初めましてマイ拠点
眼下には驚くほど正確な、正方形に囲まれた草原がある。空から見下ろせば、百エーカーとは思っていたよりも広くはないのだなと感じてしまった。けれど外堀と内堀をつくった名残りであろう土の山を見れば、個人の寝床にしては規模が大きかったようだ。
「なんでこの広さなの?」
「我の離宮と庭園がこのくらいであってな」
「へえー」
まったく理解ができなくて記憶を探ると、ルーがダラダラと過ごしていた屋敷は城そのもので、手入れの行き届いた庭園と温室に囲まれていたようだ。
あとは森と湖があるだけの土地で、屋敷はその端っこの王城に近いところに建っていた。都会にある森林公園の入口に自宅がある、といったイメージだろうか。
別に屋敷だけあれば森や湖は必要ないと思うが、ルーはすべてセットで寝床だと思っているふしがあるな。
「海までちょっと遠くない?」
「西にある海岸からはちょうど五キロの位置だ。北の山脈は五十キロ離してあるし、そこからは雪解け水が流れているぞ」
拠点の北西から二キロ以内に大河が北東から南西へ流れていて、土地が潤い肥沃な土壌であることは、はしゃぐ精霊の様子から一目瞭然だった。
ちなみに南西はなだらかな丘と森があるので、狩りの獲物にも期待できるだろう。
「魚は捕らないの?」
「内陸に暮らす者は魚など食さぬ」
「えっ! そうなの? 川魚っていないわけ?」
「魚はおるが、我は食したことがないな」
「ルーが食べてるのはお菓子ばっかりじゃん」
私とルーがそんな話をしているあいだ、里長たちは東の集落の住民たちとの再会に喜ぶ余裕もなく、六百メートル以上続く高さ五メートルの丸太の柵を見上げて呆然としていた。子どもたちも口をポッカリと開けていて、生まれて初めて見た景色であることがよくわかった。
「あれまぁ、なんて広さなんだろうね!」
そうだね、もとの集落は四十メートル四方の土地にすっぽりと収まっちゃうサイズだったもんね。隠れ里らしく、集落の周辺は樹高五メートル程度の小高木で囲まれていて、騒音や明かりが里の外へ漏れるのを防いでいた。
だから拓けた明るい場所に立たされて、喜びよりも困惑の気持ちが大きいのだろう。
「堀の深さも怖いくらいだわ」
こんなとき、おばさんたちの切り替えのはやさは称賛に値する。これから自分たちが暮らす土地なんだから、厳しめにチェックしてほしいな。
「たしかにこれは怖いよ。ルー、これって深さはどれくらいあるの?」
「内堀も外堀も十メートルはあるな」
「この深さって必要なの? 十メートルって三階建ての建物くらいあるよ。それに幅もかなりあるよね」
「南の草原に住む獣ならば、高さ十メートルなど跳び超えるであろう。幅もチカの国にある城の、五分の一程度である」
柵を高くすると日が当たらない場所が増えるから、柵の周りを掘り下げたので、柵そのものの高さが五メートルで済んだらしい。助走をつけられないように、堀の幅も二十メートルに決めたようだ。
堀の底に針山のように槍を設置しようと思っていたようだから、それはいらないと断っておく。しかし、その柵に返しのような下を向いた槍の穂先をつけることは止めなかった。
外側だけだから拠点から出ない限りは、こんな恐ろしい仕掛けには気がつかないだろう。
「蛇やトカゲのようなものが入るのを防がねばならぬ」
「そっか、ガチョウがいるもんね。ルーは思ったよりも考えてつくったんだ」
そうこうしているうちに浮かれた樹木の精霊たちが、集落付近から持ってきた樹木や作物を自分の好きな場所に遠慮なく配置し始めた。
里人たちには想像以上の広さだったらしく、好きなだけ庭を確保してもいいのに、一族で敷地の隅っこにちんまりと集まっている。
「そんなとこじゃなくて、ルーみたいにど真ん中に配置してもいいのに」
ルーは貴族から奪った屋敷を、この拠点の中央に据えた。不愉快でおぞましい地下室は切り離して持ってこなかったし、趣味の悪い家具やゴミクズみたいな住人も放り出してきた。
ルーは屋敷に住む者のなかから、さらわれた兄弟と奴隷にされていた獣人の家族だけをこの拠点に連れてきたのである。
本人の了承? ルーが聞くわけがないよね。
「ルー様、内側の堀は半分ほど埋めてもいいでしょうか」
「子どもたちにも注意はしますが、幼い子が落ちるのではと、心配になりまして」
おずおずとではあるが、話しかけられるようにはなったらしい。やはりあの環境から抜け出せたことが大きいんだろうか。ストレッサーから離れるのが、一番の薬で間違いはなかったな。
「我は構わぬ」
堀に落ちないように柵で囲うよりも、土をもとに戻す方がルーには簡単だと私にもわかった。
「たしかに危ないよね。内堀はなんのために必要なの?」
「そこには生活用水を河から引こうと考えておるのだ」
「それならば、外の堀にも水を入れればこの高さを跳ね上がる生き物はいなくなるのでは?」
私とルーの会話に、バルトフリートさんが意見を述べる。彼は里長の三男である細マッチョのおじさんだ。三十代後半かと思っていたが、四十五歳で三人の子どもと孫が二人いることがわかった。
彼の種族はみんな見た目が若いのかと思い、ほかの人の年齢を聞くと年相応だったので、バルトフリートさんが特別童顔だったようだ。
それはともかく、確かに水中からジャンプできる生き物は、トビウオとかイルカしか知らない。ルーの知識だと、淡水のイルカはこの大陸にもいるみたいだ。
「生活用水にするのであれば、荷物の運搬などのための水路にしてはどうでしょうか?」
「あたしらが洗濯する場所もあると嬉しいね。これからは雨水を貯めなくてもいいんだろう?」
「ただこの深さだと仕事がしづらいわね」
「なら底を階段状にして――」
「外の様子がわからなきゃ、橋をおろせないぞ」
「跳ね橋の近くには櫓が必要だな」
「内堀の幅はこんなにいらないんじゃないか?」
拠点は簡素なつくりだから、住民が暮らしやすいよう意見を出してくれるのはありがたい。ハッキリ言ってルーも私も、街づくりの能力や熱意がないのだ。だから改善点をあげてもらわないと、まともに機能しないだろう。
日の下で見た彼らは思っていたとおりキラキラと眩しかったが、みんなの笑顔や瞳の方が輝いていたように見えた。
「大河の精霊の乙女らよ。我らが棲家に足を運び、乾いた水路を潤してはくれぬか」
ルーの呼びかけに十を超える水の精霊が応え、外堀には深さの三分の一ほどである水深三メートル、内堀は埋めなおしたので深いところで二メートル、手前の浅いところで六十センチの深さまでが水で満たされた。
堀の水は貯めっぱなしだと澱むからと、北の大河と地下でつなげ、循環するように変更した。乙女たちがそう言うので完全にお任せだが、彼女らは龍や人が住むことによるメリットがあるので、まったく負担ではないらしい。
住民たちの意見で、内堀は幅二十メートルから六メートルに、深さも十メートルから三メートルに変え、底を階段状にした。階段の幅は二メートルずつなので、浅いところでは洗濯や子どもの水遊びに、深いところはそのうち小舟での移動が可能になるらしい。
跳ね橋は東西南北すべての方向に一箇所ずつ設置していたが、外に出るには不便な位置だったので、海と大河に最短で行ける場所にも配置した。
「ルー様。あの山になっている土は使ってもいいですか?」
「構わぬ。好きにせよ」
堀の埋め立てに使った土も、まだだいぶ残っている。大きめの岩は柵の土台に使ったし、魔石や晶洞も混ざっていたので選り分けた。虫や小動物などは、掘り返したときにルーが柵の外に逃してやったそうだ。
住民たちは自分でやると言っていたが、ルーが精霊に頼んだほうがはやかったし、龍の魔素はいいお駄賃だ。精霊たちはこぞって拠点の整備に精を出している。
「かまどはここらに作ってもいいのかい?」
「いいですよ。火事に気をつけてくださいね」
そうだ、バケツリレーをするにも肝心のバケツがないな。これは早急に作らねば!
「チカよ、そのような非効率的なまねをせずとも精霊らが消すであろう」
そうだった。魔術があるからそこまで困らないんだったよ。竪穴式住居は狭いし荷物もろくに置けないだろうと思ったら、各自で亜空間収納にしまっていたことが判明したんだった。
里長のひ孫のタギラちゃんでさえ、ミカン箱サイズの亜空間収納にドングリなどを集めていたのだ。
「東のみんなに、イモのスープでも作ろうかと思ってねぇ」
奥様方には頭が上がらないね。
東の集落は村からの避難者がこちらの集落より多くて、もとの住民との差があまりなかった。なのでより一層悲惨な目にあっていたのだ。
ルーはとりあえずかまどを二十個つくり、そばで水を汲めるように井戸を設置した。そこに柱と屋根を拵えると、キャンプ場の炊事場にそっくりなものが出来上がる。
ルーはとても仕事がはやい。それは精霊たちが大喜びで手伝うからだ。豆太も初めて多くの人とかかわるらしく、やけにはしゃいで跳ね回っているが、東の集落の住民が休んでいるところでは騒がなかった。
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