35.後宮の呪詛 5
帰り道、空燕は何も話さなかった。
明渓が抜け出した部屋の前まで送ると、
「俺に出来ることはないか?」
と真剣な目で聞いてきた。
闇を貫くような強さに明渓は一瞬言葉を失ったあと、少し待ってくださいと言い軽々とした身のこなしで窓から中に入って行った。
普通の娘には出来ない身のこなしだ。
「これを、ある人に届けてください」
明渓は、賢妃の日記を空燕に渡した。
「これをか?」
空燕が怪訝な表情で見返してくる。
明渓は小さく頷き、いくつかのお願いを付け加えた。
「……なあ、メイの目には何が見えているんだ?」
この男は、時折人の心に斬り込んでくるような目をする。明渓はその鋭い目線を受け止める。
「まだ、よく分かりません。私の妄想のような物です。散りばめられた破片達が、まるで糸で絡めとられたようにそこにへ向かって集約していくんです」
曖昧な明渓の答えに、空燕はそれ以上の質問はしなかった。
朝、明渓は身支度を整えると、侍女長に淑妃様に会いたいと申し出た。そして二通の文を見せ、これをある人達に届けたいと伝えると、侍女長は近くにいた侍女にその文を渡し指示をしている。
(かなり協力的なのに、何も聞いてこない。私が何をしているのか知っているのね)
それなら、話は早いと思った。
そのあと、侍女長は明渓を淑妃の自室へと案内した。寝室と続き部屋となっているその部屋は、よく使いこまれた上品な家具で統一されていた。長年丁寧に使ったからこそ出る風合いや艶は明渓の実家と似ていて、妙に落ち着いた。
頭を上げるように言われ、初めて淑妃と目が合う。小柄で、丸顔のふんわりと笑う穏やかな女性だった。目鼻立ちも小さく、目立つ顔立ちではないけれど、それが彼女の持つ柔らかな雰囲気によく似合っていた。
「一度あなたと話したいと思っていたのよ」
そう言ってクスクスと思い出し笑いをし始めた。
「侍女だと思っていたら、ある日妃嬪の姿で後宮を走り抜けるのだもの。帝が仰っていた、息子達がちょっかいを出している変わり者の妃嬪はこの娘ねって思ったわ」
(バレていた)
空燕が昨晩、淑妃は一度見た顔は忘れないと言っていたのは本当だったと内心焦りながら、この人なら分かるのではないかと期待した。
「で、私に話があると聞いたけれども何かしら? 恋の相談は私の十八番よ。息子はあまりおすすめ出来ないけれど」
(……空燕様の評価はどこでも一緒なのね)
明渓は小さく深呼吸をしてから、真っ直ぐに淑妃を見た。
「暁華皇后が、牢舎に入れられた件について詳しく教えて頂けませんでしょうか」
申し出が予想外のものだったのだろう。小さな目を見開き、息を止めて暫く明渓を見返したあとで、分かったわ、とはっきりとした口調で答えた。
「十五年以上前の話だけれども……」
当時を思い出すように、淑妃は話し出した。
賢妃の侍女であった金英が帝のお眼鏡に適った事から全ては始まった。
帝はその頃、妃嬪の侍女を気に入りお手付きにする事が何度かあった。妃嬪より気取った所のない娘に興味を持ち、安らぎを感じていたようだった。
金英も気に入られた侍女の一人だった。帝は金英を妃嬪に召しあげ、中級妃とし宮も与えた。侍女が妃嬪になる事は、元の主人である賢妃の権力が高まることを意味する。賢妃は宮の準備にも進んで協力していた。
中級妃になってすぐに金英は身籠った。当時帝の子供は三人。まだまだ、世継ぎや公主が欲しかった帝は喜び、その年の春の園遊会は例年より盛大に行われた。上級妃に加え、中級妃である金英までもがその宴に参加した。
園遊会が開かれる桃園は霊宝堂の近くにある。霊宝堂の前を通り過ぎ、暫く行くと緩やかな坂がある。それを登れば桃園に辿り着く。
しかし、霊宝堂から桃園に行くのはもう一つ近道があった。霊宝堂の裏側にある急な階段を登れば、すぐに桃園に辿り着く。
どうして金英がそこに向かったのかは分からない。子を宿しているとはいえ、元は侍女だ。嫌味の一つや二つぐらいは言われただろう。上級妃達の集まりに気圧されて、人混みを避ける内にその場所ーー階段の上ーーに辿り着いたのかも知れない。
ぎゃーと言う悲鳴と、ドンドンドンと階段を転げ落ちる音がして、皆が駆け寄った時には金英は階段の踊り場のような場所に倒れていた。
下まで転がり落ちなかった為、金英自身は骨折だけだったが、腹の子は流れてしまった。
金英に聞けば、誰かに背を押されたと言う。
刑部の武官が園遊会に参加していた者達に話を聞くと、「暁華妃が金英の背を押すのを見た」と証言する者が現れた。賢妃の侍女で、珍しい赤毛の女だった。
暁華皇后は勿論否定したけれど、聞き届けて貰えず牢舎に幽閉される事となった。
しかし、思わぬ所から暁華妃の無実が明らかになる。
背中を押したと証言した侍女が、階段を転がり落ちる音がしたとき、霊宝堂の横の茂みで宦官と密会しているのを見たと言う者が現れたからだ。
その証言を聞き出したのが、当時元服前の東宮だった。しかし、証言者の名前を決して言おうとしない。ただ、ひたすら赤毛の侍女を詰問してくれと頼むばかりだった。
そのため、始めは誰も耳を貸さなかったが、その事に苛立ちを感じた東宮は自分が問い詰めると言い始めた。
そこまで言われては仕方がないと、刑部の者がやっと動き調べた所、赤毛の侍女と宦官が恋仲であったことが分かった。その上で、さらに問い詰めたところ赤毛の侍女は偽証した事を認めた。
暁華妃は賢妃や金英妃を目の敵にし、何かと騒ぎを起こしていたので、彼女がいなくなれば主人や金英妃も穏やかな日々を過ごせるようになると思ったからと偽証した理由を述べた。
本来なら厳しい処罰が下るところだが、賢妃の強い口添えもあり侍女は後宮追放だけで済んだ。
この頃の暁華妃は周り全てを敵対視して、後宮の混乱のもととなっていた為、赤毛の侍女に対して同情を抱く者が少なくなかったのが処分の甘さへと繋がった。
結局、誰が背中を押したかは分からず、金英は身体が治ると亡くなった子を偲びたいからと出家を申し出た。
淑妃は話し終えると、侍女を呼びお茶をひとつ用意させた。
明渓は立ったまま話を聞いていた。
その対応が、大変好ましく思えた。
侍女でありながら、朱閣宮では他の侍女と立ち位置が違うような扱いを受ける事も少なからずあった。白蓮や青周だけでなく、他の皇族達も明渓をただの侍女として扱わない節がある。
だがら、この宮での扱いは大変居心地が良かった。
「何か他に聞きたい事はある?」
あると言えばある。服毒死に関わることではないけれど、
「赤毛の侍女の偽証を告発したのは、もしかして……」
言いかけた明渓の言葉を遮るように、扉が叩かれた。淑妃が答えると、扉が開き一人の貴人が入ってくる。
「お話中のところ申し訳ありせん。そちらの侍女に用があるのですが、宜しいでしょうか?」
「構わないわ」
青周は明渓に歩み寄ると何やら囁いた。明渓は黙って頷きながらその話を聞くと、分かりましたとだけ答え、そして
「ところで、今淑妃様から暁華皇后が濡れ衣を着せられたお話を聞いていたのですが……」
と上目遣いで話を切り出した。
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