あるべきものをあるべきところへ
遅れてすみませんでした。
「雨の精霊の乙女ビルケよ。何処かに井戸の精霊が生まれたならば、この地に参るよう伝えてはくれぬか」
『お友だちに拡散してね』と言いたいところを自重して、ビルケだけにお願いする。彼女は雨の精霊なので、この大地で入り込めないところはほとんどないだろう。
ルーは精霊が生きられない地をつくらないことにかけては非常に優秀なので、この大地には砂漠がない。もちろん砂地はあるが、草木が生えないような不毛の地はいまのところ存在しないことがわかった。
精霊が好む井戸には軽い祝福がつき、夏は冷たく冬は凍らないという。私の記憶では井戸とはそういうものだと思っていたが、実際に見たことがないので本当のところはわからない。その上、精霊を敬っていれば水が枯れることはなく、井戸の水が穢れることもない。こちらは間違いなく精霊のご利益がありそうだね。
井戸の精霊はおしゃべりで友好的で、人をとても愛している。だが、そのせいで呪具師に捕まるのも、親しみやすく人の生活に馴染んでいる精霊が多いのだ。
「まぁ! うふふっ。もちろんルー様の思し召すままに」
ビルケは感極まったように胸の前で指を組み、嬉しそうにバルトフリートさんと微笑み合っている。
こんなとき奥様であるウビツァさんがヤキモチを焼かないかと不安になるが、精霊は決して裏切ることのない盟友であり護り手であるため、嫉妬どころか大喜びしていた。彼女のヴァイオレットメタリックのつや髪も輝いて見える。
もちろん彼女のポジションは、ビルケとは逆側のバルトフリートさんの腕である。
「仲がいいのは大事だよね」
ビルケもバルトフリートさんからあまり離れたくないだろうから、下位精霊の水の子たちにでも指示を出すんじゃないかな。
「龍から直々のお願いだもん。ビルケがレベルアップしたら、バルトフリートさんが怪我すらしなくなるもんね」
ここに来るまでの過程で、ルーは龍である己の能力を存分に発揮した。ここにいるメタリックカラーの種族が百八十人と、獣人の家族五人には、良いパフォーマンスになったことだろう。それにルー様って呼んでくれるから、畏怖だけじゃないと思いたいね。
「ルー様、ほんとに使っちまっていいんだね?」
「構わぬ。ジーラよ、スープに鹿肉はいるか?」
「あれま! アタシらはガチョウを数羽潰そうかと思ってたんだけどね」
大鍋をいくつか運んでいた四、五十代の奥様方は、突然ルーが出した冬鹿にあきらかにビビっている。ちなみにこれらの調理器具は、貴族屋敷の調理場にあった物を横流しした品々だ。
「ずいぶんとデカイ冬鹿ですね」
驚いていたのは奥様方だけではなかった。年若い狩人たちも、大陸の北の果て以外であまり見ることのない獲物にソワソワしているようだ。
この種の鹿は寒さに耐えるために、毛足が長く重い毛皮とたっぷりの脂肪に包まれた巨大な体を持つことで有名だ。この個体も体高が三メートルを超えるかなりの大物だが、料理担当の奥様方には不評だった。空腹で弱った胃腸には、この脂は毒になってしまうらしい。
気持ちしょんぼりしたルーがそっと亜空間収納に戻すと、体調が落ち着いたらご馳走して欲しいと慰められてしまった。
「鳥が良いのか? 駆除した土鳥があるが使うか?」
「ルー様! そいつは特定害獣じゃないですか」
「我がここに住むと決めたのだ。譲らぬあ奴らが悪い」
理由が子どものわがままに近いな。土鳥は敵の少ないこの地で思うがままに繁殖を続けていたようだ。
「もとより、この地に土鳥は増えすぎたのだ」
口をへの字にしたルーが亜空間収納から取り出したのは、またしても巨大な獲物だった。これはダチョウか? いや、脚も首も長くないな。どちらかといえばムッチリしていて丸みがある。
「チカの記憶にこの種はおらぬ。だいぶ小さいが、ホロホロ鳥が近かろう」
しばらく考えたが、その鳥に馴染みがない。姿も味も、まったくわからん。ちぎれて無くなった方の記憶にあった知識だったのだろうか。
「こ奴らがドタドタと地を固めるから、小さきものらの芽が出ぬと芽吹きの精霊か哀しむのだ」
龍と野良鳥の縄張り争いかと思いきや、いつもどおり精霊がらみだったか。
それはともかく狩人たちは土鳥の解体を、奥様方はそれを次々に調理し始める。この地に連れてきた人は二百人近くに増えてしまったから、鍋を持ち寄り出来たものから運ばれて行った。彼らが動くと、それに下位精霊たちがフヨフヨとついてまわる。
ルーはそれを眺めて満足だとでも言うように、深く頷いていた。
里長たちと引っ越しの話をしているときに、その時間で豆太に東の集落を見に行ってもらった。また私が集落のど真ん中に出現して、パニックを起こされたら話がまとまりにくいと思ったからだ。
「豆太、お願いがあるんだけどいいかな。ここから東にある村にもキラキラが住んでいるから、困っていないか見てきてくれない?」
「まめちゃ、おてちゅだいしゅる。まめたちゃんといっちょに、いってくゆ!」
豆太はまめちゃで、上位精霊がまめたなのか。こりゃ命名を誤っちゃったな。勢いですることは、わりと残念な結果になりがちだよ。
それでも豆太から快く返事をもらえたので、あとはその結果次第だ。それにイヌワシの姿の上位精霊も、豆太と一緒に行ってくれるらしい。
「アーラーよ、東の集落には弟がいるかもしれない」
主である青年にアーラーはわかっているとばかりに高く啼くと、豆太たちと一緒にふわりと浮かんで大気に溶けた。さすがは突風の精霊なだけはある。豆太も風系の精霊なので、すぐに帰ってくるだろう。
「東の集落のみんなも連れて行かれるのでしょうか?」
ダークブルーメタリックの髪を、高い位置でポニーテールにしている女性が、不安げに聞いてくる。その水色の瞳には、わずかばかりの期待が込められていた。
「そうだね、人買いとかに困ってたらそうしようかと思ってるけど。仲違いさえしなければ、人手は多い方がいいんだ」
「あちらに家族がいるんです。近くで暮らせるなら嬉しいわ。両親に子どもの顔を見せることなんて、絶対できないと思っていたの」
彼女は自分をウルマだと名乗り、三年前に東の集落から嫁いできたので、向こうには親兄弟が暮しているのだと言った。四年前にウルマの弟が追放対象に選ばれたとき、迷わず家族みんなで村を出たそうだ。
弟はブラックメタリックの髪だったので価値がないと判断されたと、悔しそうに拳を握りしめていた。
「でも本当はそんな理由じゃないわ! 弟は村長の姪からの求婚を断ったんです。その報復なんだってみんな知ってたのよ!」
「それは理不尽な扱いを受けて、ウルマさんもずいぶんと悔しい思いをしたろうね。私の拠点には村長の関係者を連れて行かないから、安心して暮らしてほしいな。でもその姪に弟さんの居場所がバレるのは良くないね」
「村人が住むようになったので、東の集落とは連絡を断っているのです。そのせいであちらの様子がわからず、どうしているのやら」
里長のセバルトさんも心配そうにしている。ここの集落の住民たちが、村長の親族たちによって苦しめられているからか、不安は尽きないのだろう。もしもあちらに村人が避難していないのなら、そこに集落があることは隠しておきたいのだそうだ。
村から東の集落へ行くには、そこそこ高い山が遮っているため、南を迂回するか谷をたどって進むしかない。
逃げまどう人たちが当日どんな動きをしたかは予想するしかないのだが、おおよそ二百人近い村人が逃げたのだから、何人かに発見されていてもおかしくはないだろう。
精霊はあまり宿主から離れたがらないし、下位精霊と会話ができる者はごく僅かだ。アーラーが主のもとを離れたのも、ここを龍が護っているからにほかならない。
「そうだった! この中に、五年前にいなくなった兄弟を知ってる人はいるかな?」
「それは私の息子たちです。妻はあれ以来長らく臥せったままで……」
「顔とか特徴がわかれば精霊たちに探してもらおうと考えてるんだけど、奥さんをぬか喜びさせちゃうかもなぁ」
「それでも妻にとっては朗報となるでしょう。しばしお待ちください。連れてまいります」
そう言ったのはサモエド姿の上位精霊をそばに置く、四十歳前後の男性だった。
「フム、チカよあの美味くもない果実を出すが良い」
「んん? あぁ、聖樹の実ね。美味くないとかさぁ、あんま失礼なこと言わないでよ。でも数が足りなくない?」
十数個はあるはずだけど、ここにいる人数分には足りたっけかな? こういうのは公平に分配しないと、後々まで禍根を残すことになりかねない。
「なに、実を割って中のひと粒を与えてやるが良い」
「えっ、ひと粒でいいの? 私って丸々一個食べたけど」
「我の知る限り、丸ごと食したのはチカが初である」
「先に言ってよ。体の不調とか問題ないのかな」
「ないな。我もそれで回復した」
食べすぎて良いことなんて何もない。ルーは体重を気にしたことがないから、そんなことを言うんだろうな。
「じゃあ、まずはここにいる人からだね。聖樹の実をあげるから口を開けてください。家にいるひとにも持っていってね」
まずはこの集落に、もとから住んでいた人たちに配ろう。チカは有無を言わさず里人の口の中に、朱色の小さな果肉の粒を放り込んだ。
効果はすぐにあらわれた。里人は古傷や体調の不良だけでなく、老化で衰えた視力などが回復したのを、感じ取ることができたのである。
「イラクスも、フェローも知ってるの! あれからエンネはずっと泣いてるの。だからあたしも悲しいのよ!」
里人たちが聖樹の果肉を持って帰り、しばらくすると子どもにしてはムチムチした生き物を連れた男女が近づいて来た。
顔色はマシだがやせ細った女性の傍らには、金色のポッチャリとしたサルが立っている。体高は五、六十センチくらいだろうか? 女性の腰にも届かない、ぬいぐるみのような生き物だった。
「あれー? なんか見たことあるような、ないような」
顔が青くて体毛が金茶色。これはどこかで見たはずだ。
「チカは動画で見たのだ。高評価と再生リストに保存しておったようだな」
「へー」
「キンシコウというサルでな、チカはそれが人から餌をもらってムシャムシャ食す様を、自らも食事をしながらいつも眺めておったようだぞ」
まったく思い出せないけれど、私って寂しい感じの人だったのかな。サルの食事シーンをオカズにしてたんでしょう? その精神状態は、まともだったんだろうか。
「たらいまぁ!」
そこに豆太が帰ってきた。めちゃくちゃ早いけど、集落はここから東に四、五十キロほど離れていたらしい。山道を歩けば二日はかかるが、精霊たちにはポータルがあるのだ。
豆太からの説明は可愛いけれど、長いこと聞くのは正直しんどい。その点、同行してくれたイヌワシはアーラーという名で、突風の精霊のなかでも高位精霊に近い存在らしい。つまり滑舌が良かった。
「キュンぞ!」
マジすか、ルーさん。私の記憶から、なぜそれをピックアップしたのだ。そしてアレンジもしているし。なのちゃんは『キュンです!』って言ってたよね?
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