誘拐じゃないとは言いきれない
さて、と飛び立つところを、鬼女かと思われるほど目尻のつり上がった熟女に呼び止められた。
「そこの貴女、わたくしの大事な孫たちをどこへ連れて行くつもりなのかしら? ゆっくりとお聞かせ願いたいわね」
慎ましい深緑のドレスに、黒のレースがあしらわれたトークハットのような帽子、薄茶のロングヘアは一筋の乱れもなく纏められている。
十代も半ばの孫がいるようには見えないが、この迫力と矜持の高さを隠すことのない態度を前にすると、人生経験の多さが滲み出ているように感じた。
「まぁ、お付の者がこれだけいればねぇ。パッと見、女帝って感じだもんな」
「お祖母様!」
肩に担いだ少女が上体を起こして振り返ると、思わずといったように声を上げ、あとは涙を滝のように流し出した。
「えぇっと……誘拐ではありません!」
いや、でもラクティスが許可したらこのまま拠点に運んだだろうし、やっぱり私は誘拐犯か?
「このようなことが起こるとは。やはりクラウスに見張らせておいて正解でした」
走っているようには見えないのに凄まじい勢いで近づいてきた女性の威圧感に、さすがに大事だと言うお孫さんたちを荷物のように抱えたままでは分が悪いと、庭にゆっくりと降ろしてから両手を挙げる。
「お、お祖母様。わた、私――」
しゃくり上げながら、それでも起きたことを懸命に説明しようとする少女を自分の胸に抱きしめると、引き連れてきた従者たちが男児を抱き上げ私から距離をとる。
これは完全に犯罪者として警戒されているようだね。
「あ、坊ちゃまは寝てるだけだから、あんま揺すらないであげてね」
三十代後半か四十歳くらいで痩せ型のインテリ眼鏡男が、男児が無事かどうか確認するために起こそうとしているので、教えてあげた――――んだけど、余計なお世話でしたねスミマセンでした。
「貴女、その姿はまやかしね。いかなる化生の者かは咎めないけれど、わたくしの宝を害するならば容赦はいたしませんよ」
「けしょう?」
「化け物のことぞ」
化け物? それはたぶん龍とは根本的に異なる存在だと思う。 龍もドラゴンも実在するのに、まだファンタジックな生き物を想像できるんだから、人って凄いよなぁ。
声を張り上げているわけでもないのにビリビリと体を伝う声量に、男児が起きないかと心配するもラクティスがすでに対応済だった。
そう、寝かせてるのがラクティスなのに、ルーが疑われるこの不憫さよ。
「高位精霊よ、そのように頭を下げずとも良い」
いい加減見かねたのか、ルーが熟女の後ろで震える青年に声をかける。青年の姿をした高位精霊は飛び上がるほど驚き、速攻で女帝の背後に隠れた。
「ルー? 珍しく怖がられてんじゃん」
「我は常にこのような扱いよ。豆太のように話しかけてきたのは、生じて以来初のことぞ」
「なんで?」
「我は龍ぞ。魔素を操り世を均すが、精霊の主を屠ることもある」
私たちがコソコソと内輪で話しているあいだ、高位精霊も身振り手振りを交えて女帝に説明をしているようだ。所々を少女が補足している? のかな。
んー? この精霊は宿主のお婆ちゃんが殺されるかもって怖がってる?
「ルーは口の悪い子どもにも頑固な爺婆にも慣れてるから平気だよ? 沸点が急上昇するのは精霊のためだからね」
フォローのつもりだったのに、目の前に立つ一団からの熱量が一気に上昇したようだ。
「アンタたち! あたしがこンな目にあってンだ、サッサと医術師を呼びなさいヨ! そのクソガキにあたしン娘がコロさレたンだ、なンで話なんかしてンだヨ! まダ元ガ取レてないってノに、こレじゃ大損だ!」
おや? まだそんな元気があったのか。
息子が廃人にされたことに気づかれる前に立ち去りたかったのに、そんなことすら予期していたかのように女帝がこちらに視線をよこす。
騒ぐ女のまわりには、首のない女性の遺体とよだれを垂らしなにかを呟く男、そして地面に伏して泣き続ける幽鬼のような女がいる。どう考えても正常な状態とは言えないか。
女帝が命じると、そこに転がる全員が何処かへと引きずられて行った。
「詳しい話をお聞かせくださるかしら?」
いや、背後に貼りついてる高位精霊に聞いたんでしょ? とは言いにくい雰囲気かな。
「我は精霊の棲家で菓子を集めねばならぬ故、そのような暇はない」
「それは後にしなよ」
断ったよ! この空気感でよく菓子の話なんかできたな。
「まめちゃのちょこをしゃがしゅの?」
おい! 豆太はいままでラクティスと遊んでいたのに、菓子という単語に光の速さで反応してみせる。チョコビスケット問題は私の記憶にかかっているが、如何せん私の存在は曖昧なのだ。
「コホン、弟の邸でですが、貴方たちにお茶菓子を呈したく存じます」
「おかち! おいちいの?」
だから豆太よ、ここまで友好的なのは少々危険ではないのか? やはり呪術師を根絶しないことには、安心して暮らすことはできないね。
「我はちょこ以上の菓子を知らぬ。その菓子は美味いのか?」
豆太だけじゃなかった! 龍がチョロいよ、チョロ過ぎるよ!
「ちょこが何かは存じ上げませんが、どこの茶会で出しても満足いただいている逸品ですわ」
「うむ。豆太よ、一緒に行くぞ」
「わーい、ゆくじょ〜!」
やれやれ、でも当事者からの説明はありがたいかな。
下位精霊の話では、困っている子がいるから助けてあげてと震えるのみで、誰が何に困っているのかがわからなかった。
その精霊が導くままに精霊界へ赴くと、コラットみたいなにゃんこがなにかを探して右往左往しているのを見つけたのである。
にゃんこは泥んこの精霊で、たしかに大地の精霊の眷属ではあった。泥んこってなんだよと思わなくもなかったが、精霊の多様性に驚きつつもそんなものかと納得するしかない。
にゃんこはラクティスと名乗り、宿主とその夫が消えて子どもにも危険が迫っているのだと訴える。ラクティスが探していたのは宿主の夫についていた精霊だったが、この場所では見つからなかったらしい。いるかわからない精霊をいつまでも探し続ける意味がないと、ルーがラクティスを急かしてこの家に到着したのが少し前のこ――「甘!」
私が回想している間に、貴族の屋敷の客間にとおされて茶菓子の前に座っていたようだ。ルーが口に入れたのは、ナッツとドライフルーツを荒く刻んで飴で固めたお菓子だった。
「キャラメリゼか。ドライフルーツの酸味と相性がいいもんね」
ブルーベリーとクコっぽい赤い実が、琥珀色の飴につつまれている。ただ、このナッツはアーモンドとは違うような気がするが、歯ごたえがあるから満足感が大きい。しいて言うなら、歯にくっつくからむし歯には気をつけないといけないな。
「お口に合いましたか?」
「ちょこのほうがうまい」
「ルー! ご馳走になっといてそれはないよ。普通なら手みやげぐらい持ってくるもんなんだよ」
「フム」
「いえ、お気になさらずとも良いのですよ」
「チカの申すこともわからぬではないな。そなたらにはこれをやろう」
そう言ってルーが取り出したのはヨーグルト味のキャンディの残りと、薄荷味のラムネに珍味系の駄菓子の定番である花子さんシリーズだった。私は中でも蒲焼き花子さんが好きだったな。
これらはすべて佐々木商店のドロップ品だし、なんならルーが一口食べて甘くないと判断したものばかりだ。この龍、自分がいらないものを人に手みやげとして渡しやがりましたよ。
目の前の女帝、いや、クリスティーナさんか。彼女は戸惑いつつも、ルーの好みではない菓子を受け取ってくれた。
ドロップ品だから害はないと、きっと彼女の精霊が説明してくれるだろう。
ルーがコリコリと菓子を堪能している間、私は先ほど回想していた内容を説明する。口から菓子がこぼれないように話すのも、ルーと息が合ってこそできることだな。
「嘘かどうかはラクティスに聞いてくれたらいいよ」
クリスティーナさんの隣にはジャスティーナちゃんが座り、その膝の上にはラクティスがヘソ天で寝転がっている。頭とか後ろ脚が落ちかけてエビ反りになっているんだが、まったく意に介した様子もなく気ままなものだ。
「いえ、貴方様の話を疑ってはおりません」
それから聞いた話は正直に言えば、ルーも私もあまり興味がなかったのだが、クリスティーナさんの高位精霊がうるうると上目使いで懇願するので、あっさりとルーが陥落した。
もともとジャスティーナちゃんの祖父であるアーヴィングさんの家系は、貴族とは名ばかりの片田舎で領地を守る騎士の血筋であった。よほどのことがない限り家督を継ぐことのない三男だったアーヴィングさんは、当時美姫と謳われた伯爵令嬢の心を射止た。まぁ、目の前の女帝のことだな。
その息子であるジャスティーナちゃんの父親は、長男だったが研究者の道に進み、その一途さで研究に取り組み成果を讃えられて子爵位を叙爵した。アーヴィングさんはそんな息子の性格を見抜き、早いうちに親類を後継者と定めていた。
アーヴィングさんも柵があって領地を治めていたが、もとより騎士として生きてきた男性であったため、大怪我で馬に乗ることが困難になり自らの足で領地を見回れなくなった時には、即座に領主の地位を退いたようだ。
本人は領地の片隅で妻とのんびり過ごすことを望んでいたが、新たな領主はまだ若く彼の願いもあって領都の一角に居を構え、そこを終の棲家とした。前領主として繁栄の一翼を担うことを選んだのだ。
「えっと、つまり旦那さんは騎士だったけど婿入りして伯爵を継いだってことだよね。でも領主を辞めたから、いまは爵位がない。それって貴族なの? それとも平民になるの?」
「他国では継ぐ爵位を持たぬ男性は平民になるようですが、この国では貴族のままですわ」
「ジャスティーナちゃんのお父さんは子爵なんだよね?」
「はい。ですが一代限りのものです」
「……じゃあ、あのおっさんのしたことは無駄?」
「おっさんというのが叔父のことなら、そうですわね」
なんと言うか残念な人だよな。あのケバケバ女と結婚したときに除籍されたから、彼は貴族ではないらしい。でも多少の援助はあったにしろ平民として十年以上生きてきたのに、なぜいまさら兄の爵位なんか欲しがったんだろうな。
「ポーライナは知っているのかもしれません。母を殺したと言っていましたし、父と結婚できると信じていましたわ」
ハンカチで目もとをおさえながらジャスティーナちゃんがそう言うと、クリスティーナさんがしばらく考え込んだ後に精霊に促されて口を開いた。
「実は息子とその妻は亡くなったわけではないのです」
えっと、その可能性は考えていなかったな。とりあえずお孫さんが倒れそうだから、横にしてあげたほうが良くないか?