精霊の献身は龍の怒りに触れるのか
ジャスティーナちゃんを客間のベッドへ運び、あらためてそこの応接セットに腰を下ろした。先ほどの部屋よりもソファやテーブルは小さめだが、脚や天板などに細かな彫刻が施されており、お高い家具だとひと目でわかる。
「では息子さんたちが亡くなったように偽装したんですか? 生きているんですよね?」
亡くなったわけではないって、なんだか遠まわしで気持ち悪いよ。それに偽装しなきゃいけない理由ってなんだろう。ポーライナたちを疑っていたから、亡くなったことにしてあえて泳がせたのか? でも、ジャスティーナちゃんにも生存を知らせなかったのは、やり過ぎだと思うな。
「ええ、ですが無事にとは言い難いのです。息子たちは精霊界で仮死状態になり、わたくしの精霊によって見つかりました」
「仮死?」
「息子は精霊界について、研究を続けていたのです」
「へー」
ゴメン、まったく興味ないわ。
「精霊の力を借りて門を開き、精霊界を通じて国の端から端まで移動しても、僅かな時しかかかりません」
そうだね。こくりと頷くことで相槌をうつ。
「わたくしの息子は精霊界での滞在時間と、その間に変質する植物について検証し、その成果をもって叙爵したのですわ」
なるほど? わかったような気がしないでもないので、うんうんと頷いておいた。
「ウィスタリアは瀕死の重体でしたから、クリスは自分の精霊に助けを求めたのだと思います」
「ウィスタリアさんはお嫁さんで、クリス? さんとはどなたですか?」
「失礼いたしました。息子の愛称です。わたくしの名であるクリスティーナがミドルネームですので、親しい人からはクリスと呼ばれておりますわ」
息子さんの名前はエリック・クリスティーナ・シュイラーというらしい。この国の王侯貴族はみんな、産みの母の名をミドルネームに持つという。どうやら血筋の正当性を明らかにするためのようだ。
子どもが五人くらいいたら愛称は被りそうだが、女児はファーストネームをもとに愛称をつけられるので、そこまで困ったことにはならないらしい。
ちなみにクリスティーナさんの愛称はリスティで、残念な次男はティンと呼ばれていた。
これはマジでいらない情報だな。
「この国では死亡届とかってないの? 夫婦揃って亡くなったってことにしたんだから、弔問客だって来るよね?」
偽装って簡単なのか? まてよ、貴族なんだからお金と権力でどうにでもできそうだな。
クリスティーナさんの説明では、人が亡くなれば神官を呼び、返魂の儀を執り行う。死者の肉体は魔素へと返り魂は天に送られ、いつかまたこの地に戻って新しい命になると信じられている。
その目印に、返魂の儀が済むと通称『魂の欠片』と呼ばれる魔石が残されるらしい。
私の記憶では、死ぬと火葬されてお骨が残り墓に納められた気がする。ここでは骨ではなく、ゴルフボールくらいの魔石が残るようだ。返魂の儀とは、火葬と同じことだと思われる。
その魔石を、故人が好んだ場所に置きひと月のあいだ喪に服すのが、この大陸では主流の葬儀方法だと聞いた。その間は家族などで故人を偲びながら過ごすらしく、弔問客が訪れるのはその後がマナーなのだそうだ。
「それで仮死状態とは?」
脱線させたくせに急に軌道修正して、悪いとは思ってるよ。だけど、うちの龍が飽きてビスケットの箱を並べだしたから、話しはできるだけ巻きでお願いしたい。
あっ、そのしましまのクッキーが入っている立方体の箱は、積み木ではないんだから重ねて遊ばないでね。ベッドで一緒に寝転んでいた豆太が、すでにテーブルの横に待機しているんだけど。大人の話には完全に興味がない素振りだったクセに、オヤツの気配には敏いんだよなぁ。
「ウィスタリアは午後の茶会によばれて、あの侍女と一緒にでかけたの。行きは伯爵家の馬車で送られて、帰りは寄りたい店があるからと侍女を残して馬車を返してしまったわ」
その侍女がポーライナだね。
「ウィスタリアは、店で息子の誕生日の贈り物を受け取り、侍女が馬車をひろうために通りに出た後から、行方がわからなくなったわ」
その侍女は女主人が見つからないからと、たったひとりでこの家に帰ってきて、先ほどの痩せ型眼鏡の男である執事に報告したようだ。
店の前でウィスタリアとはぐれた、というのがポーライナの主張である。
それを受けて執事のクラウスさんが、夫のエリックさんと家主のウィロウ伯爵と領地のアーヴィングさんとクリスティーナさんへ連絡した。その時点でエリックさんの行方もわからなかったらしい。
「では、それをラクティスが知らないのはどうしてなんですか?」
ラクティスがウィスタリアさんの精霊なら、なんで主人とその夫が消えたと言ったんだろう。ラクティスは精霊なんだから、ポータルを使って逃げたなら、それを開いたのはラクティスってことだよね?
ルーは、ラクティスが困っていたから助けに来たんだよ。ポーライナがウィスタリアさんの殺害を実行しようとしたとして、その時ラクティスが助けを求めるのなら夫の精霊だろう。研究者だったエリックさんに高位精霊がついていたんだから、そこにポータルを使って逃げるだろうし――もしかして。
「ラクティスはそばにいなかったの?」
「ラクちゃん、子どもらは寝ておるのだ。少しくらいは構わぬだろう」
「にゃ〜…………。僕、クルトが生まれてからは子どもを守ってって頼まれてる。タリーを探したかったけど、守らなきゃいけないから」
ラクティスは渋々だけど話し出して、不貞腐れたように口もとをモゴモゴさせている。
「えぇっと。クルトが寝てた坊っちゃんね。それでタリーがウィスタリアさんのことであってる?」
「そうだよ」
会ったこともない人の名前なんて、そんな簡単には覚えられないよ。
「息子の行方もわからないと知らされたので、わたくしはセレナーデに頼んでここに空間移動したのですわ」
はいはい。つまりセレナーデが、後ろでビクビクしている青年の姿の音楽の精霊の名前ね。
「その移動時に、息子夫婦とヴァイスハイトを見つけたわ」
ヴァイスハイトとは? はぁ、息子さんの精霊ですか。門の精霊で高位精霊は激レア? それは凄いですね。
夫婦は精霊とともに防御膜の中に囲われていて、白髭の老人姿だったヴァイスハイトは少年姿にまで縮んでいた。そして精霊よけが施されたこの邸の執務室に移動すると、秘密裏に主治医を呼んでウィスタリアさんの治療にあたらせたのだという。
「でも膜の中には干渉することができなかったのよ」
「リスティ、僕をタリーのところに連れてって! 僕の主だもの、僕のことを待ってるんだ」
「ラクティス……」
クリスティーナさんの足もとで見上げながら懇願するラクティスを、セレナーデが抱きあげて頬を擦りつけている。
「ルーだけじゃないんだ……」
可愛いモノ大好きさんが多すぎて、白目になるのも仕方がない。
「クリスティーナさん、医術師になんの手立てもなかったのなら、ラクティスに私も同行したいです」
クリスティーナさんはしばらく考え込むと、そばに控えていたメイドに声をかけた。間もなくこの邸の主人でクリスティーナさんの弟であるウィロウ伯爵がやってきた。
「オリー、この方を執務室に案内して頂戴」
「いいのですか、姉さん」
「ええ、わたくしたちにはもう取れる手段がないのよ」
あっ、弟さんですか。先ほどの女帝登場時に斜め後ろにいた方ですね。えっ!? 割らせる口がふたり分減ったから情報が少ないと。あー、残念な次男からも話を聞きたかったんですね。ルー?
「門の精霊の状態を確認した後ならば構わぬ」
二階の執務室に移動しながら少々物騒な世間話をすると、捕らえた女ふたりからはまともな情報は得られず、甥は廃人同然だ。娘の首が落ちている以上騎士の詰所に連絡しなければいけないが、被害者も加害者も一応身内であるため、情報を精査したいらしい。
「こちらです」
案内されたのは、執務室の隣にある仮眠室らしき小部屋だった。自分の邸なんだからベッドに戻って寝たらいいと思うんだけど、簡素ながらも広いベッドが備え付けられていた。そこには若い夫婦が寝かされていて、ふたりの真上に少年が丸まって浮いている。
見た感じ、空中に浮く少年は異常だが、夫婦は眠っているだけのようだ。少なくとも顔や頭部にはケガをした形跡がない。
「フム。枯渇か」
「枯渇って魔素の?」
「門の精霊が主を助け、その妻をこの地に留めておる」
「つまりウィスタリアさんを生かすために魔素を過剰に消費して、エリックさんもヴァイスハイトも昏睡状態になってるんだね」
「左様。チカよ、もらった葉を出すが良い」
「んー? あぁ、聖樹の葉か」
こんなに早く出番が来るとは思いもしなかったけど、貴重だと言われた葉を二枚取り出すと、葉っぱは一枚でいいらしい。ルーは上腕部からうろこを三枚剥ぎ取って、聖樹の葉と合わせて魔素で練りはじめた。自分の腕に生えているものを毟ったのに、まったく痛くなくて逆にビビるし、この場にいる精霊たちが跪いて頭を垂れていることにも困惑している。
それで出来たのは、試験管に入った薄緑の液体が三本だった。瓶はどこから現れたんだ?
「これをそれぞれに与えよ」
何も通すことがなかった膜にルーが触れると、簡単にサラサラとくずれていった。
聖樹の葉と言われてもピンとこなかったのか、遠慮せずに受け取ってくれたので、上体を起こして喉奥に流し込むのをおとなしく見守る。薬は飲み込んだというよりも、口の中に注がれたと同時に体に浸透したように見えた。
間もなく夫婦と少年姿の精霊からは、じわじわと光がこぼれるように滲み出てきた。それから五分もしないうちに、体の輪郭を確認するのが難しいくらい発光して、一瞬のうちに吸い込まれるようにそれぞれの体に収まった。
「門の精霊よ、目覚めよ」
ルーの声に反応したのか、少年の真っ白なまつ毛が震える。ゆっくり開いたそのまぶたの内側には、夏の空よりも濃い青色の瞳が隠されていた。
「なぜ至上たる天の御使いがここに?」
「ラクちゃんに呼ばれたのだ」
「にゃーん」
目覚めたばかりでぼんやりしていたヴァイスハイトは、ラクティスの声で正気を取り戻し起き上がる。
「クリスが! タリーを助けてください」
精霊はその勢いで私の足もとに平伏すると、美しい真珠色の髪が床に流れた。そして顔をあげると、涙で潤んだ目で懇願してくる。
ルーは片膝をつき少年の両脇に腕を入れ、そのまま抱き上げてベッド上のふたりを見せてやった。
これは確実に胸を撃ち抜かれたに違いないよ。
「そなたが時を留めたから、ふたりともこの地に留まったのだ」
「聖樹の香りがします」
「命薬を与えた。そなたにもだがな」
ヴァイスハイトは戸惑ったかのように視線を動かしていたが、ベッドに寝かされた夫婦が目を覚ましたのを見届けたと同時に、声を上げて泣き出してしまった。
私の首に両腕をまわし肩に顔をうずめてはいるが、びえーんと泣く子どもの声はけっこう耳にくるぞ。ルーが馬鹿力なのか精霊が軽いのかは判別できないが、重さを感じない分、腰への負担を考えずに済むのは助かる。
「タリー、どこか痛みはあるかしら。わたくしが誰かわかる?」
「お義母様? あら、なぜ寝ているのかしら」
のんびり返事をするウィスタリアさんを抱き寄せて、エリックさんも涙を流している。さすがにギャン泣きはしていないが、周りのみんなもハンカチで目をおさえて感激しているらしい。
「神様! ありがとうございます」
「天地初めてひらけしときよりこの地とともにあったが、我は神ではない」
古事記か! たぶん中学生だったと思うけど、はじめの数行を暗唱させられたわ。ルーは確実にその記憶から引っ張ってきたよ。
「じゃあ、これで一件落着ってことでいいよね?」
夫婦は目覚めたし、後遺症もないみたいだ。それにルーは精霊が消えかけたのを咎めはしなかった。
下位精霊たちに頼んだのはこちらだけど、残念ながらルーの棲家に住人は増えそうにないね。
私も豆太も蚊帳の外でなんの役にもたたなかったけど、働き手と精霊が増えなかった分お礼になんかくれないかな。