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34.後宮の呪詛 4


「この部屋にある物なら自由に使って良い。それから、この廊下の奥が台所で、粥と煮物が残っているから腹が空いているなら食べて良いが、洗い物はするように」

「分かりました。申し訳ありませんが一晩お世話になります」


 明渓は、侍女長に深々と頭を下げた。


 今宵泊まる事となった淑妃の宮に着いたのは、戌の刻(午後八時)頃だった。淑妃は疲れて既に寝室に入っていたので、挨拶は明日という事になり、侍女長に部屋へと案内して貰った。


 口調だけ聞けばきついかも知れないけれど、さばさばとした雰囲気で、ただの侍女として扱ってくれるので明渓にとっては居心地が良かった。

 部屋に案内される前に、清めなさいと言われたので既に湯浴みも済ませている。

 台所で少し冷めた粥と煮物を食べ、後片付けをすると、寝台に二つの本を並べた。

 

 賢妃の日記

 毒物の本


 明渓は白蓮から借りた毒の本を手に取る。父との約束を破るのは躊躇われるけれど、必要なところに付箋を挟んで貰ったからそこだけと心の内で言い訳をする。

 白蓮から聞いても良かったのだけれど、文字を読めば一言一句間違えることなく記憶に刻むことができるので、本を借りることにした。


 付箋の部分を開け、文字を目で追っていく。


 ヒ素毒 

 急性と慢性で症状が異なり、急性の場合、内蔵(ないふ)の症状としては吐き気や腹痛、他には意識障害やけいれん、不正脈の症状が出る。

 慢性の場合は、手足のしびれや貧血、爪の変色、痩せるなどの症状がでる。


(賢妃は急性にあたるのよね……? ヒ素はどうやって後宮に持ち込まれた?)


 疑問を記憶の端に一旦留めておくと、次に日記を手に取る。


 表紙をひと撫でした明渓の手が止まった。暫くそのままの状態でじっと本を見つめる。何度か指先を表紙に這わせたあと、やっと紙をめくった。

 こちらは始めから読んでいく。ただ、日記とは聞いていたが、正確には胸の内の不安をただ書き綴っただけで、文脈は無茶苦茶な物だった。




『占い師にこの本を渡された。何でも胸の内にある誰にも言えぬような事を書き記し、彼女に渡せば清めて貰えるらしい。

 どこまで信用できるか分からぬが、もう一人では抱えきれない。

 後宮内は『暁華皇后の呪詛』の話題でいっぱいだ。

 きっと次は(わらわ)の番だ。

 かと言って、誰にも話す事はできない。私に残された救いの綱はあの占い師しかいない。



 占い師の宣託通り暁華皇后が来た。白い布を頭から覆いこの宮の周りをぐるぐると回っている。怖い、怖い、私が彼女に何をしたか……

 宮の侍女達には暁華皇后が来た、とだけ告げた。白い布の話をすれば、顔が見えないのなら他宮の嫌がらせかもと疑う者が出るかもしれない。あれは、間違いなく暁華皇后なのに。次に来るのは十日後



 あぁ、でも仕方なかった。どうしてあの女が。

 私より早く望みを叶えるのか。口惜しい……。今宵も宮の周りを彷徨いている。次は九日後』



 同じような言葉が何枚も続いている。どれもが曖昧な書き方で要領を得ない。それでも明渓は紙をめくり続け残り数枚となっていた。




『今夜も宣託どおり暁華皇后が来た。次に来るのは四日後。


 何故、こうなった? 彼女がしていた事を真似ただけなのに。次は三日後。その次は二日後。もう無理だ。もう耐えられない。少し早いけれど……もう限界だ』



 これより先は、白紙だった。

 明渓はパタンと本を閉じた。

 ふぅ、と大きく息をひとつ吐くと、そのままごろりと仰向けに寝転がった。天蓋のない、自分の部屋とよく似た侍女の部屋だ。


 明渓は混乱する頭を鎮めようと、目を閉じる。

 あまりにも沢山のことがありすぎて、疲れているけれど頭が冴えて眠気がこない。

 

 この数ヶ月振り回され続けた『暁華皇后の呪詛』について思い出していた。

 

 貴妃から始まり、梅露(メイルー)妃が騒ぎ立て噂が広まった。そして、白水晶に、牢舎の井戸、それから明渓自身が亡霊となった蔵書宮……


 (!!)


 ガバっと寝台から起き上がる。


「なぜ、あの人はあんな事を言ったの?」


 ぽつりと呟く。


 その瞬間、明渓の頭の中で全ての破片が凄い勢いで一つの事柄に向かって集約していった。まるで、それら全てが呪詛の糸に絡め取られ、始めからそこに集まるように出来ていたかのように。


 しかし、確証たるものはない。単なる明渓の想像、いや、妄想に近いぐらいの漠然とした物だった。


 明渓はゾクリとした感覚に襲われて、自分の手で自身の体を抱きしめた。


「もしかして、『暁華皇后の呪詛』に絡まれ操られているのは、私かも知れない」


 ぼそっと呟いた声が、広くない侍女の寝室に響き、思わずぎゅっと抱きしめる腕に力が入った。その時、



 コンコン、窓を叩く音がした。思わず、身体がビクッと反応した。

 風の音かと思い、首だけ動かして窓を見る。


 コンコンコン、


 再び音がする。明らかに誰かが窓を叩いている。人影も見えた。


 明渓は靴を履き、外套を羽織ってから、音のする窓の鍵を外しわざと勢いよく開けた。


 ゴツンッ


 いい音がした。ちょっとやりすぎたかと、目の前で赤くなった鼻を押さえる貴人を見て思う。分かっていてしたのだけれど。


「あら、空燕(コンイェン)様でしたか。どうされました? こんな夜中に」

「決まっているだろう。夜這いだ」


 空燕は屈託のない笑顔を浮かべる。

 明渓は足元に置いていた物を握り、持ち上げた。


「うっ……ぶ、物騒な物を持っているな」

「青周様から護身用にと渡された模造刀です。死ぬことはないから手加減不要と許可を得ています」

「……さすが青周兄。俺の行動を読んでいるな」

 

 明渓は懐から小さな包を取り出した。


「白蓮様からは、いざとなったら酒に混ぜて飲ませろと、強い睡眠薬を頂きました」

「……あんの野郎。いつの間に意気投合してんだ、あいつらは!」


 膨れっ面の男を、呆れたように明渓は見た。


 (どこまでがふざけているのか掴めない。でも……)


「ちょうど良かったです」

「へっ? それって……もしかして夜這いを待ってい……」

「ちょっと退いてください」


 空燕の言葉を遮ると、明渓は窓の桟に手をかけハラリと外套を翻すと、地面に音を立てずに着地した。


 ヒューっと小さく口笛を吹く空燕を軽く睨むと、月明かりを頼りに歩き始める。

 空燕は当たり前のようにその後を追い隣に並んだ。


「空燕様もあの日記を読まれたのですね?」

「あぁ、だから来た。メイだけでは分からない事もあるだろうと思ってな」


(やはり頭が切れる)


 明渓は口に出さずそう思った。日記を明渓が読む事も、読んだあと何をするかも分かっていて来たのだろう。

 とはいえ、どこまで信頼できるか分からないから、模造刀と睡眠薬は持ってきた。念のため。


 二人がやってきたのは賢妃の宮だ。明渓は真っ直ぐに進み、妃の寝室の窓の前に立つと空燕を振り返った。


「ここから、賢妃様は暁華皇后の幽霊を見られた」

「ああ、そうだ。どうする?とりあえず、一周歩くか」


 そう言うと、空燕は持っていた提灯に灯りをつけた。目立つのを防ぐために、淑妃の宮からここまでは月明かりを頼りに歩いてきていた。


「占い師がこの宮に何度か来たと聞きましたが、誰が占って貰ったかご存知ですか?」

「あぁ、全員占って貰ったそうだ」

「淑妃様の宮にも占い師は来られたのですか?」

「いや、母は占いを信じないから……というより嫌っているから呼んでいない。うまく言いくるめられている気がして、どうも嫌らしい」


 話しながらも、二人は窓の下を提灯で照らしながら歩いていく。最近、雪がよく降る。窓の下の土は湿っており、()が残りやすい状態だった。



 ほぼ半周回った頃、二人は窓の下に付いた四つの四角い跡を見つけた。宮の中を思い出す。多分、廊下を挟んで賢妃の寝室の向かいに当たる部屋のように思う。


「空燕様、この部屋はどなたの部屋かご存知ですか?」

「あぁ、公主の部屋だ。何度か訪れた事がある。あっ! やましいことはないぞ! 妹だからな!!」


 後宮で育った男児は空燕だけだ。青周も幼い頃は過ごしていたが、母親が皇后になったのを機に皇居に移り住んでいる。

 空燕と公主は年は離れていたが、上級妃を母に持つ者同士交流もあった。今、公主が淑妃の宮に居ることからも、二人の上級妃の関係が良好だったことが窺われる。


「さすがに、その常識はお持ちと思っております。ところで宮の中に入りたいのですが」

「まかせておけ! と言いたいところだがそれは無理だな。いくら俺でも刑部の武官の許可なく他の宮に入ることはできない」

「……そうですよね」


 侍女が見たと言う白い人影。

 

 辛そうに眉間に皺を寄せる空燕を明渓は何も言わずに見上げていた。


後宮の呪詛は八話までです。今日で折り返し、後半は解答に向けて進みます!


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