32.後宮の呪詛 2
居間にはすでに侍女達が集められていた。
明渓は少し戸惑った顔で白蓮を見る。
気になる事は沢山ある。
侍女達に聞きたいこともある。
でも、自分の立ち位置を考えると、ここで出しゃばって良いものかと思案してしまう。
そしてそれは白蓮も同じだった。この宮の侍女達にとって白蓮は「医官僑月」でしかない。
侍女長が躊躇う二人の様子を察し、口火を切ってくれた。
「先程空燕様が来られて、医官様と侍女明渓さんに知っていることを何でも話すようにと言われました。どうぞ、遠慮なく聞いてください」
二人の知らない所で、青周、空燕が動いていた。
「分かりました。しかしその前に、公主様はどちらにいらっしゃいますか?」
事前の手回しに感謝しながらも、白蓮としては半分血がつながった妹が今どうしているかが気になった。
「この宮にはいない方が良いと淑妃様が気にかけてくださり、暫くはそちらの宮で預かって頂くことになっております。立っていられないほど憔悴されていたので、空燕様が抱きかかえて連れて行ってくださいました」
侍女の答えに僅かに安堵の表情を浮かべたあと、白蓮は明渓を見た。
聞きたいことを聞け、とその目が言っている。
「では、最後に賢妃様を見られた時間とその時の様子、それから賢妃様が見つかるまでの間の事を教えてください」
明渓の問いに侍女長は頷いた。
実は賢妃様は最近精神的に不安定な状態が続いておりました。ちょうど、貴妃様が体調を崩され『暁華皇后の呪詛』が後宮で話題になった頃からご様子がおかしかったように思います。
眠れぬ夜もあるようで、私としては医官様に相談したく、何度も賢妃様に進言致しましたが、聞き届けては頂けませんでした。それどころか、そのことを帝を含め、誰にも話さないように強く口止めをされました。
その代わりというのでしょうか、賢妃様は占い師を宮に何度か呼びよせ、頼るようになっていきました。最後に呼んだのは二週間程前でしょうか。
占い師はまじないや呪詛についても詳しかったようです。もっとも私からしたら、それらは元を正せば全て同じように思うのですが。
月の満ち欠けや方角――私には詳しくは分かりませんが――をもとに占い、お札や魔除けの石を妃に手渡すのを見たことがあります。
その内賢妃様は「今宵は暁華皇后が訪ねてくるので部屋から出てはいけない」とまで言い出すようになったのです。その時は、私達も夜中に部屋を出ることを禁止されました。その頻度が日毎に増していき、それに伴って賢妃様は憔悴されて行きました。
倒れた日の話ですが、その夜も私達は夜中に部屋から出ないよう言われておりました。
日が変わった頃でしょうか、賢妃様の部屋から何かが割れる音や、物が倒れる音がしてまいりました。しかし、部屋を出るなと言われておりましたので、誰も賢妃様のもとへは向かいませんでした。
お恥ずかしい話ですが、今までにも賢妃様は夜中に気を迷われて、部屋の物を投げたり壊されたことがありましたので、皆慣れてしまっていたのもあります。
とは言え、昼間になっても部屋を出てこないのは初めての事でして、心配になり部屋に向かいました。
お声をかけても返事がないので、僅かに扉を開け中を覗き見ると、寝台の前に倒れているお姿が見えました。
きっと御乱心の上、気を失くされたのだと、慌てて駆け寄りましたら……あ、あのような………どっ、どうしてこんな事に……
侍女長は最後言葉に詰まり、手拭いで目を押さえると、近くの椅子に座りぐったりとした様子で俯いた。時折手拭いの隙間から嗚咽が漏れてきた。
白蓮と明渓はそっと目線を交わす。
娯楽のためにと軽い気持ちで招いた占い師に、ここまで執着する者が出るとは誰も予想出来なかった。
白蓮の顔には悔しさが滲みでている。医官として気づかなくてはいけなかった事があったのではと、後悔が押し寄せてくる。
その時、あの、と小さく呟く声が聞こえた。見れば、小柄な侍女がおずおずと前に出てきた。
「あの、私……」
まだ幼い侍女だった。聞けば公主付きの侍女として、公主と同じ年頃の娘を雇ったと言う。
「どうしたの?」
明渓が身を屈めて侍女に優しく問いかけた。侍女の肩は震え、目はおどおどしていた。その様子を見てピンとくるものがあった。
「もしかして……あなた、賢妃様の言いつけを破って部屋を出た事がある?」
侍女の肩がビクッと揺れた。その後、躊躇いがちに小さく頷く。
「大丈夫よ。その事で誰もあなたを責めたりしないわ。だから教えて? あなたが部屋を出たのはいつ? その時何を見た?」
侍女は青白い顔で明渓を見返した。目線が定まらず、揺れ潤んでいる。
大人達には怒られると思い言えなかったのだろう。比較的歳の近い明渓達を見て、その重い口を開く気になったのかもしれない。
「さ、昨晩です。どうしても厠に行きたくて。そ、そうしたら見たんです。賢妃様の部屋の前に、し、白い人影がいたのです。あ、あれは暁華皇后なのでしょうか!」
侍女は震えながらその場に蹲ってしまった。明渓はその小さな肩を抱き、優しく背中を撫でる。
「……失礼します。脈を取らせて頂きます」
白蓮はまだ呆然と座っている侍女長のもとに行き、脈をとり始めた。
侍女長が終わると、明渓の肩にもたれるようにして蹲っている侍女も診る。
「気を休める薬をお渡しいたします。他にも必要な方がいらっしゃれば仰ってください。それから、生姜湯を後から届けましょう。身体を温め安眠効果もあります。辛い方はいつでも医官を呼んでください」
労わるように穏やかな声音で話しかけながら、別の宮を用意するから、今宵からはそちらに移るよう促している。
明渓は感服しながらその姿を見つめた。
幼い時から病床に就く事が多かったからだろうか、白蓮は弱っている人の心に敏感だと思う。
その人に取って必要な言葉を口にする。それでいて押し付けがましい様子は全くない。明渓は自分も白蓮の優しさに救われた事を思い出していた。
とは言え、ただ優しいだけではない。
皇族としてすべき事も行う。
白蓮は先程の武官を呼び、侍女達の監視を言いつけていた。侍女のうち誰かが賢妃を殺害した可能性は決して少なくはない。
「さて、どうする?」
賢妃の宮を出ると、白蓮は明渓に聞いてきた。明渓は思案顔で指で顎を叩いているが、眉間の皺は深いままだ。白蓮はその指に先日買った爪紅が塗られているのに気づいた。
「爪、染めたんだな」
あぁ、と呟き明渓は自分の指を見る。ほんのり赤く染められたそれらは、よく見ると所々よれたりはみ出したりしている。
「思ったより塗るのが難しかったです。先程会った侍女達は、皆さん綺麗に塗られていましたよね。本当に後宮で流行っていたのですね」
「なんだ? 疑っていたのか? 妃嬪だけでなく侍女や、あと公主達にも流行っているぞ」
今年の冬は、占いに、呪詛に、蛇に、爪紅と流行り物でいっぱいだ。
「それより、何か気になる事はないか?」
再び問われ、明渓は暫く宙を睨んだあと、
「賢妃様のご遺体を見たいです」
「……どうしてもか? 俺としてはあまり見せたくないのだが」
「私も出来ればそうしたいのですが、今回ばかりはそうもいかないように思います」
白蓮は渋々ながら分かったと頷いた後で、その前に行きたい場所があると言った。聞けばこの近くらしい。
二人は賢妃の宮の前からさらに北に伸びる広い道を歩いていく。宦官や武官が宮に戻るよう言ったのだろうか、先程までいた野次馬の妃嬪や侍女の姿はない。
風が葉の落ちきった枝を揺らす音だけが聞こえる中、二人は無言で歩を進めた。それぞれが頭の中で先程見た事を整理しているようだった。
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