょう」
えッ!? それって絶滅したってこと? もう手に入らない幻の品なら、かなりの高値になるんじゃないか。あれっ? でもキラキラの青年は冬鹿のことを知ってたんだよなあ。
「群れから別れた雄が、繁殖期に一定数暴れるのでな。それらを狩らねば雌が死に子が育たぬ。その争いに巻き込まれた狩人たちの死傷者が絶えぬのだ」
「それは毎年行われているのですか?」
「我は狩り尽くす気はない。前回は十年前であったな」
「その時狩ったのは何頭でしたか?」
「十五ほどか」
『なんだ、想像したよりも少なかったわ。そこまで繁殖力が強くはない種類なの?』『我は頼まれねば駆除などせぬ』
「では何頭残っているのでしょうか!」
「フム、数えてはおらぬが百は超えるか?」
『なるほど、精霊に泣き付かれたんだ』『うむ。冬鹿が村の近くに現れ畑を荒らし、狩りができねば人は飢えるばかりよ』
「すべて狩ったばかりの状態の冬鹿が百頭以上とは…………」
私がルーとセドリック様との会話に割り込むかたちで話しかけても、ルーから問題なく返事がくる。それに慣れたというよりも、初めから違和感がなかったような気がするから不思議だ。
私が感慨深く思っていたら、セドリック様はルーの発言が想定外のことだったらしく、眉間に拳を当てて暫しのあいだ考え込んでいる。
「我は気が向かねば食事はせぬし、冬鹿を買い取るのは金を持つ者ばかりよ」
「食べないからって貧しい村に過度に与えれば、今度は支配者から狙われちゃうのかぁ」
「その一枚があれば家族が暖かく冬を越せるのだが、来客に自慢しようと暖炉の前に敷くために奪おうとした輩がおったのだ」
精霊が望むままに与えても、良い結果にならなかったのか。毛皮を失って精霊の主が凍死しようものならば、ルーは奪われる前に対応しただろう。
「もちろん略奪者には、後悔できるだけマシな目にあわせてやったがな」
「あ~、やっぱり精霊が言いつけに来たんだ」
豆太みたいにルーを畏れない精霊が他にもいたんだな。それにしても亜空間収納に残っている冬鹿が多すぎるから、貴重すぎて在庫が捌けてないのかな。
「いや、我は帝国では冬鹿を卸さなかったのだ」
「需要がなかったの?」
「いや、珍しき品を蒐集する貴族など、少なからずどこの国にでもおるものよ」
うわぁー。私、トロフィーハンティングだけは理解できないわ。見せびらかすために生き物を殺すって、すっごく不快になるんだよ。
生きるために命を貰って、貰ったからにはありがたく無駄にしないって考え方なだけで、動物愛護の気持ちが強いわけでもなく、肉を食べるなって強要する人たちには反感しかないんだけどね。
「どうして売らなかったの?」
「帝国はこの地より更に南に位置しておるのだから、冬でも毛皮が必要なほど冷え込みはせぬ。切り刻んで帽子や装飾品にするのならば、初めから鼠賊の毛皮で十分だろう?」
確かにな〜。私が高校生くらいのときにファーコートや、パーカーのフードの縁にファーがついたアウターが流行ったけど、あれはフェイクファーだったんだよね。あれが本物の毛皮だったら、正直自分ならドン引きする。シベリアの人たちに謝れって思うな。
ここでは精霊の棲家からのドロップ品にも毛皮があるし、駆除された魔獣を活用するために使える部分を捨てないのは、ハンターギルドを中心として当たり前に行われているらしい。
流通がまだそれほど発達していないのもあるからか、地方のものが根こそぎ王都や領都に集められることが少ないように感じるのだ。
「貴族らが冬鹿を求め、あの地に狩人を派遣したとしても、ひと晩も越せずに命を失うであろう」
「それだけ凶暴な魔獣ってことなの?」
「ただ寒すぎるのだ。それほどに厳しい地に生きている者を押しのけようとしても、協力がなければすぐに死に至る氷に侵食される」
この大陸にもそんな寒いところに住んでいる人がいるんだな。私が生まれた国の北の地では、外気でバナナが凍るって話を聞いたことだけはあるんだよね。だけどこの話が本当か嘘かは、残念なことに覚えていないんだよね。
「ルー殿、いくら計算してもあのあたりの土地に建つ家の対価として、冬鹿一頭では貰いすぎです。ですが、差額は支払いますので一頭は我が家にお譲りいただきたい。そして、できればお持ちの冬鹿をこの国で売ってはいただけませんか」
私たちが意見交換している間に、セドリック様は補佐官を入れてなにやら相談をしていたらしい。
私はこの部屋に人が入ってきたことすら気がつかなかったが、ルーはセドリック様が部下との相談の許可を求めたことに返事をしていた。
「対価は一頭とする。差額分はこの地に置くポータルの管理費として納めよう。我はいらぬ菓子を処分せねばならぬ故、毎週ティティーの店に通わねばならぬのだ」
違う。あの店はティティーの店ではなく、ラリーさんの店だ。それにグリフォン商会で結んだ契約は毎月一度だけで、決して毎週じゃなかった。
龍の記憶に間違いはないから、ルーはわざとそう言ったのだ。
これは絶対にシロンとミロンがいるから、定期的にグリフォン商会へ見に行きたいんだよ。あの無気力で、全力で主にもたれかかっている姿が可愛いって言ってたもんな。
「ありがとうございます」
何も知らないセドリックさんが礼を言うが、補佐官は領主の態度に驚きもしない。たった数時間だが、ある程度の説明がなされた後なのだろう。
「この地も雪は降るが、それほど毛皮が必要なのか」
「僕も触れてみたいとは思うけど、必要なのは報奨としてなんだよ」
「フム」
セドリック様の話によると、銀狼兄弟の出身国である森林の国から護衛を雇うのは、王都の貴族にとっては地位の象徴のようなものになっているらしい。
森林の国の民が労働の対価に求めるものの多くは食料品であるため、農地の多いこの国で対価には困らなかったようなのだ。
けれど今年は半年前から気候が安定せず、作物の収穫量が例年より減っているらしい。労働対価は準備できるが、毎年渡していたボーナス的なものを食料以外でと考えるのは理解できる。
『ルー?』『間違いあるまい』
だよねぇ。ルーが夜の精霊を失い、自我の崩壊を起こしたのがだいたい半年前だ。
皇帝がルーとの約束通り、人として擬態した体を燃やせば問題はなかったのに、愚かにも国土に封じようとしたから問題が起きたのだろう。
メダーホルネッソが村を襲い、村人が集落に避難してきたのも半年ほど前だと言っていたではないか。
『これは帝国は必死に隠すしかないよね』『であろうな』『バレたら大陸中から恨みが集まるし、帝国に棲む精霊が悲しむもんね?』『我らが話さねば漏れることはなかろう』
それにしても大地が割れたり、湖が干上がったりしなくて良かったよ。転生しました、龍でした、世界は滅びました、以上。なんて事になっていたら、生きていけなかったと思う。
「かの地もこの冬は厳しい寒さになるやも知れぬな。さすれば、冬鹿の毛皮は充分褒美になり得よう」
ルーは希望するならばすべて売っても構わないとセドリック様に伝え、セドリック様もその手配のためクリスティーナさんと一緒に王都へ行くことになった。
この世界では亜空間収納に入れておけば腐敗することがないから、食材なども無駄になることがなくて安心する。
チカの頭には異常に増えた野生動物による食害と、駆除された鹿や猪の行き先がなくて、そのまま埋められた話を何度か目にした記憶が、ボンヤリとではあるが残っているのだ。
「これだけアーヴィングさんの家に近ければ、豆太が毎日春風と遊ぶこともできそうだね」
ルーが固定したポータルは、セドリック様の馬車がそのまま通れるサイズだった。地面に描かれた魔法陣のようなものは、私が初めて目にした光る模様とは比べるのもおこがましいほどに、美しく繊細で神がかっている。
『でもなぁ、あれってさぁ、明らかに一口チョコの模様と同じだよなぁ』
ハートでクローバーを描き、OとQが規則性をもってト音記号のように渦巻いている。大きな星を取り囲むように四分休符が配置され、なんだか文字のようにも見えてきた。それらがすべて、理由があるかのように配置されている。
「これがルー殿のお力なのですね」
セドリック様が感心しているが、それはチョコの模様なんだ。本来の記号とはまったく意味が違うんだ!
私たちは妖精の果実を売ったことで、ここの領主一族と縁がつながっているし、グリフォン商会との菓子の取引もある。拠点で作れないものはこの領から仕入れることにしたからには、あまり厄介者と思われたくはない。
まあ、『妖精の果実』を預けるくらいには信頼しているので、今後とも良い関係を続けていきたいものだ。
「ルー様、これはわたくしだけでも通れますかしら」
「セレナーデの主は通る資格がある。何度でも使うが良い」
ポータルの管理とは一体何なのか。ここにいる人たちはフリーパスだし、知らなければポータルは見えない代物らしい。物理的なものは何もなく、発動条件はルーに名乗った精霊を伴うことのようだ。
反対側はセドリック様の父親であるウィロウ伯爵に許可を求め、邸の近くに固定した。
場所はジャスティーナちゃんの家との、ちょうど中間くらいだろうか。
「ラクティス、ヴァイスハイトよ。これならば魔素を使わず移動できよう。ティティーも王都へ荷物を運ばねばならぬ故、我はここを使わせても構わぬ」
やっぱり精霊を甘やかすためだったか。使わせても良いよっていうか、使わせてあげてってことじゃないか!
つまり管理費っていうのは、グリフォン商会の馬車を定期的に通してあげてねっていう賄賂のつもりで渡したんだよ。
「俺も魔力が高ければ良かったのだがな」
「そなたの場合、怪我の治癒で聖樹の実の魔素が尽きたのだ。魔力が欲しくばもう一粒食せば良かろう。だがこの地に魔素は満ちておる故。そのうちそなたを好む精霊があらわれるやも知れぬな」
残念そうなアーヴィングさんの発言に、ルーが何気なく返答する。ひとに興味のないルーにしては珍しいので、全然わからないけれどかなりご機嫌なのだろう。
「じゃあ、購入していただいた物はありがたく頂いていきますね。豆太が遊びにお邪魔すると思いますので、伝言があれば豆太にお願いします」
言い逃げみたいだけど、ユミーのことも心配なのでそろそろ帰ろう。お土産も買えたしお金を稼ぐ方法もできた。問題も残るが、領主一族も私たち抜きで話し合った方が良いだろう。
軽く挨拶してから、私たちはウィロウ伯爵の敷地内からポータルを開いた。
「ルー、きょうも精霊の棲家に行くの?」
「チカの用事が済んでからで構わぬ」
だよね。いろいろあったけど、多少は座って落ち着ける時間があるだろうか? 心持ち重くなった体をポータルから出すと、遠くから豆太が駆け寄ってくる。
「るぅ! てぃかぁ〜。まめちゃ、しゃびちかったのよ!」
「キュンぞ!」
「カワユイな」
まっしぐらに駆けてくる豆太を見て、お互いに出てきた言葉は違ったが、ルーと私の気持ちは完全に一致した。疲れて仕事から帰ったお父さんには、子どもの出迎えが最高の癒やしだったのか。
本当にうちの子は可愛い。




