33.後宮の呪詛 3
後宮の最も北、皇居と塀を挟んだ位置にその宮はあった。
「……ここが淑妃様の宮ですか」
明渓が見上げる先には、立派な松の木がある。それは、この宮の歴史を語るかのように、門前に大きく枝を張らせていた。後宮で恐らく一番古参となる第三皇子の母万姫妃の宮だ。冬だから花は少ないが、落ち着いた風情のある広い庭が広がっており、その中を二人は進んでいく。
「淑妃と、空燕様の元乳母であり今は侍女長をしている者だけが、俺が白蓮だと知っている」
そう説明する白蓮の目線の先には、年配の侍女がいる。まるで明渓達が来るのが分かっていたように宮の扉の前に立っていて、二人を見ると頭を下げてきた。明渓も慌てて礼をする。
「公主がこちらに来ていると思うが、どんな様子だ？」
「はい、先程まで大変ご乱心で、淑妃様と空燕様が側でずっとついていらっしゃいました。韋弦様が気持ちを落ちつかせる薬を処方してくださり、今は眠っております」
白蓮の話しぶりから、彼女が侍女長だろうと明渓は思った。侍女長はそう話すと、二人を公主の眠る部屋へと案内した。
寝台に眠る少女はまだ幼さを残していた。顔色は青白く、唇の色も悪い。布団から出た指の爪紅だけが妙に赤く、その場にも少女にも不似合いのようにテラっと光っていた。
白蓮は寝台の横にある椅子に腰掛け、脈を測る。公主の脈は乱れている上に弱く、肌の色も悪かった。
朝も具合が悪そうだったが今はそれの比ではない。母親の死に顔は、おそらく侍女達が見せなかったと思うが、かなり衝撃を受けているのは確かだ。
精神安定剤か睡眠薬を飲んだのだろう、今はぐっすりと眠っている。ただ、例え起きていたとしても、この娘に何か聞くのは酷な話だと二人は思った。
白蓮は、公主の身体が冷えていた事を指摘し、部屋を温め布団を一枚多くするように告げると宮を後にし、後宮の外にある霊処所に向かった。
いつの間にか辺りは夕闇に包まれていた。
霊処所の端に、白い布がかけられた台座があった。殺風景というよりは殺伐とした雰囲気で、賢妃に相応しいとはとてもではないが思えない場所だった。白蓮は、戸惑いながら辺りを見回す明渓に気づくと、
「本来、ここは妃嬪が運ばれる場所ではない。妃嬪が亡くなった時は、そのご遺体は住んでいた宮に安置され弔われるのが通例だ。だが、今回はあのような状況だったからな。宦官達もどうすべきか悩んだそうだが、空燕様がとりあえずここに運ぶように言ったそうだ」
そう説明し、手を合わせたあと白い布をめくった。
遺体を前にした二人は、改めて空燕の判断が正しかったと思った。賢妃の顔は、目を見開き苦悶の表情を浮かべたまま硬直していた。手は胸元の服を苦しそうに掴んでおり指には血が付着していた。寝台の引き裂かれた布団にも血痕が付いていたことから、毒による苦しさでもがき引き裂いたと考えられる。
「人間の体は死ぬと硬直するのだ。だいたい死後三から四刻程で全身が固まる。 今は冬だから三から四日ぐらいはこの状態のままだろう。それ以降は緩解し始めるが、荼毘に伏す方が先になりそうだな」
「それでしたら、いつ頃毒を飲んで亡くなったか分かるのですか？」
明渓の問いに白蓮が答えようとした時だった。
「白蓮様！！」
この場で彼をその名で呼ぶ者は限られている。
背後から名を呼ばれて振り返ると、入り口には韋弦と青周が立っていた。
「韋弦、賢妃を見つけた時の硬直はどうだった？ それから毒は分かったか？」
「はい、見つけた時には全身固まっていましたので、明け方までには服毒しています。日が変わる頃、賢妃様の部屋で大きな物音がしたという証言がありますから、その時間に服毒して毒の苦しさから暴れたと思われます。それから、毒はヒ素毒でした」
白蓮はその返答に頷くと、賢妃の遺体に顔を近づけた。顔色や指先、肌の状態を事細かに見ていく。確かにヒ素毒の症状が現れていた。
明渓は死体から少し離れた場所に立っている青周の元へと向かった。
「青周様が指揮を執られていると聞きましたが、何か分かりましたか？」
明渓の問いに青周は渋い顔をする。
「とりあえず、外部から入った者がいないか調べたが、この二週間後宮へ出入りした者は居なかった」
「では、賢妃様は後宮内の誰か、もしくはご自分で服毒したということでしょうか？」
青周は手に持っていた本を明渓に手渡した。
「賢妃の日記だ。それを見る限り、他人に無理やり飲まされたとも、自分で毒を飲んだとも思えなくてな」
明渓はそれを受け取りながら、戸惑った顔で青周を見上げた。
「……では、誰が飲ませたのですか？」
「母上だ」
青周は、至極まともな顔でいう。
「…………えーと、それは暁華皇后という意味ですよね？ まさか青周様まで『呪詛』なんておっしゃいませんよね？」
「そのまさか、だ。それを読むとそうとしか思えない」
柳のような綺麗な形の眉の間に深い皺を刻み、腕組みをしながら大きくため息をひとつ吐く。
「俺にはお手上げだ。日記を読んだあと、お前の意見を聞かせてくれ」
明渓は手元の日記に目を落とした。
表と裏の表紙は厚紙に布を貼り付けた立派な物で、中の紙も上質な代物だった。厚みはそれほどない上に、最後数枚は白紙だったので、すぐに読み終われそうだったけれど、
「ゆっくり読みたいので、一晩お借りしても良いですか？」
「それは構わないが、……ところで明渓は今晩どこで寝るつもりなんだ？」
青周の問いに明渓は、はて、と首を傾げる。
その様子を見て、知らなかったのかと他の三人が顔を見合わせた。
朱閣宮には身重の香麗妃がいる。
迷信じみた慣習だが、遺体に対面した者は身が汚れている為、清めるまでは妊婦のいる宮に入る事ができない。ただ、清めるといっても、塩の入った湯に浸かり、丸一日経てばよいだけで何か儀式があるわけではないが。
今回、東宮は報告を受けただけで、実際に動き回っているのが青周と空燕なのもそのあたりに事情があった。呪詛の噂が飛び交う後宮での服毒はあまりにも不吉なため、身重の妻を持つ東宮はこの一件については距離を置いているらしい。
事情を聞いた明渓は、どうしたら良いかと暫く考えを巡らせる。
「青龍宮には空き部屋があるぞ」
「玄狼宮は宮ごと空いている」
バチッ
小さく火花が飛ぶ。
場所を弁えろ！ と明渓は言いたいところをぐっと堪える。胸には蔵書宮の鍵があるので、火鉢を借りてそこで過ごそうかと考えていると、意外な人物が手を挙げた。
「あの、その事ですが……」
皆の視線が韋弦に集まる。その圧力に韋弦は思わず三歩退く。
「淑妃様からの伝言です。明渓は今宵淑妃様の宮で預かる、との事です」
「「まて、それは！」」
二人の声が揃った。今にも掴みかかりそうな勢いに韋弦はさらに三歩退き壁にぶつかった。
「空燕様はご自分の宮に帰させるから心配はいらないと、お二人にも伝言を預かっておりますっっ！！」
もうひと頑張りしてもらいたいので、明渓は後宮に居残りです。
作者の好みが詰まった物語にお付き合い頂ける方、ブックマークお願いします！
ブクマ、☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。
