9.密室と手形.1
音操は仏殿から山門へ縄を頼りに滑って行く明渓を見上げ、ひっくり返って腰を打ったらしい。暫く無理をしなければ大丈夫だと梨珍経由で伝えられ、打ち身に効く薬を手渡された。
「白蓮様、お手数をお掛けし申し訳ありません」
「いや、それは構わない。しかし、火の玉の件は解決したが手形の方はどうなんだ?」
「手形?」
はて、なんのことかと首を傾げ明渓に、体に花が咲いた幽霊の話だと早口で白蓮は告げる。
「それと、遺産泥棒の話は関係ありませんよね?」
「火の玉と手形は一塊だろ」
「怪談話では」
いつも以上に会話が噛み合わない。
首を傾げる明渓に対して、白蓮はあーとか、うーとか言いながら暫く頭を抱えた後、何かを決心したかのように明渓を見た。
「では実際に見てくれ。ただ先に言っておく、俺は怪談話なんて信じていないからな!」
白蓮はそう断言すると、意味が分からず眉間に皺を寄せた明渓の手を引き強引に大堂へと向かった。
大堂が建てられたのは十年ほど前で、それまでは街の老舗旅館を使用していた。しかし、皇族の滞在日数が増えるにつれ、護衛のしやすい建物が必要となって建てられたのだ。大堂の入り口にある扉には普段は鍵がかかっていて皇族が来たときだけ開かれるので、明渓も入るのは初めてだった。
白蓮は大堂前にいる護衛の横をすり抜けその扉を開けると、まっすぐな廊下を進み左手一番奥の扉に手をかけた。
「は、白蓮様! これはからくり時計ではありませんか!!」
白蓮が開けようとした扉の横、大堂の一番奥の壁際にそれはあった。明渓が目をキラキラさせ、からくり時計に近づいて行く。
大きさは六寸、明渓の頭の位置に時計板がある。腹の辺りは玻璃製になっていて振子か左右に揺れている。その奥には大小様々な歯車が回転しているのが見えた。
(ケチな伯父でも皇族が泊まるとなればお金をかけるのね)
くるくるとお互いに連動するかのように噛み合って回る金色の歯車の動きは面白い。思わず食い入るように見ていると、ぽんと肩を叩かれた。
「悪いがからくり時計はあとにしてくれないか。とりあえず手形を見て欲しい」
白蓮はそういうとぐいっと明渓の腕を引っ張る。明渓は名残惜しそうにもう一度からくり時計を見ると渋々寝所に入って行った。
入って右手の壁際にある寝台の前で足を止め、真上を指差した。
「見て欲しいのはこれなんだ」
指された方を見上げた明渓の目が、白蓮の予想に反して輝き出す。
「手形があります」
天井、ちょうど枕の真上にペタリと二つついていた。右手、その少し斜め上に左手が並ぶ。さらにその隣にも薄っすらと色の違う部分があるようにも見える。
「そうだろう! 間違いなく人の手形だろう!? 明渓、今までいくつもの謎を解いてきたのだから、このぐらい何てことないだろう? ちょちょいっと、解けるだろう?」
ずずっと白蓮が切迫詰まった顔でにじり寄ってきたので、明渓は両手でその身体を押し返した。
謎を解けとせまられ、解かないならまた明渓の寝台で昼寝すると脅された。そのくせ「怖いわけではない」と主張する白蓮を半目で睨みながら渋々問いかける。
「この手形はいつからあるのですか?」
「着いてすぐ、疲れていたから寝台に寝転んだのだが、その時はなかった。宴が終わり部屋に戻った時はすぐ寝たから分からないが、夜中に目が覚めた時にはひとつだけあった。あの夜は月明かりが明るかったからな、ぼんやりと天井に浮かぶ手形は実に不気味だった」
白蓮が思い出したように自分の両腕を抱える。
「それで寝不足となり、私の寝台で寝ていたのですか。元服した男性が情けない」
「仕方ないだろう。半年前までは子供だったんだ」
(何、その言い訳)
冷淡な視線を投げかけるも、白蓮は頬を緩めるだけで反省するつもりは欠けらもない。
「……明渓は知らんだろうが、梨珍は人を怖がらせるのが趣味なんだ。あいつの手にかかれば牛郎と織女ですら怪談話になる」
「怖かったんですね」
もう一度念を押すと、うっと言ってしょぼんと肩を落とした。その姿はまるで幼児だ。それを見下ろしながら、明渓の頭に浮かぶのは牛郎と織女の話だ。
(どうやったらあの話が怖くなるのだろう)
ぜひ聞いてみようと思った。
「……それで、次の日、夕食を食べ渋々部屋に戻ると手形が増えていたんだ。俺が部屋を離れた間に誰か入らなかったかと護衛に聞いたが、そのようなことはないと言う。怖かっ……気味が悪いので、夜は向かいの部屋で寝たのだが、夜中目を覚ますとまた天井に手形が出ていたんだ」
「わざわざ部屋を変えたのですか」
それで「怖くない」とよく言えたものだ。
話のついでにと向かいの部屋を見せて貰ったら、今度は寝台の足元のあたりにペタリと一つ手形がついている。先程のよりやや小さく見えた。大きさは違うけれど、同じように濡れた手を押し付けたような手形だった。
「それから先はまた寝れなくて……」
「昼間、また私の寝台で寝てたのですね」
「明渓の部屋では手形が出ないし、布団は良い匂いがする。なかなか寝心地が良かったぞ」
悪びれもせず、顔を緩めせる白蓮の隣で、明渓は拳を握る。
(妃嬪時代の衣装で何をしていたのか分かったものじゃないわ)
帰ったら売ろうと決めた。
それから、今夜、敷布を変えてから寝ようと誓った。
「とりあえず手形を間近で見たいですね」
「あぁ、それなら椅子を持ってこよう」
白蓮が使っている寝所と異なり、この部屋には鏡台があった。皇族が正妃や娘を連れてきた時を考え用意したようで、寝台に使われるている布や幕は薄桃色をしている。
「これでいいか?」
椅子は丸く小さなものだった。背もたれがないのは、侍女が髪を結うとき邪魔になるからだ。鳳凰の刺繍入りの絹が張られておりなんとも豪華な椅子だけれど、小さい分安定しない。
「寝台の上にこれを置けばよく見えるだろ」
(椅子を貴人の寝台の上に置くのはご法度だけれど、貴人自らするなら問題ないでしょう)
思うところはあるけれど、敢えて言わないのは明渓自身あの手形を間近で見たいからだ。
白蓮は柔らかな寝台の上に椅子を置くと、しゃがんでその脚を支え、どうぞと言わんばかりに明渓を見上げる。
(……下僕)
思わず浮かんだ言葉を飲み込み、椅子に乗ると背伸びをする。腕を伸ばし、その手形にとツツっと触れた。
(特に濡れてはいないし、湿ってもいない)
指先を鼻に指を持ってきて匂いを嗅ぐも、特に違和感は感じない。指と指を擦り合わせてみたが、何かが付着した様子もない。
(となると、これは……)
「な、なぁ。それは、触れても大丈夫なのか?」
下から白蓮が情けない声を出し聞いてきた。怖くない、と威勢を張るのはとうとう諦めたようだ。
「……私は特に呪われる覚えはありませんから」
「それは俺も同じだ!!」
「そうですか? 白蓮様は皇族です。どこかで妬みをかっていたり、妙齢の女性を袖にして恨まれたりしていませんか?」
「前者は分からぬが、後者はない。むしろ袖にされている」
「…………」
明渓の眉間に皺が寄る。余計なことを言ってしまったと再び視線を天井に向ける。それなのに下から恨みがましい声が聞こえてくる。
「最近青周様と連んでばかりいないか?」
「偶然の成り行きです」
「そんな都合よく、偶然が続くか? ……だいたい、その……明渓は青周様をどう思っているのだ」
「えっ? どうと言われましても……」
そこで言葉を詰まらせた明渓に、詰め寄ろうと白蓮が立ち上がった。
「ま、待ってください。手を離されては……」
ふわりとした布団に置かれた小さな椅子の上で、背伸びをしていた明渓の身体がぐらりと揺れた。
「白蓮様、どいて………」
「危ない!!」
体制を崩し、落ちる前に椅子から飛び降りようとした明渓を、転がり落ちたと思った白蓮が腕を伸ばす。明渓は咄嗟には避けきれず、その腕にぶつかるようにして寝台に倒れ込んだ。
足にはふわりとした布団の感触。上半身は高貴な衣服を着た腕の中で、薬草の匂いがする。それが何を意味するかに思いあたり慌てて身体をおこす。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
慌てて離れようとする背中に手をまわされた。再び引き寄せられそうになり、両手でつっぱり抵抗する。
「腕をどけてください」
「先程の質問に答えたら離す」
いつものあどけない瞳に、どこか餓えたような色が浮かんでいた。
(……どうしよう、何だかこれはよろしくない気がする)
珍しく明渓が白蓮にたじろいだ。予想以上に白蓮の腕の力は強い。いつのまにこんなに力がついたのだろう。始めて会った時に見た少年の細腕はそこにはもうなかった。
「……離してください」
「嫌だ。答えれば離す」
「半年前までは子供だった人が何を言っているのですか」
「もう元服した」
「随分都合のよい話ですね」
さっきは、半年前まで子供だったと言い訳していたくせにと睨むも、背中に回された腕にさらに力が込められる。その時だ。
バタン!
激しく扉が開けられる音がして、二人は同時にそちらを見た。
「物音がしましたが、大丈夫ですか?」
柔らかな梨珍の声がした。見れば梨珍と青周が立っている。その目に映るのは、寝台の上で白蓮に覆いかぶさる明渓の姿だ。
「あらあら、お邪魔しましたね」
梨珍が青周の腕を引っ張り出て行こうとする。
「ちょっと待て、梨珍手を離せ!!」
「ま、待ってください! 誤解ですからここにいてください!! 白蓮様に頼まれて、手形の謎を解いていたのです」
明渓は、力が緩んだ隙をつき腕を捻り上げ寝台から降りる。誤解されるのも嫌だし、このまま二人っきりにされるのはもっと嫌だった。
梨珍の手を振りほどこうとしていた青周の動きが、明渓の言葉にピタリと止まる。
「手形? ……もしかして、白蓮、お前の部屋にも出たのか?」
青周が恐る恐る天井を指さした。
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