2.父親の誤解
馬車は王都を出て東へ向かった。立派な馬車が三台、大きな二台にそれぞれ青周と白蓮。それより少し小振りな馬車には明渓が乗っている。その後ろには護衛や侍女が乗った馬車が続く。韋弦は身重の香麗妃のためにと、東宮が手放さず今回は不参加だ。
馬車から見る景色が見覚えのあるものに変わり、明渓は窓をあけ顔を出した。馬車の中には七輪が置かれ暖かいが、窓の外には雪が薄ら積もっている。肌にあたる冷たい風と一緒に枯草の匂いがした。
「東の都、仙都。こちらが明渓様の故郷ですか」
ゆったりとした仕草で耳に髪をかけるのは梨珍。以前梅露の宮に行く時に化粧を施してくれた侍女だ。今回は明渓の侍女として同行している。
「それにしても、梨珍さん、青龍宮の侍女だったのですね。びっくりしました」
「香麗妃が話されていると思っていました。自己紹介が遅れ申し訳ありません。それから明渓様、また呼び方が梨珍さんとなっておりました。敬称は不要ですよ」
「そうでした。でもやっぱり慣れません」
自分はとことん妃に向いていないと思う。
仙都と呼ばれてはいるが、広さは王都の三分の一、人口は十分の一以下の小さな田舎街だ。名ばかりの大通りにはポツポツと呉服屋や飲食店が並ぶ。しかし大半は庶民向けの中規模店。一本路地裏に入ればさらに小さな店と民家が連なる。
馬車はそんな見慣れた街並みを通りすぎ山道を登り始めた。まず見えたのは総門、そこからさらに山道を登ると山門が見えた。
少し色褪せた朱色の総門をくぐると四方を渡り廊下でぐるりと囲まれた寅の伽藍に辿り着いた。四辺のうち、手前一辺の中央に山門がありそこが入り口となっている。馬車はその前で停まった。
そこそこの長旅だった。その間、慣れない妃嬪の衣装で過ごした明渓は、馬車を降りると大きく伸びをする。先に降りていた青周がその様子を見て近づいてきた。
「やっと会えたか。同じ馬車でも良かったものの」
「妃嬪と帝以外の男性が二人きりになるのは問題ですよ」
「それぐらい、俺の力で揉み消せる」
間違いなく揉み消せる。だから冗談でも言わないで欲しい。
白蓮は初めて見る伽藍の大きさにポカンと口を開けている。
「立派な山門だな。門の上がさらに二階建てになっているのか」
門の上には楼閣が乗っており、深い緑色の瓦屋根が二重になっている。山門の向こうに仏殿、その向こうに法殿が一列に続く。建物の高さは手前の山門が一番高く、次に仏殿、法殿となる。広さとしては法殿が一番大きいけれど高さはない。法殿のすぐ後ろは山になっており、山肌に沿って墓石が並んでいる。
白蓮達が泊まるのは、法殿の右隣、四角形の右奥角にあたる大堂。こちらは十年ほど前に新たに作られた堂で見た目も他より少し新しい。明渓が泊まるのは左奥角にある正覚堂だ。
ピュッと冷たい風が吹いた。明渓は着慣れない毛皮の外套に顔を埋める。帝が今回の里帰りを聞き、賢妃を殺した犯人を見つけた褒美にくれたものだ。かまくらだけでは不十分だと思ったらしい。
一行を出迎えに伽藍の人間が数人現れた。
三人は顔を見合わせると、それぞれがそれぞれの仮面をつけた。
その夜、ささやかな宴が開かれた。到着したのは夕方だったので正式な宴は明日、開かれるらしい。場所は大堂から山門に向かう渡り廊下の途中にある茶宴室。
天井にある見事な梁が特徴的で、よく使いこまれ手入れされた床板は鈍く光っている。真ん中にあるのはさらに年季の入った一枚板の大きな長卓。落ち着いた濃い茶色をしたそれと同じ色の椅子は六脚用意されている。
青周、白蓮と明渓が一列に並び、その向かいに従兄弟の子豪と子空、明渓の父親である音操が座る。あとはお酌をする侍女数名が部屋の中を行き来している。
「では明渓は後宮の事件を解いた褒美として、里帰りが許されたのですか」
ほっとした表情で呟くのは音操。
文官の割に引き締まった身体をしている四十代の男は、少し後退し始めた生え際に浮かぶ汗を手の甲で拭う。
娘を溺愛している父親は、明渓が後宮の本を読みたいから入内すると言い出した時、内心では強く反対していた。それでも娘が言うならと送り出したけれど、可愛い娘が帝に気に入られたらどうしようと不安だったのだ。
対して子豪と子空は残念そうな顔をした。明渓が上級妃になれば親戚として何かおこぼれがあると期待していたのだろう。
「最近は新たに誰かを上級妃にすることは少ない。そのため位は入内当時とかわらないが、その働きには一目を置いている」
「それは大変ありがたいお言葉でございます」
明らかに安堵したその顔を見てお酌をしていた梨珍がくすっと笑う。
「音操様、後宮に出入りできるのは帝だけではございません。こちらにいらっしゃる青周様、白蓮様はまだ正妻を娶っておりません」
音操がパッと目を見開き、青周、白蓮を見る。二人は僅かに唇の端をあげる。
それを見て、今度は青ざめた顔で明渓を見る。明渓は簪が落ちるほど頭を振る。
「そうだな、帝も最近は口やかましくなってきた。いい加減本腰をいれて探さねばなるまいな。どう思う明渓」
「……青周様でしたら選びたい放題だと存じます。娘を持つ高官が聞いたら、山のように姿絵が送られてくるのではないでしょうか」
「それはすでに日々送られているが、望む絵姿が中々届かなくてな」
にやりと笑いながら口元に杯を運ぶ。まったく何をしても絵になる男だ。
(誰の絵姿を待っているのだろう)
聞けない。聞いてはいけない。
「俺も元服したしそろそろ身を固めたいと思っているが、これが案外難しい。明渓何か良い案はないか」
「……白蓮様はまだお若いではありませんか。焦らず待っていればそのうち相応しい方が出てくると思います」
「それがのんびりと構えてもいれなくてな」
軽く口の端を上げる澄ました笑いは見事に皇族の顔をしている。
(嫁探しの前に常識を学んで欲しい)
言えない。この場では言えない。
(私の服を勝手に預かり、挙句のはて……いや、それ以上は記憶から抹消しよう)
三人の間に流れる微妙な空気に気付かないほど、目の前の男達は鈍くない。なぜ二人の皇族が明渓と一緒にこの伽藍を訪れたのか。彼らの頭の中で仮説が出来上がっていく。
もちろん、本当のところは空燕の逃亡と東宮の溺愛のせいだけれど、それを説明できるものは誰もいない。
その空気に耐えられなくなったかのように音操が顔を上げた。
「そ、そうだ! 明渓。後宮の事件も解いたなら、兄が残した謎も解けないか?」
「伯父さんが残した謎……?」
話題を変えたくてひねり出した言葉に明渓は眉を顰める。椅子に座りながら器用に後退していった。
「ここ数年、この辺りに盗賊が出てな。兄は遺産をどこかに隠したようなんだが、その場所を言わずにポックリ逝ってしまって。お前は祭祀に関わらないから暇だろう? 探してみてはどうか」
(なんだ、この流れは)
頬をひきつかせる明渓を見ながら、青周と白蓮は笑いを噛み殺している。
「そうだ! 見つけたなら褒美をやろう。お前、蛇酒を飲みたがっていただろう。良い物が手に入ったのだ。但し儂以外と一緒に飲むなよ」
「昨年青周様に頂いたから要りません」
「「「なっ!!?」」」
向かいの席に座っている男三人の視線が青周に集まる。音操の眦がぴくぴくと引きつる。
「青周様、それはどういうことでしょうか?」
「いや、それは……」
音操は次いで明渓を見る。今度は眉を下げ潤んだ瞳で(否定してくれ)と懇願しているようだ。
「明渓、一緒に飲んだのかい?」
「はい」
明渓は少し目をうっとりとして答える。あれは美味だったと頬に手をあてる。その姿を見た音操の口がわなわなと震え始めた。
その様子に、たまらず青周は隣の白蓮に話を振る。
「は、白蓮も飲んだよな?」
「明渓に勧められ一度だけですが」
「……そう言えば白蓮様、あの夜のこと覚えていますか?」
小首を傾げ、明渓は今宵最大級の爆弾を投下した。
「白蓮、詳しく聞こうか?」
青周の額に青筋が浮かぶのを見て、白蓮はひたすら首をふり無実を訴え始めた。
音操は長卓越しに飛びかからんばかりの勢いで二人と相対し、子豪と子空は今宵の部屋割りについて確認をし始める。
そんな中、明渓だけは熱燗に舌鼓を打っていた。
作者の好みが詰まった物語にお付き合い頂ける方、ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




