私の記憶が邪魔をして、欲しい物が見つからない
買い物意欲が萎えた私は、値札が付いていない商品を眺めることに飽きてしまった。値段交渉ができるほどこの国の経済情勢を知らないし、クリスティーナさんの面子を潰すような言動は控えたいという気持ちもある。
「買って欲しい物かぁ」
ルーはチョコ一択だが、この店では扱っていなかった。ルーがいた帝国でも見たことがないらしく、カカオ豆自体まだ発見されていないか存在しない植物なのだろう。
「我の精霊の棲家でいくらでも得られるのだ、あるかもわからぬものを探すなど、愚かしいことよ」
「ルーは、この大陸のどこかでチョコが売られていたら、嬉しくないの?」
「精霊の棲家のチョコに不満はない。我が必要なものなどここにはない故、チカが選ぶと良いだろう」
それは優しい提案かのように思うけど、要は自分が欲しいものはないから私に丸投げするってことですよね?
拠点の住居をもっと広いものに建て替えたいとは思うけど、家を四、五十軒建てて欲しいと望むのは、さすがにやり過ぎだもんなぁ。
防虫剤が必要ないくらい服が少ないんだから、着替えがあれば嬉しいのか?
「あれらは、もとの地より南南東に五百キロは移動したのだ。厚着などせぬだろう」
「五百キロ!? 逆にTシャツがいるじゃん…………ん? なんでルーといると、気温の変化に気がつかないわけ?」
「知らぬ。そのような些末ごと、気にしたことはないな」
マジかよ。ワンピース一枚で吊るされていたときは寒かった? 痛みはあったような気もするけど、スネを蹴られて悶絶はしなかったな。
私の意識が蹴られたら痛いと知っていたから、あのときは痛かったと勘違いしたんだろうか。
「それに我は布帛以外の生地を知らぬ。にっと地なる織り方をこの世の者たちは、まだ知らぬのであろうな」
「そっか、編み物とかはしないのかな? 貴婦人といえば刺繍のイメージだけど、編み物といえばロッキングチェアとおばあちゃんって感じだからね」
クリスティーナさんの帽子には、黒いレースが付いていたように見えたけど、じゃああれはなんだったのかな?
「衣類はこちらにございます」
「あっ、どうも」
二百人弱いる里人のサイズを調べてから買おうと思っても、ここにそこまでの在庫はない。人以外の種族がいるから、既製品を揃えるのが難しいんだろうな。
このならべてある服は、セミオーダー品の見本として置いてあるらしい。
だが私の記憶には、『どうぞご随意に』というコンセプトの、カジュアルファッションを扱うZEとか、百均の『タイゾー』とか、ディスカウントストアの『サンチョ・パンサ』の店内の様子や品揃えがしっかり残っている。
四越や中丸百貨店の高級感を体験しているからか、扱っている商品の種類や品質が段違い過ぎて、それほど必要とは思えない。
数ある商品の中から自分が一番いいと思うものを選べることを知っていると、ここがお貴族様御用達の店と言われても喜べなかった。
「我は、でぱ地下すいーつを所望する」
「あぁ、四越のことを考えたから、私の記憶が流出したのかな? でもなのちゃんから頼まれた物の方が多いから、味の記憶はなかったでしょう?」
私はそこまで甘味好きではなかったはずだ。なのちゃんが長期休みで遊びに来ると、手づくりおやつをよく試作していて、それを何度か試食したくらいかな。
お昼用にお弁当を作ってくれたから、仕事帰りにお礼のスイーツをよく買って帰ったわ。
その後、カロリー消費のための運動に付き合わされるまでがワンセットだったから、お菓子を口にするのを控えていたんだよね。
「だが、なのかは美味いと言ったぞ」
「なのちゃんは美味しいものに目がないからね」
「くりーむが絶品らしい」
「なんだろうな。ロールケーキ? フルーツサンドやマカロン、ワッフルの可能性もあるかも」
ああいった商品は、流行や季節によっても品揃えが変わるからなぁ。特定するのは難しいね。
「でもデパートを再現するのは道のりが遠くない? それに佐々木商店だって不完全なんだよ?」
精霊が何百体もいないと無理でしょ。
ルーからムッとした気配が漂ってくるけど、本当のことだし。
それよりも拠点の住民の希望だから、ノコギリと枝を払う山刀も必要だろう。釘や金槌だってあった方がいいに決まってる。
私たちはホームセンターに行くべきなのだ!
「そのようなもの存在せぬが?」
「近いところは?」
「鍛冶屋であろうか」
この世界では、どう考えてもファンタジー的なジャンルにしか、期待値があがらないよね。そこで鍛冶屋か。
ドラゴンの鱗の鎧とか、オリハルコンの盾とか、ヒヒイロカネの刀とか、そんな伝説の武器的アイテムなら見てみたい気がする。
ミスリルなんて、ファンタジーものにはよく出てくるよね。
『ルー、クリスティーナさんたちと別れたら、鍛冶屋を探そう』『何故に?』『この店は高いから製造元に行く』『好きにせよ』
脳内で会話を済ませた私たちは、とりあえずクリスティーナさんの顔を立てるため、綿素材で柔らかい布を五メートルほどと針仕事用の道具をひと揃え選んだ。
「あら、これだけでよろしいの? この布地の量では足りないのではなくて?」
「いえ、拠点にそのうち赤ちゃんが産まれる予定なんですよ。産着が何枚か縫えたら良いと思いまして」
「まあ! それは嬉しいわね。そこの貴方、布はもっと柔らかい物があるでしょう? そちらをこの倍の量、持ってきてくださる?」
クリスティーナさんは有無を言わさずお高い方の布を追加した。嬉しいけれど代金が一気に跳ねあがり、一般庶民としては落ち着かない気分だ。
「いいんですか、こんなに買ってもらっちゃって」
「ルー様はご存知ではないのでしょう。赤子には恐ろしいほどの布が必要なのですわ」
「………はい。ありがとうございます。皆も喜ぶことでしょう」
眼力がスゲぇ。タレ目でこの威圧感は何なんだろうな。
それでも柔らかい布が手に入ったのは有り難い。
台ふきんはジーラさんたちに渡したが、今後もかなりの数がドロップするだろう。それはある程度の量が貯まったら、各家庭に配ろうと思っていた。
でも、台ふきんでは下着も縫えないし、赤ちゃんには相応しくないだろう。
拠点には、タギラちゃんよりも小さい乳幼児が何人かいるのだから、その子たちの柔らかい肌を守らなくてはいけない。
「そうだ、暑さで弱る子がいるかも?」
「水路をめぐらせ水の精霊が多いあの地で、その様なことは起こらぬ」
「そうなんだ? 知らなかったよ」
たぶんルー以外、誰も知らないだろうな。セバルトさんかバルトフリートさんには伝えておくか。
「ではそろそろ帰りましょうか? 豆太〜、帰るよ」
あれっ? 豆太はいつからいなかったっけ。また春風のところにでも遊びに行ったのかな。
私たちが降りたあと、馬車はこの商会の駐車スペースに誘導されたので、買い物が終わるまで春風はそこで待っているはずだ。
「てぃかぁ〜! ここよ、ここなのよ」
うん? 店内にいたのか、気がつかなかったけど。
声を頼りに豆太を探せば、先ほど店主かと思った男性が、そのまま年齢を重ねた姿をしている人がいた。
豆太はその人の護衛に、ダル絡みしている。怒られないうちにやめてくれ。
「ぎんろーは、しゃむいとこにいたの〜?」
「まめちゃのちっぽとちゃうのね」
「ふあふあしてりゅ まめちゃはふしゃふしゃらもん」
あれが噂の、銀狼の兄弟か。確かに髪の毛は銀色に近いが、私はメタリックカラーの体毛を幾人も見てきたのだ。あれは不自然じゃない銀髪だな。光沢感はあるけど、金属とは違う柔らかさがある。
二足歩行の狼を想像していたけれど、狼の耳と尻尾がついているだけだ。そのふたりが、無表情で豆太の口撃を受け流している。
完全に無視しているように見えて、かすかだが片方の銀狼の尻尾がゆらゆらしているのは、仕事中だけど豆太のことが気になっているんだろう。
うちの子、超かわいいから仕方がないね。
「すみません、その子がお邪魔をしてしまって」
「ああ、あなたがシュイラー夫妻のお連れ様でしたか。私はグリフォン商会の会長をつとめるラリー・ベネットと申します。どうぞお見知りおき下さい」
「はい、いくつか選ばせていただきました。私はルーと申します。豆太、もう帰るよ。お仕事してるんだから邪魔したらいけないよ」
「まめちゃ、じゃまちたの?」
「良いのですよ。こちらの話し相手をしてくれていただけですから、精霊を叱らないであげて下さい」
ラリーさんは豆太を安心させるように微笑みながら許可し、私には悪いことはしていないのだからと、とりなすようなことを言う。
領主一族が連れているだけで龍とは知らないはずなのに、名だけ名乗っても対応が変わらなかった。この商会にとって、クリスティーナさんはかなりの上客なんだろうな。
今後この店のお世話になることはないだろうし、ラリーさんもすぐにルーの名前を忘れるだろう。
それでもこの領地の貴族が買う物の、品質がわかったのは良かったと思う。精霊の棲家のドロップ品を、できるだけ高く買い取ってもらいたいからね。
それにうさぎさん以外の獣人を見ることができた。他にはどんな動物の獣人がいるんだろう。拠点にも何人か来てくれないかな。
家には人魚がいるから、魚好きの獣人とは相性が悪いだろうか?
豆太を見てゆるく尻尾を振るようすを眺めながら、そんなことを考えてしまった。




