ルーが求めたものとは
ルーの拠点に住民を迎え、竪穴式住居の間隔をかなり広くとって配置した。この時点では、拠点の敷地の二%にも満たない面積しか使っていない。
家の造りから一軒ごとに設けることができなかったので、共同の井戸と炊事場をつくり、忘れていたトイレを五か所、銭湯モドキを二か所追加した。トイレは男性用も個室にして、あまり忌避感を持たないようにしたし、お風呂はお湯がいつでも汲めるので、いままでどおりに家で体を拭くこともできる。
「いま思いつくのはこんなものかな。あとは不便だと思ったところを改良していけばいいか」
これらは村暮らしを経験したことがない子どもたちには不評だったが、大人たちには受け入れられた、というか喜ばれた。
そもそもトイレを知らない子どもたちがいて、排泄はトイレで行い木陰や藪に隠れてしてはいけないと教える必要があるなんて、完全にチカの想定外である。
そのため夜中にトイレまで行くのは怖いだろうと、掘り起こした土の中から見つけた魔石を使い、夜間は常時明かりが灯るように、でも明るすぎないように工夫した街灯を設置することにした。
ちなみに排泄物を肥やしに使う予定はないので、浄化の紋様を刻んでいる。これは貴族の屋敷を参考にした。どうやら貴族レベルになると、ライフラインは魔石と魔術紋が主流らしい。
ルーが暮らした帝国でも、お風呂は魔術でお湯をはっていた。トイレはルーが使わないから、どんな技術が使われていたのかわからない。ちなみに目覚めてから一度も排泄をしていないが、龍とはそういう生き物らしい。
「はやくそれぞれの家をバージョンアップして、キッチンもトイレもお風呂も設置してあげたいよねー」
ルーは心ここにあらずといった風情で、私のことばにろくな反応を見せない。人に関することだから興味がわかないのか、精霊が増えたから脳内再生でもして楽しんでいるんだろう。
貴族の屋敷にはトイレがちゃんとあったが、私が使う予定はない。でも客室もあるし使用人の部屋もあるんだから、いつかは美味しいご飯を作ってくれる、かわいい女の子を雇いたいな。なので既存の魔石に、魔素を補充しておくことにする。
人魚の親子のために、屋敷の南側に池を創ったが、彼らは夜になると足が生え、ふつうに地上で横になって寝るようなので、夜になったら屋敷にある部屋を使うように伝えた。
カエルだって足が生えるんだから、人魚に生えるのがおかしいと思うのは間違いなのだろうと、少々混乱気味の自分を無理やり納得させる。
「あとはお医者さんも欲しいよね。いまは持ってきた薬草と、聖樹の果実だけが頼りだし」
東の集落の人たちは痩せ細っていたが、ケガや病気は完治していた。さすがは聖樹の果実である。しかし痩せた体がそれで戻ることはなく、ゆっくり消化の良いものを食べて休息するしかないようだ。
元気になったらどんどん家が建っていくだろうから、いまできることはこれくらいだろうか。
「チカのやるべきことは済んだのだな?」
「ん? ボンヤリしてると思ったけど起きてたんだね」
「次は我のすべきことを始めるとする」
ルーは拠点の中央にある屋敷から精霊界をとおって、先ほど回収した集落の上空へと移動した。集落に残された村人たちが集まっているようだが、もう里人には手出しできないのだから放っておく。
そして西の集落の南東にある精霊の棲家と、東の集落のさらに東にある精霊の棲家から、すべての精霊を引き抜いて拠点に戻ってきた。
あの場所に残した村人たちは、この半年間一度も精霊の棲家に潜っていないとわかっている。なくなったところで困ることはないだろう。それに精霊たちにはすでに話をとおしていたらしく、ルーは大歓迎されていた。
「精霊たちよ、この地で新たな棲家を創ってほしい」
下位精霊から高位精霊まで、二十体前後の精霊たちがルーの体を取り囲むと、そこにはなんとなく見たことがある建物があらわれたのである。
「フム、やはりまだ足りぬか」
「……ちょっと! これどういうこと?」
「もっと精霊を集めねばならんな」
「なんで佐々木商店がここにあるの〜!」
目の前の建物は、私が幼少期に通っていた店だった。佐々木商店は、母の実家のすぐそばにあった駄菓子屋兼酒屋さんで、車を持たないために大型店まで行けない高齢者や子どもたちのオアシスだったのだ。
「我ははやく『甘味の楽園』が欲しいのだ」
「……『甘味の楽園』……なんでそれを?」
『甘味の楽園』とは、定額を支払えば制限時間内でどれほど甘味を食べても追加料金がかからない店のことである。私の国ではあちらこちらに店舗があり、甘味好きの女性のみならず男性たちにも人気だったが、一部の人種からは敷居が高いと畏れられる聖域であった。
いや、私とルーは記憶を覗き放題なのだ。なのちゃんのお財布として行った『甘味の楽園』の情報もあったのだろう。私は洋菓子はあまり得意ではないが、サラダやパスタ、カレーも食べられたので苦痛ではなかった。
「チカよ、そなた鞭は振るえぬのであろう? だが目を瞑るのはやめておけ、我が避けられぬからな」
「えっ! ルーが戦うんじゃないの?」
「我が力を奮えば、この程度のダンジョンなど消し炭よ」
「マジかぁ〜」
ルーのやる気が満ち溢れ過ぎていて、こちらの腰は引け気味なのだ。
「では、いまからこのダンジョンを攻略するぞ!」
「しゅるじょ!」
「豆太!? いつの間にきたの?」
「まめちゃ、じゅっといたよ?」
「使いより帰りし時より、そばを離れずにおったぞ」
「てぃかにはみえなかったのね」
ルーからは、お前マジ見えてねぇの? と言われているかのような思考が飛んできて、豆太からは若干非難するかのような恨みがましい眼差しで見つめられた。
おなじ目を通して見ているはずなのに、いったい何が違うというのだろう。
「すみませんでした」
豆太に初めて名前を呼ばれた喜びを噛みしめる間もなく、罪悪感に苛まれることとなってしまった。ルーは関係なかったのに、私のせいでカワユイ豆太に睨まれてヘコんでいる。
「出鼻をくじいちゃってごめんね。さっそく入ってみようか」
私は右手でドアを右に引いた。営業中にこの引き戸が閉まっていたことはなかったはずだが、ダンジョンなんだから開けっ放しは危険だよな。
「ふぁー! あの店はこんなに広くないはずだけど!」
扉の向こうは空間がおかしかった。佐々木商店は田舎の個人商店だ。だから売り場は建物の前面だけで、奥のカウンターから先は佐々木のおばあちゃんの自宅になっていたはずなのだ。それなのに建物全体が店舗になっている。
私が小さい頃は、おもに入って正面の駄菓子コーナーにしか用がなかったが、左側にはパンやインスタント食品のコーナー、左奥には生鮮品、右側には日用雑貨、右奥にはアルコール類を置いていたと思う。
「アッー! ウエハースサンドだぁ―――― って、痛っってぇ!」
あのふにゃふにゃでカラフルなウエハースに、クリームとスポンジケーキが挟んである、三角形の菓子パンだ。
懐かしさに駆け寄って手をのばせば、それはただの背景だったらしく本物ではなかった。突き指したかと思えば、まったくの無傷で、龍の丈夫さに感謝するしかない。
「あっ、ミルクフランスボールもあるじゃん!」
まん丸いフランスパンに、ミルククリームがたっぷりと入った菓子パンは、小学生だったチカが一番好きなパンなのだ。たしかこのパンは、クリームがジャリジャリしていた気がする。そこが大好きになった理由のひとつだった。
大人になってから似たような菓子パンを見つけたが、思い出が尊すぎてコレジャナイ感が酷すぎた思い出があるくらいだ。
「チカよ、武器をちゃんと握っておけ。そなたが一番の雑魚なのだから油断してはならぬ」
「…………はい」
痛くもないのに反射で叫んで、気まずいことこのうえない。
「それに残念だが、ここでそのパンはドロップしないぞ」
「なんでぇ?」
「チカがここで買わなかったものは、まだ再現できぬのでな」
「…………」
佐々木商店で買わなかったものは、たくさんある。私が子どもだったこともあるし、なにより佐々木のおばあちゃんはマイペースすぎるんだ。
母の実家は隣の市にあったから、チカがこの店を利用したのは年に数回程度だ。それなのに、その数回で買ってはいけないものの目利きができるようになったのだから相当である。
まず菓子パンだが、商品の三割が賞味期限切れだ。そしてその中の数点には、カビが生えている物さえあったのだ。
当然チカには、左側の棚には近寄らないという習慣ができたのである。
「チカよ、ここは棚の隙間をたどり、奥へと進むようだぞ」
「豆太もあんまり離れないで。何が出てくるかわかんないからね。豆太がケガなんかしたらルーが泣きやまなくて大陸が海の下に沈んじゃうからね」
「まめちゃ、けがちない」
オケ、じゃあ進むぞ。鞭を右手に装備していることを除けば、サンダル履きの私は、いかにもふらっと買い物に来たご近所さんだ。つまり防御力が不安である。
いくらルーが無敵だろうと、敵に立ち向かうのが自分だと思えば腰も引けるし、二、三度鞭を振ってみたが、一度など鞭の先が顔の横をかすめていった。
これは自爆するんじゃなかろうか。
「てぃかぁ〜! かさこそがくるのよ!」
耳障りなガサガサ音からの、体長一尺の平べったい甲虫のような生き物が、床を這うように団体様でやって来たのだ。
「うわぁ! 近づいてくんな! キモイ、キモイ、キモーイ!」
最初にあらわれたのは、緑色のフナムシみたいなのが数匹だった。それが次から次へとやって来るうちに、黄色や橙色が混じってくる。脚の多い生き物というだけで気持ち悪いのに、それが超巨大で大量発生中なのだ。
そのうちチカは考える余裕もなく、ただひたすらに鞭を振り続けた。
「ダンジョンって思ってたのと違うよ〜」
「てぃか、ぼくこれがほちぃの」
「良い良い、好きなだけ受け取るが良いぞ。そして我はこれを食すぞ」
倒した死骸はすでに跡形もなく消え去り、床に落ちている戦利品の中から、豆太は透明な虫の翅をいくつも風で浮かせている。
そしてルーが指差しているのは幼少期に食べたハート型のキャンディであった。八角形の紙箱にハートの模様が散りばめられていて、女児の心を鷲掴みにする、もうどこにも売っていないお菓子だ。
「うわぁ! 懐かしい。このヨーグルト味が一番好きだったんだよね。レモンとイチゴ味もあるのかな?」
嬉しくなってあたりを見渡すが、まわりには虫の翅や得体の知れない液体が入った小瓶、革の巾着袋も数個ある。
そして佐々木商店で買ったことがある駄菓子が、ちらほらと落ちているだけだった。この飴は一箱しかないみたいだな。
なぜか亀の子たわしが二、三個ほど視界に映るが、あれもダンジョンのドロップ品なんだろうか。虫がお菓子にかわったなんて、なんだか食べにくいよね。
「ここのドロップ品って虫の素材か、懐かしのおやつの二択なわけ?」
敵を退けるべきか屠るべきか。戦利品を捨てるべきか食すべきか。それが問題だ。
サブタイトルから
それは、地球産の甘味でした
ルーはこの大陸にはまだないスイーツを、精霊に協力してもらいダンジョンから得ようと頑張ります
チカは販売終了した菓子が手に入ったことで、それに夢中です
みなさんは復刻してほしいものってありますか?
私は昔のほうが香りの良かったシャンプーや、かなり前に製造中止になった入浴剤がほしいです
あとアーモンドビッグバーも