ルーは何百年経っても変わらないんだね
「ねぇ、なんでラリーさんたちは名前と姓だけなの?」
セカンドネーム的な母親の名前が抜けてるよね。彼らが貴族じゃないなら、ベネットという苗字はどこからきたんだろう。平民が勝手に姓を名乗ったら、なにかしらの罰が下ったりするんじゃないのかな。
「フム、あれは寄親・寄子の制度に近かろう」
「う〜ん…………その言葉には出会ったことがないね」
あぁ、それな! ともならないし、これはすれ違ったことすらないんじゃないの。
「チカが高校生の時分、選択教科の日本史の授業で習っておったが?」
「日本史を選択?」
「うむ。チカはほかにも地理、現社、倫理、生物、地学と美術を選んだのだぞ」
「なるほど、濃厚接触済みだったとはね」
そんなこと言われても、授業の中身なんて全然覚えてないけどな〜。
「チカの頭には不具合がある故、然程気に病むこともあるまい。どんまい」
「言い方!」
なんか微妙な韻を踏んできやがったのが、無性にイラッとしたわ。それに、せめて部分的な記憶喪失って言ってくれ。
で? 寄親寄子ってどんな関係なの。…………養子縁組よりは他人な感じかな。
「貴族の血はまったく混ざらぬのだ。爵位や財産は継がぬが、寄親となる貴族が持つこねくしょんや資金援助を得られる」
「となるとベネットという姓は、その貴族と関わりがあるという目印みたいなものかな。だから商談でも信用されやすくなるんだろうね」
「うむ。理解する頭までは失わずに済んだのだな」
ありがたいことにね。ほんとルーは口が悪いよな。
この制度を利用すると、商会側は多くの貴族の顧客を得られるし、寄親より爵位が低い貴族から無理難題をふっかけられることが減るらしい。
貴族側は株主的な立場から商会に要望を言うことができるし、大きく育てれば欲しい商品を優先的に手に入れることができる。
貴族とつながることによって増える問題もあるだろうが、メリットも大きいのだろう。
ベネット商会と名乗ればさらに宣伝になると思うんだけど、ここはグリフォン商会なんだよね。
「そう言えばさぁ、落ち着いたらクラーケンの投網も取りに行きたいよね」
いま使っているシーツは備品として置いてあったものだが、しばらくは客室のものだけを使うようにしたい。
ルーが浄化したとは言え、あの屋敷の住人が使っていたと思えば不愉快極まりないので、私室の荷物はすべて庭に放置して来た。だからあの屋敷には、家具や日用品がまったくない部屋がいくつもあるのだ。
「大ダコ程度の魔物などいつでも狩れよう」
「洗い替えの分も欲しいよね」
ゆくゆくは、拠点の皆もベッドで眠れるくらいの家を建てたいんだよな。その時は良いシーツを配ってあげたいけど、こればかりはルーにおまかせするしかないからね。
いつか壁紙なんかをリフォームできる人を、拠点に攫って来れたら良いな。
「確認してないんだけど、クラーケンの投網の加工って誰か出来るっけ?」
「帝都の者しか知らぬな」
「だよね」
「帝国には海に面する領地がなかったが、海辺の街には流れ着いたクラーケンの投網を加工する者がおると聞いたな」
「でも溶けるんでしょう?」
「溶けきる前に海岸に着いたもの故、品質は良くないな」
ルーがハンターをしながら大陸中をぶらついていた頃だから、かなり昔の話じゃないか。職人さんに知り合いがいないんだから、ラリーさんに聞いてみよう。
テーブルの対面には、いまだに価格設定でもめる大人たちがいる。いまのところ王妃へ献上後に、値段を決定する方向で話が進んでいた。
「たしかに美味しいけど、こういったお菓子を王宮の王侯貴族が喜ぶのかな」
「貴族は誰も見たことがない、珍しいものを求めておるのだ」
「帝国ではどんなお菓子を食べてたの?」
「フム、あの国の菓子か。それほど変わったものを食した記憶がないな。たしか…………」
「本日はレモンの紅茶と、クリームとベリーの焼き菓子でございます」
「あら、可愛らしいわね。この赤いのはクランベリーかしら」
明るい色合いのドレスをまとった女性が姿勢よく椅子に腰掛け、爪の先まで整えられた指先で焼き菓子をつまむ。
「皇妃よ。その菓子はひとつだけにしておけ」
「あら、神竜様。わたくし、それほどまでにふくよかだったかしら? ここにはたったの三つしかないのよ?」
ルーが王妃と呼んだ女性は見た目は三十代くらいだろうが、仕草は少々子どもっぽさが目立っていた。
「ふたつめを口にしたらお前は死ぬが?」
対するルーは、見目麗しさに神々しさもプラスされた青年の姿だ。長い緑髪をゆるくまとめ、ドレスシャツの首もとのボタンは外している。退廃的な雰囲気を醸し出しながら、四阿の長椅子にだらりと寝そべり、腕を伸ばしてテーブル上の砂糖菓子をつかむと、口に放り込んでいる。
「ひいっ」
皇妃は摘んでいた菓子を払い落とすと、ぶるぶると震えだした。側仕えがすぐにその指を清めようと濡らした布を差し出し、もうひとりは神官と侍医を呼びに退出する。
「心配はいらぬぞ、ひとつだけならば命は失わぬ。多少の血は吐くが、数日の後に胃の腑も回復するであろう」
…………ルーよ、お前結構ひどいやつだな。俯瞰視点で見るとは思わなかったけど、これは昔のルーの記憶だからすでに解決した話だ。
毒入りの菓子とわかっているのに、致死量に満たないから食べて良いとはならないだろう。体は回復するかもしれないけれど、心に負ったキズはそう簡単には治らないんだし。
その後、ルーは混入経路や黒幕などを精霊たちの告げ口により明らかにし、関わった者は弁明も許されず断罪された。つまりは処刑だ。
ルーはいまと変わらず人が犯した罪に興味がないらしく、精霊が巻き込まれない限りは無頓着だった。
聞かれるままに事実は教えたが、皇妃たちはそれ以上事件の背景を掘り下げることはなかった。
私からすれば、毒を混ぜた料理人は家族を人質にとられていたし、毒入りと知っても皇妃に給仕したメイドは、我が子の命を救うために断腸の思いだったので、命までとらなくてもと思わずにはいられない。
もし、処刑された者に精霊がついていたならば、脅迫をうけた時点でルーに伝わっていただろう。
精霊が人の命を惜しめば、ルーは必ずその願いを叶えようとする。強い絆で結ばれている主を亡くした精霊は歪みやすいし、精霊が歪めばこの世界の魔素が濁ってしまう。
ルーはそのようなとき、主と一緒に精霊も葬ったようだ。
「お菓子の記憶なんて、冒頭だけじゃん」
「あの頃から菓子の種類は然程変わらぬ」
「あのさぁ」
なんか重い話過ぎて気分がだだ下がりだよ。こんなファンタジーな世界には毒殺なんて血生臭さは不要なのに、目覚めたときから監禁されてたもんなぁ。
「我が食していたのは、砂糖菓子ばかりであった」
「はぁ〜。皇妃が食べてたのは?」
「フム。あれはバターの入らぬ甘食か。かわりに甘くもない果物が混ざっておったな」
「へぇ? 甘食っぽいんだ。正直、マドレーヌとかフィナンシェって言って欲しかったけどね」
ドレス姿の貴婦人が甘食って……。ルーは――――あぁ、ひと口食べて止めたんだね。それにルーが食べてたのは、金平糖みたいな氷砂糖の欠片だった。ルーが最初に亜空間収納から取り出した菓子と同じだね。
糖尿病へと一直線な感じの食生活だし、それって砂糖がチョコになっただけで、いまと全然変わらないじゃん。
ん? 『異空間収納はね。亡くなるとロストしてしまうのよ』って言ったのは、あの皇妃だったような?
『だから大事なものは城の宝物庫にしまっておいて欲しいの』そう続けて、ふたりの皇女がキラキラ、いやギラギラした目でこちらを見ていたんだよね。
「あー! ルーのお宝を盗む気満々だったんだよ」
あの頃のルーは面倒なことにはまったく耳を貸さなかったから、実質被害にはあっていなかったな。それどころか話も禄に聞いていなかったのか、排除した貴族や商人などがぶちまけた亜空間収納の中身を、より分けることなく宝物庫に放り込んでいたんだった。
いま考えると、皇家の宝物庫を完全にゴミ箱扱いしていたんだよね。
皇女たちは、ルーが持つ失われし王族の宝飾品が目当てだったんだろうけど、討伐した野盗が隠していた商人の荷物や、殺した魔物の死がいなどが宝物庫に山積みにされたんだったな。
「お宝は良いけど、魔物の死がいは処理したあとじゃないと腐るよね?」
「知らぬ」
「たぶん庭に置かれた方がマシだったと思うよ」
あんな城の最奥にある宝物庫に、希少とはいえ運ぶには大き過ぎる生モノを放置されるんだから、ルーは無意識でも皇族ざまぁをしていたんだね。
実際に苦労したのは官僚や下働きだろうけど。




