31.後宮の呪詛 1
二人が賢妃である笙鈴妃の宮に着いた時、そこにはもう幾重にも人垣が出来ていた。
白蓮が白衣を着ているからだろう、医官の邪魔にならないようにと集まった者達が道を譲ってくれる。二人は出来たその隙間を縫うようにして、宮の門前まで進んだ。
野次馬達は道を空けながらも、どうして皇居の侍女がこの場にいるのかと、明渓に向かって不躾な視線を送ってくる。所々で「呪詛」という単語が飛び交っているけれど、二人ともそれを気にする余裕はなかった。
扉の前に武官が立っており、白蓮に気づくと歩み寄ってきた。他の者達に分からぬように一礼するその顔は明渓も見覚えがある。
白蓮の元服の宴にいた男で、暁華皇后が倒れた際、一緒に厨房に向かった武官だ。あの場にいたという事はかなり位の高い武官で、今この場を指揮しているのはこの男だと思われた。
「どうなっている?」
「はい、賢妃様のご遺体はすでに運び出されていますが、賢妃様が倒れていた部屋は白蓮様達が来られるまでそのままにするよう言われております。ここでは人目に付きますので部屋にご案内いたします」
武官は白蓮の問いに声を潜めながら答えたあと、明渓にちらりと視線を移した。しかし、東宮から話を聞いているのだろう、特に何も言うことはなく二人を宮の中へと促した。
案内されるまま進んで行くと、武官の足が一つの扉の前で止まり、二人を振り返った。
「部屋の中は荒れております。隣にいる侍女も中に入りますか?」
白蓮はちらりと明渓を見る。明渓は小さく頷いた。
武官にしても一応気遣って言っただけで、はなから二人とも部屋に入れるつもりだったのだろう、それ以上は止めるような言葉を口にしなかった。
中は賢妃の寝室となっており、天蓋のついた大きな寝台が部屋の中央にある。
しかし、一番に目に飛び込んできたのは、寝台と床に飛び散った無数の鳥の羽だった。扉を開けた時の風で小さな羽は宙に舞っている。
寝台の横に置かれた棚は倒れ、その衝撃でいくつかの引き出しが開いて中身が飛び出している。
入口の横には、書き物をするための卓と椅子が置かれているが、椅子はひっくり返っていた。卓はそれなりの大きさがあるので倒れてはいないが、上に置かれた花瓶と水差しが倒れ、中の水がポタポタと床に落ち水たまりを作っている。
水たまりの近くには、おそらく机から転がり落ちて割れたのだろう 、硝子杯の破片が転がってた。
机には二つの引き出しがあるけれど、それらは閉じられて荒らされた様子はない。
明渓は出来るだけ羽毛を踏まないように寝台に近づくとその掛布団を見る。
布団は手で引き裂かれており、床に散らばった羽毛はその布団の中身だと思われる。破られた場所は一か所ではなく数か所に及び、破った時に怪我をしたのか布団が血で汚れている部分もある。
何者かが盗み目的で部屋を荒らしたというよりは、部屋の中で誰かが暴れたかのように見える。
「この部屋に鍵はかかっていましたか?」
「いや、妃の部屋に鍵はついていない。ただ侍女達は、何があっても扉を開けないように強く言われていたようだな」
明渓達が来る前に、刑部の者によってこの部屋は一度調べられている。侍女達からも話を聞いたようで、宮の入り口と窓は全て施錠していたそうだ。
とはいえ、明渓としては自分の目で見て、直接侍女達から話を聞きたいところだ。気を悪くするかな、と危惧しながら恐る恐る申し出ると、武官は意外にもあっさりと許可をしてくれた。
そして扉の前にいた部下を呼び寄せ、何やら言伝をしている。
今度は、白蓮が武官に問いかける。
「俺は今朝この宮に往診に来ているが、用事があるとかで妃には会えなかった。妃はいつ頃どのような状態で見つかったんだ?」
「賢妃様が見つかったのは今から一刻程前です。昼になっても出てこないのは流石におかしいと思い、侍女長が部屋の外から声をかけた所、返事がない。心配になり何度か声をかけ扉を叩いたあと、少しだけ扉を開け中を覗いたそうです。すると、寝台の前の床にうつぶせで倒れている賢妃の姿が目に入り、慌てて駆け寄ったのですが既に死んでいたそうです」
武官は寝台の前の床を指さす。その辺りの羽は、他の場所より踏みつぶされていた。
「賢妃が亡くなった原因は分かっているのか? 医官が既に来ただろう?」
「はい、医官数人が来られました。服毒による死亡で毒はまだ特定できていないようです。遺体は霊処所に運ばれ、医官が調べているところかと思います」
明渓は寝台を離れると、今度は扉近くにある卓に近づいた。武官の許可をとってから、引き出しに手をかけゆっくりと引っ張る。
左の引き出しの中には筆と紙があった。紙は数枚束となって入っていたので取り出し眺めるが、どれも白紙で遺書らしき文言は見当たらない。もう一方の引き出しには、小さな箱や硯があったが、引き出しの半分程は空になっている。
「あの、この引き出しに入っていたのはこれで全てですか?」
「いや、実はそこには妃の日記のような物が入っていた」
「それを拝見させて頂けませんか?」
「それは構わないが、今ここにはないのだ。青周様が持って行かれたのでな」
思わぬ名前に白蓮が反応した。
「青周様が指揮を執っているのか?」
「はい、本来は刑部の仕事ですが、貴妃様の服毒という事で軍部の青周様が指揮をすることになりました」
「そうか、分かった。では日記については俺から青周様に頼もう」
白蓮はそう言い、再び視線を貴妃が倒れていたところに戻した。
飛び散った羽毛の上に賢妃の遺体。
これこそ『暁華皇后の呪詛』ではないか、
そんな不埒とも言える考えが脳裏をよぎった。
今回は状況説明ですね。
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