エロい格好で吊り下げられたところからのスタート
「…………うぅッ……」
気がついたら暗闇の中にいて、足もとにはゲーミングパソコンのような、七色に光る模様が描かれていた。なんだか目がショボショボしていて、形がよくわからない。
『すっごい手が込んでるね。発光塗料でもこんなひかりかたしなくない? 配線とか地面に仕込んでんのかな』
ハロウィンかクリスマスのイベント中だったっけ?
こんな呑気なことを考えている場合ではないことは百も承知だが、いまの自分ができることはほぼ無い。いまは喉が乾きすぎて声すら出ないから、脳内がフル回転しているんだ。
ここの空気は停滞してるし、それにこの陣は……。
「成功したのか?」
ボソボソして聞こえづらいが男の声だ。その声と同時に体がわずかに上方へと引っ張られ、強制的につま先立ちになる。なにかを思い出しかけたのに、タイミング悪く邪魔されてしまった。ろくに前が見えないが、自分の正面には男が立っているようだ。声の低さから成人男性だろうと検討をつける。
目の前の男は私から十分に距離をとっていて、私がどういう行動をとるのか、つまり暴れないかと様子をうかがっているようだ。
正直、暴れることができるのなら、目が覚めた瞬間にしているんだ。両腕をひとつに拘束されて吊り下げられているし、裸足の両足首に付いた枷は少し動かすだけで痛みを伴う。それに加えて、腕が限界まで引っ張られているせいで脇腹が攣りそうだし、自分の腕が邪魔で音を拾いにくい。かかとが浮いている状態だから、ふくらはぎに違和感がある。ここまで運動不足だったかな?
それにしてもこの枷の素材はなんだ? 内側にトゲでも仕込んであるんじゃないかというくらい、足首に食い込んでいるような感覚がある。足先が壊死しないかと心配になるけれど、問題はこれだけではないらしい。
ベタついた髪の毛が伸ばしっぱなしで顔を覆っているから、視界が阻まれて前もろくに見えやしない。不潔すぎて吐き気がするが、この体は慣れてしまっているのか、においはいまいち感じないのだ。
私の五感はどのくらい機能してるんだろう? 絶対にクサイと思うんだけど。
マジでどんな環境で生きてるんだ。もしかしなくてもこれは、誘拐されて閉じ込められてるんじゃないだろうか。今日び服役中の犯罪者だって、こんな悲惨な扱いをされてはいないだろうに。
「答えろ! 気がついたんだろう?」
ガン無視された男は苛ついたらしく、いきなり大声を出した。落ち着いて話せない相手は大嫌いだ。些細なことで激昂するような人間とは、できる限り関わり合いたくない。
『うるさいな。こっちはあちこち痛くて集中できないんだ。ちょっとぐらい考える時間をくれたっていいじゃないか』
突然の怒号もしんどいんだけど、さらに腕が引き伸ばされる感覚で、顔が歪むのがわかった。悲しいことに痛覚は健全に働いているようだが、やっぱり声は出ないらしい。出たら出たで殴られそうな内容を垂れ流しそうだけど、掠れたような空気音がかすかに鼓膜を震わせただけだった。
頭を動かしたことで、太ももやおしりに髪の毛が触れた感覚があった。どれだけ放置したらこんな長さになるんだろう。
「気づいたなら顔を上げろ」
打ち上げられた海藻のような髪の隙間から、私を殴ろうとする男の姿をとらえた。
私が頭を動かしたことで、男が振り上げた腕は元の位置に戻ったが、かわりに膝下に蹴りをくらった。いわゆる弁慶の泣き所である。片足に力が入らなくなった分、両手にかかる負荷が酷い。
腕を下げたから油断してしまった。まあ、殴るのを躊躇うくらいならこんな扱いはしてないか。一瞬、脅すだけで無抵抗な者への暴力行為はしないのかと、勘違いしてしまったではないか。単に私が汚いから素手では触れたくなかったらしい。
舌打ちをしているのは灰色がかった髪の、中年を過ぎた痩せぎすの男だった。その服装は儀式でも行うかのような、怪しげな真っ黒いローブ姿をしている。
『映画撮影中の俳優か? それともただのコスプレイヤーか? 確率が高いのは迷惑系の配信者かもしれないか』
どうやらサイコパス男に監禁されたらしいが、どうしてこうなったのか経緯がわからない。ついでに自分のこともサッパリだ。目覚める前の記憶がないことにようやく気がついたが、それが悲しいとか困ったという感情が沸かないのはなぜなのか? いや、そういう感情があることを知っているし、物の名前だって男が話す言葉だってわかっている。無くしたのは自分の名前やいままで置かれていた生活環境についてらしい。
私は自分が女性で、歳はわからないが成人済みなことを知っているし、いまの状態が普通ではないと感じている。ぼろ切れみたいな薄汚れたワンピース以外、下着すら付けていない状態を異常なことだと、ちゃんと判断ができていると思うんだよね。
加えて精神状態が妙に落ち着いていることに、不自然さを感じている。こんな時は、泣き叫んで発狂してもおかしくないんだって、私はわかっているんだ。
「ふん、化け物が! 中身の確認は明日にしてやる」
男は反応が鈍い私に業を煮やしたのか、言いきる前に背を向けて鼻息も荒くのしのしと扉の向こうに姿を消した。
ガチャリと金属の尖った音から、扉には鍵をかけて行ったらしい。
腕に顔を擦り付けるようにして汚れきった髪を横に払って部屋を見渡すと、ここは切り出したままの石でできた小部屋だった。天井付近に浮かぶ明り取りの切窓が、この部屋を薄ぼんやりと照らしている。この小ささではくぐり抜けることは不可能だというのに、ご丁寧に鉄格子が嵌められていることに絶望感が増す。
両手首に嵌まった金属の枷は、低いと感じた天井から下がったフック状の金具に取り付けられ、全体重をかけてもびくともしない。
肘までずり落ちた袖からは、青緑の血管が透ける棒のような腕が生えていて、まばらに貼りつく物がわずかばかりの光源によって反射している。
『はぁ〜、人間に鱗は生えてないよなぁ』
石の床からは光がすでに失われていて、模様の跡すらうかがうことはできなかった。
私は人ではないんだろうか。蹴られた足に痛みは感じないが、枷は痛むしつま先立ちはツラい。なんだか頭が重くなってきたし、吐いた息が白く染まる。
残念ながら、私は鱗が生えた人間は存在しないことを知っているようだ。でもこの鱗は知っているな。魚や爬虫類が持っていたような? いや、もっと大きなものも見たことがあったような?
『いまはそれどころじゃないか。私ってなにかの実験体なのか? 中身は明日って言ってたよね……』
これは非常にヤバい。間違いなく明日には解剖されるんだ。逃げるならいましかないのに、こぶしを握ることすら叶わない。力を込めようとはするのだが、ちっとも感覚がつかめないんだ。
痺れているわけでもないのに筋肉に命令が伝わっていない感じで、穴の空いた風船を膨らまそうとしているかのような虚しさだけが残る。
『死にたくない。お金目的の誘拐でも、変態が監禁したわけでもなかったかぁ』
貧血みたいに血の気が引いていき、さらに手首に負荷がかけられていく。気を失ったら駄目だとわかっているのに、私の意識はまっ黒に塗り潰されていった。
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