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29 明渓の休日 4


 

 喉を押さえながら白蓮は今日あったことを話し始めた。青周と空燕は、酒を飲みながら耳を傾ける。ちょっと申し訳なさそうな顔をしている。


「それは大変だったな」


 空燕が、遠慮する明渓の杯に酒を注ぎながら労いの言葉をかける。白蓮にはポイっと瓢箪を投げていた。中身はお茶らしい。東宮から酒を飲ませるなと強く言われていたからだ。


「私は特に何も……」


 明渓がそう言いかけた時、


 グゥー


 腹の虫が鳴る音が響いた。 


 思わず真っ赤になって下を向いてしまった。


「はははっ、なんだメイ腹が減ってるのか」

「つまみ程度しか用意していないからな。下の武官に何か買いに行かせるか」

「いえ、結構です! 大丈夫です!!」


 焦りながら言い訳を考えていると、袂に入れた饅頭を思い出した。取り出してみると、冷めてしまってはいるが潰れてはいない。


「おっ、二色饅頭じゃないか。流行ってるんだよな」


 明渓は貴人の前で自由に振る舞いすぎかな、と思ったけれど無礼講の流れに甘えて冷めた饅頭をパクリと口にした。味はかなり落ちていたけれど、手のひらぐらいの大きさは腹を満たすには充分だった。


「おいおい、メイ。それ一人で食べちゃ駄目だろ」


 空燕が呆れた口調でそう言った。先程から、ほとんどこの男が話しているが、そのおかげで場が和んでいるのも確かだ。残りの三人だけでは気まずい雰囲気が流れるだけだったろう。


 明渓は空燕の言葉に何かがひっかかった。


 饅頭屋の店主は何と言っていた? 


 廓の少女の反応はどうだった?


 手元の二色饅頭をじっと見つめる。


「あの、もしかしてこれには何か意味があるのですか?」

「何だ。知らずに食っていたのか。それは意中の男女で分けて食うもんなんだよ。そうするとずっと一緒にいられるって話だ」


「お前、異国から帰ってきたばかりなのに詳しいな」

「俺の絡まった情報網は後宮だけではないからな」


 得意げに話すも、もはや全員が聞き流した。


 トントン、明渓が人差し指で顎を叩き始めた。

 青周、空燕、白蓮は目を合わせる。櫓の中が急に静寂に包まれる。静かに見守る者、興味津々な者、口を開け見惚れる者、三者三様の目線が注がれるその先で、明渓の顔色が少しづつ青く変わっていった。


「そうだったんだ。どうしよう。……私気づけなかった」


 何かにショックを受けたように愕然とした表情で呟いた。


「どうしたんだ、明渓? もしかして、俺と饅頭分けそびれ……」

「違います」


 容赦なく、キッパリ、バッサリ白蓮の言葉を否定する。


「白蓮様は楼主から何やら勧められていたのでご存知ないかと思いますが……」


 明渓がちらりと白蓮の懐に目をやり、残りの二人もそれに続く。空燕が素早く、その懐から覗く紙に手を伸ばし取り上げると、中に目を通し始めた。青周も横から首を伸ばし文字を目で追っている。


「青周兄、こいつなかなか上手くやっているぞ」

「医者の立場を最大限に活かしているな」

「い、いや、それは無理矢理持たされただけで」


 焦る白蓮を兄二人がニヤニヤと見る。


「まあ、お前も元服しているしな、ただコイツみたいにはなるなよ」


 青周が紙を白蓮に返しながら言うけれど、白蓮は受け取ろうとしない。その反応を見て、ふっと鼻で笑うと白蓮の前に紙をポイっと投げやった。


「……あの、話を続けも良いでしょうか」


 ため息混じりにおずおずと明渓が申し出た。三人が口々に詫びの言葉を言いながら先を促す。


「少女が言っていたのです。倒れた女は、昨日二色饅頭を作っていて、余った方の餡で作った饅頭を少女にくれたと」

「それがどうかしたのか?」


 白蓮が首を傾げる。


「おかしいではありませんか」

「うん、おかしいな」


 明渓に同調したのは空燕だった。

 いつになく真面目な顔をしている。

 そして暫く宙を睨んだあとに、合点がいった表情で頷いた。


「……でも、全ては推測だ。メイには何の責もないし、これ以上は俺達が証拠もなく踏み込む問題ではない」


 強い言葉でそう断言した。

 明渓は初めて見る空燕の鋭い刃のような視線に一瞬たじろぎ、その頭の回転の速さに驚いた。単細胞だと思っていたけれど、中々の切れ者だ。


「おい、俺にも分かるように説明しろ」


 青周の言葉に応じたのは空燕だった。


「あぁ、では時系列から考えよう。倒れた女が饅頭を作ったのは昨日。饅頭は冷めると味が落ちるから、昨日食わせたい奴が来たはずだ」


 空燕が話すようなので、明渓は二色饅頭に再び口をつけた。でも、先程よりさらに味が落ちたように感じた。


「でも、来た奴は女が嫌っていた男だ。そんな奴のためにわざわざ二色饅頭なんて作るか?」


 と、青周。


「作ったんだよ、食わせるために。なあ、白蓮、徳利に残っていた毒を調べるだけで、それが致死量に足りるかどうかわかるものか?」

「無理ですね。そもそも男と女の生死を分けたのは摂取量の違い。徳利に残った酒から毒の種類は分かっても、入れられた毒の量はおろか、それぞれが口にした毒の量までは分かりません」


 白蓮はそこまで言うと、考え込んだ。

 その姿を見ながら、二色饅頭をごくりと飲み込んだ明渓が話を継ぐ。


「量が問題だとするなら……。もし、二色饅頭の片側にだけ毒が入れられていたならどうでしょう」


 身請けされる女は男の異常な執着心を恐れていた。このままだと身請け先にも乗り込んでくるかもしれない。

 だから、身請けされる前に男を呼び出し、手作りの二色饅頭を食べさせようと考えた。毒は片側にだけ入れ、懐紙に包んで部屋に持っていけば皿は不要だ。全て食べてしまえば証拠は見つからない。

 そして酒にも毒を入れ、自分も毒入りの酒を飲む。男は饅頭と酒の毒が合わさり致死量に達して死んだが、酒しか飲まなかった女は助かった。



 証拠はないし、空燕の言う通りこれ以上関わるべきではない。


「女は怖いな……」


 誰ともなく口にした時、外で破裂音がした。明渓だけが小さくヒャと声を上げた。


「あっ、始まりましたね。明渓、こっちにおいで」


 ここで出遅れるわけにはいかないと、白蓮は明渓の手を引き(やぐら)の窓の前に立たせる。そしてその隣をしっかりと陣取る。

 もう一度音が聞こえた。


「わぁ!! もしかして、あれが『花火』ですか! 私、初めて見ました」


 明渓は目を輝かせて窓から身を乗り出して空を見上げる。冬の夜空をそれは鮮やかに飾り立てている。


「これを見せたかったんだ」


 二人で、と言う言葉を飲み込むと、後ろに立つ兄二人をちらりと睨む。二人はその視線に気づかない振りをして同じように空を眺めている。


(何でいるんだよ)


 腹立たしさもあるが、いやそれが殆どだが、少しだけ嬉しかった。兄達とこんなに親しく話したのは初めてのことだ。長年感じていた疎外感が自分の中で少しだけ薄まるのを感じていた。




 最後まで花火を見て、あらかた飲み食いし尽くしたあと、四人は櫓を出ることにした。青周、空燕、白蓮の順に降りていく。最後の明渓がふと振り返り床を見ると、花火を見るまではそこに置かれていた楼主からの手紙がない。

 

 階段の上から貴人三人を目を細め眺める。


 誰が持っているのか。


 流石に明渓でもお手上げの謎だった。


紙の行方は、八割空燕、大穴青周。


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