ちいさな精霊と売買契約
拠点にいたら良いなと思う人材を考えていると、あきれ声でルーが問いかけてくる。
「チカよ、里長の名は知っておるのか?」
「なにを今更。そんなのセバルトさんに決まってるじゃん。仙人みたいなお爺さんなのに髪は長くてみつ編みで、めっちゃビックリしたんだから忘れないよ」
「あの里人らは皆、髪を編んでおるだろう。違いなどあったのか? まあ良い。もう片方の名はなんといった?」
「西の里長がセバルトさんだよね。その息子さんがバルトフリートさんってことまで知ってるよ」
「ならば東は?」
「いや、東の里人はみんな弱ってて、挨拶どころじゃなかったじゃん」
東の集落は人口が倍になったことで、深刻な食糧不足に陥っていた。隠れ里では必要以上に広い畑は作られていなかったから、村長一派がどれほど要求したところで、余分な食料など、どの家にもなかったのだ。
「聖樹の実により回復していたであろう。集落に残した者どもが、騒いでいたのを忘れたのか?」
「そりゃあ聖樹の実は性根の腐った奴らにも与えたけど、あれは仕方ないよね」
村に帰りたいから一緒には行かないとお断りされたからと言って、弱りきった子連れの家族をそのままにしていくことはできなかったんだから。
もともと東西の集落に住んでいた人たちには、精霊が嫌うような者はいなかった。慎ましく懸命に生きていた人たちを、集落にいた精霊たちは好んだのだろう。避難してきた村人たちに苦言を呈する人はいたけれど、里人に甘えきった村人の態度から文句がでるのは当然だ。
そんな生活だったのに物理的な嫌がらせをした者がいなかったからか、精霊が主から離れることもなかった。
「だから精霊たちは主を助けてほしいと願ったんだよね。……それで、なんの話をしてたんだっけ?」
「はぁ〜。東の里長はトルックスぞ」
「トルックスさんねぇ、どっかのタイミングで聞いたかなぁ」
深々と息を吐いたその口で、聞いた覚えがないと首を傾げる。視界には、いまだに銀狼兄弟に絡む豆太と真剣な表情で話し合う大人たちがいるのだが、ルーと私のやり取りを、周りの人たちが疑問に思わないことにもなれてしまった。
ルーがスーパーナチュラル的なことをしているんだろうけど、聞かれたくないと思うとついつい脳内での会話になることにも、同様に耐性がついている。
ちなみにトルックスさんの名前は、村から避難してきた村長一派に嫌がらせを受けていると、話題にあがっていたようだ。
残念ながら私の記憶には一欠片も残っていないし、普段ならルーが興味を持つこともないはずだけどなぁ。
「我は不快であった」
「なんで?」
「チカは自分が覚えられぬことを、我のせいにしたのだぞ」
「そうだっけ?」
「我が協力せぬ故、あ奴らの名を覚えられぬと考えておっただろう」
それはたしかに思ったかも。だって私はルーに寄生しているだけなんだから、ルーの体が覚える気がないものを私が記憶できるとは思わなかったんだよね。
さすがの私も、記憶の共有と体を動かすことを許されていても、ルーのことを好き勝手になんでもできるとは考えていない。
例えると、共有ファイルへのアクセス権があるだけで、管理者から上書き保存ができないように、制限をかけられていると思っていたのだ。
だから、ルーが不愉快に思ったことの方が驚きだった。いつだってルーは『構わぬ』とか『些末ごとよ』と、受け流していたんだからね。
「どう考えようが我は構わぬ」
「ほらね」
「我は、いまおる住人のことも知らぬのに、必要かもわからぬ者を探さずとも良いと思うのだ」
「大工さんはもういるかもってことかな?」
「名すら知らぬのだ。能力がなにもないとは言い切れぬだろう」
そうかもね。彼らの生活が落ち着いたら、できそうな人に住民台帳の作成でも頼むとしようかな。得意なこととか、やりたいことを聞いておけば、仕事も振りやすいからね。
「それが良かろう」
だから良い人材がいたら選別なんかしないで、拠点に連れて行こうぜと言いたいわけだな。
「うむ」
こちらの雑談が一段落したところで、価格についての話もまとまったらしい。
いつの間にか、ラリーさんとランディさんのあいだに小人が浮いている。体長は二十センチ程で、絵本のノームの姿ではなくプチサイズの子どもの見た目だ。
さすがに目の色までは確認できないが、髪は金色の巻き毛で、肩の上でくるりと内側にカールしている。黄色のサロペットに緑色の丸襟のブラウスを着ていて、足もとは裸足のようだ。
「人型の精霊だ。あの子は高位精霊かな?」
「いや、上位精霊ぞ。高位精霊があのような大きさであらわれることはあり得ぬ」
「そうなんだ? かわいい女の子だね」
それにしても、フレンドリーで初対面でもゼロ距離で話せる豆太が、あの上位精霊に絡まないなんて意外だなぁ。
「仕事の邪魔をせぬよう、チカが叱ったではないか」
「叱ってないよ。ちょっと注意しただけでしょう」
どうしよう。天真爛漫な豆太を傷つけたのかな。お友だちだと思って楽しく話しているところを、私からいきなり注意されて萎縮しちゃったのかも。
豆太に嫌われたら悲しいわぁ。
「それなない」
「そうかなぁ」
「豆太よ、チョコがかかったびすけっとを食すか?」
「あ~ん」
秒速七メートルくらいだろうか。豆太は一瞬で目の前にあらわれて、いつものおねだりのポーズをとる。
「友だちにも分けるが良い」
ルーは全粒粉のビスケットで片面がチョコレートの菓子を取り出すと、箱から袋を出してギザギザの切り口から縦に開封した。
豆太は一枚口に入れて美味しそうに食べたあと、器用に浮かして運んでいく。
銀狼の兄弟、ミロンとシロン、そして小人に配ると、少し考えてから残りをクリスティーナさんに渡した。
クリスティーナさんは品良く微笑んでお礼を言い、豆太の頭を優しく撫でている。
クリスティーナさんは渡された四枚のビスケットを、夫と自分、あとは商会のふたりに一枚ずつ配ったようだ。
まぁ、実際にはお願いされたメイドがお皿にのせて、お茶のおかわりと一緒に配ったのだがね。
「すごくおいしいわ。それにランディ、これは橙色よ」
ビスケットの厚みのせいで口のまわりをチョコまみれにしたちいさな精霊が、ちいさな声でランディさんを見あげて話しかけている。
両手で抱えたビスケットにふらつくことがないのは、腕力で持ってはいないからだろうか。
「カワユイのぅ」
そうだね。なんでいままで気がつかなかったんだろうな。
「普段は姿を消しておるのだろう」
「そっか。じゃあ橙色ってなんのことかな」
「ドロップ品のレアリティを伝えておるのだ」
そういえば、あれは橙色の荷物泥棒からドロップしたビスケットだね。両手をあげた熊ちゃんのクラッカーもドロップしたから、たぶんクッキーとかの箱菓子がドロップするのだろう。
「あの子は鑑定ができる精霊なの?」
「あれは色彩の精霊である故、色の識別に長けておるのだろう」
「あぁ、だから仕事中なんだね。それで豆太が邪魔をしてはいけないと判断したわけだ」
「左様」
あんなにちいさいのに主のお手伝いだなんて、なんていじらしいんだろう。
「あれは上位精霊ぞ。チカの五倍は生きておるが?」
「じゃあ豆太も?」
「左様」
長寿過ぎるから成長速度も遅いのか。あの舌足らずで幼児みたいに話すところがとても可愛いんだが、思っていた以上に高齢だったな。
こんな話で暇を潰していると、どうやら話し合いが終了したようだ。
「ては、ルー様にご確認いただいたあとに、こちらに署名をお願いいたします」
ランディさんが、見た目どおりの癖のない整った字で契約書を書きあげると、アーヴィングさんが私たちのために音読してサインをする。それは、仲介者と保証人を足したような立場であるという文言への署名だった。
契約内容は特に細かく設定するものではなく、精霊の棲家のドロップ品の量などには、なんのノルマも課されていない。
今回取引した品のレアリティ別の価格と、それが需要によって変動する場合には、差額の支払いをする旨が記載されている。
「問題は見当たらぬ」
「そうだね」
つまり、いま支払われる金額が最低価格で、王侯貴族とのやり取りで値が上がったら差額を支払いますよという内容だった。
あとは人気のないドロップ品は買い取らないという、まあそれは当然だろうと思える一文も忘れずに書かれている。最低でも月に一度は納品する条件だが、毎日チョコを百個ずつ納めるとか、支払いは月末締めの翌月払いなどといった、無茶な要求は一切されていない。
最低保証分は納品のたびに支払われ、それが高く売れたら差額を追加でもらえるのだ。もちろん全額ではないが六割はこちらに支払われるので、グリフォン商会のみなさんには是非とも高く売り込んでいただきたい。
私はにっこり笑うと、特に渋ることもなく契約書に署名をした。『ルー』と記入したが、これは契約書として効果はあるのだろうか? 『ルー』は豆太と私が勝手に呼んでいる愛称みたいなものだし、龍を相手に紙切れ一枚で縛ることはできないと思うのだが。
「我がこの程度の契約すら守れぬと申すか」
「いや、守る守らないの話じゃなくて、魔術がある世界だから、呪文で魂に刻む的な方法なのかと思っただけだよ」
本当に証文なだけで、破ると呪われるとかそんなことはないらしい。魔術でペナルティが発生するのかと思った私は、少しだけガッカリしてしまった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




