この世界で初めてのお買い物
誤字報告をしてくださった方には、とても感謝しています
「はしゃいでるね」
「本当に嬉しそうね。あら、あれは歌っているのかしら?」
「んん? ちょっと調子がはずれてるっぽいけど、なんの歌なのかな?」
「昨晩セレナーデが歌った、子守唄に似ているわね」
子守唄!? どちらかといえば行進曲っぽいね。あんなに元気いっぱいだと、目が冴えて眠れそうにないけどな。
「あの跳ねてるっぽい歩き方って、どう見ても春風の真似だよね?」
「うむ、激カワユス」
それは、なのちゃんの口癖ではなさそうだな。両親のどちらかだったっけ? 全然思い出せないや。
春風という牝馬は薄灰色で、たてがみと尻尾が真っ黒な姿をした大きな馬だが、相当な甘えっ子だった。背が高くガッシリとした体型のアーヴィングさんよりも大きな図体で、彼にすり寄って鼻面をこすりつけては嘶いていた。
それにしてもアーヴィングさんは、ブランクがあったようには全然思えないくらいカッコイイ乗馬姿だね。ピンと伸びた背筋とほどよくフィットした太ももにかかる外套の裾が、かなりの萌ポイントだと思うわ。
しかも嬉しさに舞いあがって落ち着かない春風を、しっかり制御して進ませているんだもんな。まあ、街中だからか、思っていた三倍は安全運転だったけどね。
領主館から商会までは富裕層が住んでいる地区みたいだけど、賑やかさとか煌びやかさが皆無なんだよね。それにこの街には街路樹がない。公園はあるし、貴族の邸には庭園もあるから緑がないわけじゃないんだけど、全体的に簡素な印象を受けるのだ。
「なんか思っていたよりも、道路の整備は発達してない感じだな。昭和初期ってこんなんだったのかも?」
雑草は生えてるし、舗装もしていない固めただけの土が剥き出しの道路だ。道の幅は結構あるんだけど、舗装されてない道路なんて見た記憶がない。明治時代の前って江戸時代だっけ? 参勤交代ってこんな道を歩いたんだろうか。
牛車は平安時代のイメージなんだけど、その時の乗り物って馬車? 時代劇では馬車も牛車も出てこなかったんだけどなぁ。
真面目に勉強してこなかったから、あんまり覚えてない分野だわ。
「排泄物の処理の為であろう」
「ん?」
「道をあすふぁるとで固めぬ理由よ」
「ああ、道にそのまま残るのは困るね。トイレの躾ができるなら良いけどさぁ」
犬猫の糞とはサイズが違いすぎるもんな。
こういう汚物処理で日銭を稼ぐ人もいるから、それほど道は汚れないらしい。道の脇にはそのための水場があり、馬たちの飲み場と兼用で使えるしくみが完成している。
集められた馬糞は一箇所に集められ、堆肥にした後に小作人に配布して小麦などを作らせていると、クリスティーナさんが教えてくれた。
道路に沿って家が並んでいるけれど、土地に余裕があるからか玄関から馬車道までがとても広い。
私が住んでいたところは敷地ギリギリに家を建てて、歩道どころか車道にまではみ出して駐車している人が多かった。それでもプランターに花を植えたり、狭いながらも庭木を育てたりと、家そのものに個性があったはずだ。
それがこちらの住宅は、みんな似たような外観でおもちゃの街みたいに見える。確かに、竪穴式住居に比べたら二階建てで広々としていそうだが、眺めて楽しめる街並みではなかった。
「なんか違和感があるんだよな」
「窓であろう。こちらはまだ、チカの世界の建築ができるほどの技術を持たぬ故」
「あ~、そっか! それで間違いないっぽいよ」
建物の外観の印象って、窓が命って聞いたことがあるもんな。こっちの建物は外壁がのっぺりしているんだよ。
家を装飾しようとする意識を、貴族たちほどには持っていないんだろうね。もっと生活に余裕が出たら、どんどん発展しそうだけどなぁ。
「到着いたしました」
商店街の一画でゆっくりと馬車が停まり、外から男性の声がかかる。
馬車の扉が開き、アーヴィングさんがクリスティーナさんの降車を助けると、私にも手を伸ばしてきた。私はスカートではないのでちょっと驚いたが、手を添えて馬車を降りた。ルーは特に感想はないらしく、すでに意識は店舗の中に向いているようだった。
「いらっしゃいませ、シュイラー様。お呼び頂けましたら、いつでもお届けいたしますよ?」
この男性が店主だろうか? それとも息子かも知れないが、三十代前半くらいの几帳面そうな男性が挨拶に出てきた。
クリスティーナさんは、今回は知人を連れてきたからゆっくりと商品を選びたい旨を話し、普段は買い物の補助をする店員を下がらせている。
おかげで私たちは人の目を気にすることなく、店内を見て回ることができた。
「小麦粉だけで三種類もあるね」
「わたくしの家ではこちらを使っているようですわ」
一番高い小麦粉ですやん。こっちのなんてちょっと灰色っぽいけど、半値ですよね? 十キロで四十ガドだから百キロ買ったとしても、クリスティーナさんの話とは百ガドも違うんだけど、これってぼったくられてるの? それとも配達料が込みなわけ? 配達だけでそんなに手数料がかかるとか、高級店過ぎないか。庶民のお店だと、もっと安いはずだよね。なんか急に購買意欲が下がっちゃったわ。
「あら、それは酵母も必要量を届けて貰っているからですわ」
「酵母かぁ」
「酵母は日持ちしないので、毎週届きますのよ」
保存方法の関係で店頭には置いていないが、酵母液と小麦粉二十キロを毎週配達してもらうらしい。
ドライイーストとかベーキングパウダーは無いんだろうか。小麦粉に対して酵母なんかほんのちょっぴりでいいし自作できるのに、この国では随分と高額みたいだな。
「チカの国ではそうでも、ここではカビは毒という認識である故、自作は止めよ」
「私は作ったことはないけど、リンゴ酵母とか有名だったよ?」
「そもそも砂糖の値段が違うのだ」
「どれどれ。ほんとだ、めっちゃ高い」
一番安い小麦粉の十倍はするし、塩の四倍の値がついている。それに小麦粉や塩は一キロからの販売だが、砂糖は百グラムから売るらしい。
「ルー様、どうぞ遠慮なくお選び下さいね」
「あっ、ハイ」
塩は精霊の棲家から落ちたんだよな。拠点の女性たちは岩塩を使っていて、海からとれた塩を初めて見たと言っていた。でも砂糖はどうだろう。佐々木商店に行ってたのは子どもの頃だからなぁ。
私もルーも料理はしないし、砂糖なんかいらないんじゃないかな。それよりも拠点で育てる野菜とか、衣類を修繕する裁縫道具とか、優先すべきものはたくさんあるな。
甘いものが大好きなルーが、砂糖に飛びつかないことには少しだけ腑に落ちないけれど、食材とかは慎重に選びたいね。毎日この店に買い物に来なきゃいけなくなったら、正直めんどくさい。
「ノコギリはここに置いてますか?」
「刃物はこちらに置いてございます」
クリスティーナさんたちに断り、女性の店員さんに案内されてニ階に行く。こちらの売り場には刃物や小さな家具、寝具とシーツなどの布製品などが置いてあった。
ノコギリは五本しか置いていない。店員さんに確認すると、こういったものはほとんどが受注生産で、見本のために数点置いてあるのだという。
「注文したらどれくらいでできますか? お値段は五本ともこちらの札の金額でしょうか」
バーコードどころか値札シールすら付いていないのに、レジ担当者は計算を間違えたりしないのかな。
「そうですね。このサイズですと、工房が忙しくなければ三日ほど頂戴しますね。ですが、お客様はシュイラー様からのご紹介ですから、こちらもできる限り勉強させていただきますよ」
やっぱりご領主様の親族だもんな。商売上かなり気を使うんだろうね。
こちらも、クリスティーナさんが買ってくれると聞いてしまったせいで、選びにくいし気になってしまう。
「うーん、こっちのは五十ガドだし安いのでも三十ガドかぁ」
「こちらは横引きと縦引きが可能な両刃型です。こちらは横引きのみの片刃型ですね。あとはサイズによって多少お値段が変わりますので、実際お試しになられてからお選び下さるとよろしいかと存じます」
ここの店頭に並んでいる物は、全部テスターなのか。とりあえずは、金貨十枚分は買っても自分で支払うことができるはず。
「遠慮せず選べば良いではないか」
「えー。でもさぁ、なんか悪いかなって」
「チカが拒めば、あ奴らには恩を返すすべがないとわかっておるのか?」
「救ったのはルーだけどね」
「我にとっては人の生死など些末な事よ」
聖樹の実を持つ龍には、お金以外で報いることができないと思われても仕方がないか。砂糖を使ったおやつを出しても、チョコの方が美味いってしか言わないんだもんな。
「じゃあ欲しいって言い続けてるし、ノコギリは買ってもらおうかな」
「お嬢様がお使いになるのでしたら、こちらかこちらの、小さく軽い物がよろしいかと存じます」
確かに小さくて軽いが、その分お高い金属が使われているのが、素人でもわかる品だった。
「手入れが簡単なのはどれですか?」
「こちらは少々重いのですが、木くずを取り除くブラシとヤニを落とす油でお手入れなさいますと、特に長持ちいたします」
結局、三十ガドでは済まないってことなのね。
「ではそれもひとつずつつけてもらって、重い方にします」
「保管用に木製のケースはいかがでしょうか?」
ムキー! 抱き合わせ商法かよ! 亜空間収納があるんだからそんなん要らんわ。
「いえ、それは必要ないです」
なんかめっちゃ疲れた。せっかくのお買い物なのに、全然心が踊らない。
異世界で初めての買い物は、緊張感とストレスでちっとも楽しめなかった。精霊の棲家でお菓子を拾っていた方がずっとマシだったな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




