精霊が一体いると、事件が十起きると思え
「うぎゃ〜〜〜! いやぁー!!」
落ち込んでるって言ってたけど、腹から声が出てるし、めっちゃ元気やん。
「じゃあ遠慮なく、この建物も貰って行こうか」
固められた土の地面に亀裂が入り、それがどんどん深くなっていく。それと同時に古ぼけた石造りの建物が、グラグラと揺れだした。
平屋のとうふ建築だが、パン焼き竈がある作業場と十畳あるかないかの居住スペースは、天井が少し高いようだ。高さがあればその分、上に揺れが伝わるのだろう。
「ルー! 家の中が滅茶苦茶になっちゃうから、あんまり揺らさないでね」
「いやー! あたしの店がぁ〜〜」
「おちりがみえりゅじょ」
肩に担ぎあげた女性はスカートがめくれるのも気にせずに、手足をバタつかせて暴れだす。豆太の発言でノーパンなのかと確かめれば、金切り声をあげ彼女の肘が私の後頭部に直撃した。
結果こちらはノーダメージで、痛いしビリビリすると泣き言を漏らしたのは彼女の方だった。
「無駄口を叩けぬようにするか」
ルーがイラッとして、物理的におとなしくさせようとするのを慌てて止める。
「それはやめて。こっそり拠点に連れ帰るんだからね」
「誰かぁ〜! 助けて、さらわれるぅ〜!」
うるさいのはわかるけど、衝動的に意識を落とそうとしないでよ。目的が達成できたんだから、さっさとずらかろうぜ。
色彩の精霊のティティーを可愛がろうと、人差し指で柔らかな頬を突いたり頭を撫でたりしていたルーが、突然立ちあがり外に飛び出そうとしている。
私はクリスティーナさんに、事が済んだら領館に迎えに行くと伝えるだけで精一杯だったが、その頃には体が窓から飛び出していた。
「豆太、行くぞ」
「ゆくじょ!」
「ちょ! ルー? いきなりどうしたの?」
「ティティーを盗む計画がある」
ルーの先見か? フローレンスが生き残れば複数の女性と精霊が亡くなるとわかった、あの能力が発動したらしい。
「そりゃあ可愛らしいけど、盗んだところで従うわけないよね」
「呪いを施した鳥籠で飼うつもりらしい」
なにそれ。コレクターみたいな奴がいるってことなのか?
「そのような目的の者はひとりだが、あれは親に力がない故、問題はない」
なるほど、取引先の貴族の娘か。なんだ、まだ四、五歳くらいの幼児じゃないか。これは、お人形を買ってもらうみたいに欲しがっているだけなんだろうね。
女児の親は子爵位だが、グリフォン商会は領主の親戚筋である伯爵が寄り親になっている。つまり手出しはできない。
貴族といっても子爵は下位貴族だ。ワガママがいつでも許されるわけではないと、早いうちに現実を知るのは良いことだと思う。
「ちょっと! なんか治安が悪そうな場所に向かってないか?」
「スラムを根城にしている男どもに、鳥籠が渡ったのでな」
「そんな物騒な物、誰が渡したの?」
「別の商家よ。精霊を奪い、商いに使うつもりだ」
まったく、人様のものを奪わないと生きていけないくらい生活が苦しいのか?
散財することもなかったし、借金まみれの家族もいなかったからか、私はお金に困ったことがない。人を蹴落さないと暮らせない状況を一度も知ることなく、私はきっと寿命を迎えたのだろう。
「あたしをどうするつもり!」
ルーは浮かせた建物から連れ去る予定のないいのちを逃し、野草の種子や病原菌を運ばないようにていねいに浄化していた。
豆太は竈の精霊以外にもスカウトできる精霊がいないか、あちらこちらを走りまわっている。
私はぼんやりと回想していただけなので、返事はもちろん自分の担当だろう。
「私の拠点に連れて帰るんだよ」
「身代金なんて払えないわよ! 払う人だっていないんだからね! だいたい、あんた誰なのよ!」
女性は自分で言ったことばに傷ついたのか、涙目になりながら叫んでいる。
まあ、高校生くらいだもんな。まだまだ親を頼りにしないと生きていけない年齢だと思うよ。
「黙らせるか」
「それはほんとにやめて」
仕方ないから置かれてる状況を話しておくか。
「私はルーといって、んー、開拓地の村長みたいなものかな。それで、あなたは強盗にあったうえ売払われるとこだったんだよ?」
この女性の名はユミー。父親は彼女が生まれてすぐに出ていったし、兄は最近亡くなっている。母親は救いを求めて昔の愛人に会いに行き、その奥方の怒りを買ってしまった。
母親は兄を産んだあと、男爵の屋敷で乳母をしていた。赤子には四歳上の兄と二歳上の姉がいて、乳を与え終えても子守りとして数か月雇われ続けたようだ。
その時に雇用主である男爵の手がついてしまい、パンツ丸出しにも怯まない目の前の女性が誕生したのである。
ユミーは、兄が亡くなったことで母親が失踪したと思っているようだが、その母親はもうこの世のどこにもいないのだ。
これに関して、ルーは男爵夫人の罪を暴こうとはしなかった。ルーは正義の味方ではないから、私も別に異論はない。無理矢理男爵に襲われたのなら気の毒だが、それならば自ら貴族の屋敷に近寄ったりはしないだろう。
貴族の妻の立場なら、平民の愛人を排除しようとしたところで、この国では罪に問われないらしい。
それに、貴族がお金の無心に来た平民をどう扱おうが、ルーには関心がなかったのだろう。
「母親がいなくなって一週間でしょう? このあたりの人たちは、あなたがひとりで暮らしていると、みんな知ってるんだよ」
だから、この娘を捕まえて売払えばいいお金になると、グズどもが噂していると精霊がチクリに来たのだろう。
彼らはこの娘さんの精霊ではないが、あの作業場にあるパン焼き竈を縄張りにしている竈の精霊たちであった。
娘がいなくなったら竈に火が灯らないと、精霊たちは不安に思ったようなのだ。そんなのルーが放っておくわけがない。精霊に願われたルーがいそいそと参じると、さっそく力技で解決しようとした。つまり破落戸どもより先に、店舗ごと本人を誘拐することにしたのである。
ルーにしてみれば、竈の精霊が拠点に増えると精霊の棲家が育つので、一石二鳥で良いことずくめだった。
「嫌よ! 行きたくない」
「でも、いま逃げないと小汚いおっさん三人にレイプされて、飽きたら娼館に売られるよ?」
「…………」
絶句したって表情だな。まだ十六歳の女の子には刺激が強い内容だったのかも。
「でも、かぁさんが戻るまでは店を守んなきゃいけないし」
ちっさ。声が超ちっさい。
「母の躯が必要か? 魂の欠片は抜き取られておるぞ」
「そんな――――ウソよ!」
残念ながら嘘ではない。ルーの言い方には気づかいというものが見当たらないが、彼女の母親は返魂の儀を行われることなく胸を割かれ、取り出された『魂の欠片』はすでに売払われている。
体内にある魔力が少ないと小さな魔石にしかならないのに、魔石を扱う商人は出処がどこだろうと構わないのだ。
貧しい者の遺体が放置され病気が蔓延しないように、返魂の儀は無料で行われる。スラムで行き倒れた人を神官のもとに運び、魂の欠片を得て小遣い稼ぎをするくらい、人から取れた魔石に忌避感を持たない者も存在するのが現実だ。
疚しいことがある者はそこまで運ぶのも手間だと、遺体を傷つけ目的のものを奪い去る。小悪党が懐を温めるためにこのような行いをすることは、下町の住人にとっては周知の事実らしい。
「あぁ、ティティーを盗もうとした奴らも、お仲間の懐をあたためられて本望だろうね」
私はついさきほど片づけてきた、凄惨で一方的な暴力を思い出したが、自業自得としか感じない自分のメンタルに驚きもしなかった。
「あ奴らを治療院に連れて行く者はおるまい」
グリフォン商会を飛び出した私たちは、数分後には一キロ程離れた街外れにいた。
薄暗い路地をお供もつけずに闊歩するルーは、目的地がわかっているのでひたすらまっすぐ歩く。それを怪しげな視線が、通りのあちらこちらから追いかけてくる。
「わるいこがみてるの」
「あれらが手を出してくることはなかろう」
「なんで?」
「精霊がついているのは、少なからず魔術の心得があると考えられておるのだ」
「へぇー。豆太が守ってくれてるのか」
「まめちゃが、まもってりゅのよ」
嬉しそうな豆太を心置きなく愛でたいところだが、どうやら目的地に着いたようだ。
そこは薄汚れた壁に木製のドアがはまった、似たような造りの家が続く場所だった。
頭すらとおらないような小さくくり抜いた窓には、外開きで木の板がつけられていて、まだ窓ガラスが普及していないことがわかる。
ルーはそのうちのひとつの前に立つと、ドアに手ではなく足をかけた。力ずくで蹴破ったドアは、凄まじい音を立てて家の中へと吸い込まれていく。
「しゅごおぉい!」
「うむ」
豆太の称賛を受けたルーは、狭い部屋でテーブルを囲んだ男三人に向けてムチを振るうと、床にはテーブルの足が四本、椅子の足が十二本、人の足が六本転がった。同じように、男どもが上げた不快な怒声も床に吸い込まれていく。
「うおっ! このままじゃ、失血死するんじゃないの?」
床はまたたく間に赤い血が拡がり、男たちの叫び声が響いている。
誰だテメェと言った男は誰か助けてと泣き叫び、犯すぞと脅してきた男は止血するように膝を抑えて、起こしてくれと哀れな声を出す。残りのひとりはすでに失神していた。
ルーは床に散らばるそれらを気にすることなく、テーブルの上にあった鳥籠を踏み潰した。
「では帰るか」
秒で解決して帰ろうとする私たちの前に立ちふさがったのが、ユミーの作業場に棲む竈の精霊だった。




