6.密室と火の玉.3
「さて、では教えてやるか」
形のよい唇の端を上げながら、青周が明渓の後ろに立つ。飛去来器を持つ明渓の手を握り、ビュっと勢いよく墓地に向けて投げる。
飛去来器は程よい場所で向きを変え、明渓の手元に戻ってくる。青周は握っていた手を離して前に立とうとするも、明渓に制され身を引いた。明渓は両手を伸ばし、少しよろめきながら戻ってきたそれを受けとめる。
「できました!!」
この娘が無邪気に笑うのは珍しい。だから、青周の頬が緩むのも仕方ない。
「あぁ、あと何度かすればコツを掴めるだろう」
目を輝かせながら頷くと、今度は一人で投げる。青周は、少し下がった場所で夢中になっている明渓を目を細め楽しそうに見ていた。
暫く投げ続けたあと、明渓は、はたと今日しなくてはいけないことを思い出した。戻って来た飛去来器を胸に抱えて青周のもとに小走りに行く。
「青周様、仏殿で調べたいことがあるので、春蕾を呼び戻しても良いでしょうか?」
「遺産探しか?」
「いえ、火の玉の謎を解きます」
「……それは初耳だな。お前のもとにはいろんな話が持ち込まれるな。とりあえず一から教えてくれ」
「……なぜ持ち込まれるのかが一番の謎です」
私は静かに本を読みたいのだ。明渓がぼそりと呟くと、大きな手で頭を撫でられた。
明渓は白蓮の話を省いて、火の玉について一通りの説明をした。果たして、聞いた青周は、それなら俺が一緒に探すと言い始めた。
「今日の祭祀は終わった。明渓に伽藍を案内してもらっていることにすれば良いだろ」
「ですが、青周様お疲れではございませんか」
見上げる青周の目の下には薄っすらとクマができている。祭祀とはそんなに大変なものなのだろうか。
「春蕾兄もこの伽藍に詳しいので、ご無理なさらないでください」
青周を連れて行くのに憚る場所がある。ここで引き下がってくれないかと期待する。
「あの男とは随分仲が良いのだな」
「従兄弟ですから」
「故郷に帰ったらあの男と一緒になるのか」
「うっ、……それは誰から聞きましたか」
気まずそうに上目遣いで青周を見る。明らかに不機嫌な美丈夫がそこにいる。
「この伽藍堂は地の武官と都から来た武官で護衛されている。噂好きは女だけではない」
なるほど、これが空燕が言っていた絡まった情報網かと思う。いつものことながら迷惑な話だ。
「そういう話はありますが、親や周りが勝手に言っているだけです」
「だが、結婚なんて案外そういうものだろう」
それを、あらゆる高官の娘の縁談を断っている人間が言うか、と心の中で愚痴る。
黙り込んでしまった明渓を見て、青周はふぅとため息をつくとくるりと背を向けた。
「とりあえず仏殿に行くぞ」
「……はい」
明渓達がいたのは法殿の裏。仏殿まではあっと言う間に着いてしまう。そんな短い時間では良い言い訳が浮かばない。袂に入れた金属の重みを感じながら、どう誤魔化そうかと考えたけれども、無理だと判断した。
(青周様なら本当のことを話しても大丈夫……な気がする。私は白水晶の件も黙っているのだ。これでお互い様ではないか)
ここまできては開き直るしかない。
仏殿の一階、大きな仏像がある前には沢山の燭台が並んでおり、右手には蝋燭が置いてある。参拝客は自由に蝋燭を手にし、燭台に刺せるようになっている。雪深い今は参拝客も少なく、蝋燭は数本しかない。
明渓は当たり前のように蝋燭を手にし、近くに置いてある燐寸で火をつけ、燭台にさした。ここに来た時はいつもしている。
「やはり住職の血縁者だな」
妙に感心する青周に、明渓は居心地悪そうな表情を浮かべる。
「それで、仏殿のどこを調べるんだ?」
「二階でございます」
「? 二階は鍵が掛かっていると聞いたぞ。しかもひとつは役人が持っているんだろう?」
明渓は気まずそうに頬をポリポリ掻きながら袂からそれを取り出した。
「それは」
「二階の扉の鍵でございます」
「…………盗んだのか?」
「…………………複製しました」
「はぁ、前言は撤回する。お前に信仰心を求めたのがそもそも間違いだ」
ため息をつく青周。明渓はそれを見ぬふりをしてとりあえず二階へ続く階段へと向かった。
二階には古い書物や巻物がある。虫干しの時に目にするも、読むことはおろか触れることも許されていない。
「どうやって複製したのだ?」
「十歳ぐらいの時です。その時鍵を持っていた役人が、たまたま父の知人だったので、鍵を見せて欲しいと頼みました」
役人は自分の前だけなら、と鍵を渡してくれた。それを見た春蕾が横から役人に話かける。役人の注意が逸れた隙をついて持っていた粘土にそれを押しつけた。同様のことを祖父が持つ鍵にもした。こちらはもっと簡単だった。
「それで、それを刀鍛冶の元に持って行き型から鍵を作ってもらいました」
「良くその刀鍛冶は手を貸したな」
「子供の遊びの延長だと思ったのでしょう」
話しながら階段を上り、件の扉の前に辿り着く。
明渓は手慣れた様子で鍵を開けていく。
「何度も入っているな」
「一、二回ですよ」
「嘘をつけ。一人でか」
「春蕾も一緒に。でも、ここ数年は入っていません」
「全て読み終わったのだな」
(なぜ分かる)
苦虫を嚙み潰したような顔を隠しながら扉を開けると、明渓の記憶と異なり部屋は散らかっていた。いや、荒らされていた。
「これは……荒らされているのか?」
「はい」
奥の棚の引き出しと戸棚が全て開けられ、中身が出されている。本は売れないと判断されたのだろう。乱雑に隅に積み重ねられていた。
「何が取られたか分かるか?」
「多分、宝玉と銅鏡、あと小さな仏像数体でしょうか。槍や盾もなくなっているかも知れませんが、そこは春蕾の方が良く知っていると思います」
本以外は興味がないので良くは分からない。武具なら春蕾の方が詳しい。武具を手に取り眺めたいがためだけに明渓に加担したのだから。
明渓は悲しそうに、踏み荒らされ積み上げられた本の山から巻物を手に取る。シュルシュルと広げたところで手が止まる。
(よりによってこれか……)
巻物は外側は全て同じ柄。開けてそれがこの地の風土記だと知った。書かれてのは白蓮が怖がっていた火の玉と手形の逸話。
「これは、梨珍が言っていた話か?」
「耳元で囁かないでください」
後ろから青周が覗きこむ。
「どれどれ……」
「私の肩越しに読まないでください。ちょっ、離してください」
腰に回された腕を解こうともがくと余計に締め付けてくる。男の力で後から抱きしめられては逃げられない。
(鳩尾に肘を打ち込んだら不敬罪になるのだろうか)
理不尽な話だ。
「この話は本当なのか?」
「まさか、この手の話には理由があります。例えば屍人に海に引き込まれる、ならその付近に離岸流が流れていたり、魔物が出ると噂の洞窟は有毒な空気が溜まっていたり。これもその類です」
青周の腕を引き剥がそうとしながら答える。
「具体的にどういう意味だ?」
「あの辺りは川沿いに温泉が湧きますからね。覗き見しようとした男衆が、灯りを向けられ慌てたあげく、足を流れに掬われ溺れかけた。そのあたりではありませんか」
案外、覗くな、という戒めをこめて女が流したのかもしれない。そして、背後の貴人にも何か戒めが必要だと思う。
「火の玉は提灯の灯りか、月の光が反射したのでしょう」
「では、手形……」
その時ガタリと音がした。見れば外回廊に続く扉が風で開いたようだ。内開きの扉の前、三寸ほどの所に小さな仏像が転がっている。
「扉が壊されているようです」
今だ、とばかりに腕をふりほどき壊れた扉に近づく。
「風で扉が開くと目立ちますから、内側に重石代わりに仏像を置いたのでしょう。外に出てから腕だけ部屋に入れて仏像を置かざるを得ないので、少し隙間ができますが、遠目には分かりません」
部屋側から出入りしたなら扉をピタリと閉めた状態で仏像を置ける。やはり賊は外から入ったのだ。
そのまま外に出ると、目の前にあるのは山門。
「外回廊の上まで屋根が張り出ていてよかったな。雨や雪が室内に入っていればもっと中は荒れていただろう」
青周が見上げながら呟く。特に際立った装飾のない屋根がずいっと張り出して、外回廊の四隅に建てられた柱がそれを支えている。
明渓は左に進むと、背伸びをして柱を上から下まで見る。
「こっちじゃない」
ぶつぶつと呟きながら次は右側の柱へ。
すると、明渓の胸ぐらいの高さに目当ての物を見つける。思わず口角が上がる明渓を見て、青周がつつっと寄ってくる。
「これを探していました」
そう言って、それを指差し、次いで山門を指差す。そのあと、少し挑戦的な目でツイと青周を見上げた。
「分かりますか」
「……ふむ、なるほど。これは俺でも分かったぞ」
「できますか?」
「できる。お前はまだ無理だ」
できる気がする。帰るまでに試そうと明渓は思った。
「それでどうやって捕まえるんだ? とりあえず拿捕して吐かせてもよいが」
「それでしたら、既に罠は仕掛けています。今夜にでも春蕾と一緒に捕らえます」
「ほぉ、仲が良いんだな」
「………」
なんだかジトっとした視線が絡まりつく。ほっとくと本当にその腕に絡めとられそうな気がして、明渓はその視線をすり抜け、仏殿内に戻って行った。
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