27 明渓の休日 2
「ところで、手持ちの外出着がなかったと聞いたがどうしてなんだ?」
話の出所は香麗妃だろうか。ゆっくりと肉餡の方を口に含みながら明渓はそう考えた。
「だって、実家から持ってきた服は全て妃嬪が着るような豪華な物ばかりだし、それ以外は侍女の服しかなかったから買い物にも行けなかったもの」
「実家に言って送って貰えなかったのか?」
「実家には侍女になったと伝えていないの。東宮に頼んで内緒にしてもらっている」
次は餡子の方を口にする。でもこちらはまだ熱かったようでハフハフ言いながらごくんと飲み込んだ。
「口、火傷してない? 見てやろうか?」
当たり前のように指で口を開けようとするので思わずその手を払い落とした。不敬な態度だけれど、白蓮は嬉しそうだ。これぐらいの慣れ合った関係の方が居心地が良いと思っているのか、性癖なのかは分からないが。
はたかれた手を大げさに振りながら
「何で言っていないんだ?」
「私は兄弟がいないの」
その言葉だけでおおよその事情は理解できた。
地方では名の通った家の一人娘とあらば、必然的に婿を取らなくてはいけない。明渓は十八歳になった。丁度結婚適齢期だ。
後宮を追い出されたとなれば、勤め先がたとえ東宮の住む朱閣宮だったとしても、帰ってきて結婚しろと言われるのが関の山だ。
「そうか、それは言えないな」
「うん、蔵書宮の本を読み尽くすまでは」
その言葉に、白蓮の動きが止まった。
「では、読み終わったら故郷で婿を取るのか?」
そう言われると、明渓は答えに窮してしまう。おそらくそうなるだろうと他人事のように思っている。実感はないし、ましてや望んでいる訳ではない。そもそも結婚について深く考えたこと自体がない。
白蓮がまだ何か言おうとした
そんな時だった。
「誰か! 医者はいないか? 人が倒れてるんだ!」
通りの向こう側から血相を変えた男が転がるように走って来た。白蓮はその声を聞くと、残りの饅頭を口に強引に詰め込んで声の主の元へと走って行く。明渓は懐紙を取り出して、残りを包むと袂に入れて後を追いかけた。
曲がりなりにも白蓮は皇族だ。何かあっては一大事になる。一人にしてはいけないと思っているし、いざとなれば守るつもりでいた。
「分かった、そこに案内してくれ」
明渓がたどり着いた時には詳細を聞き終わったあとらしく、男は再び来た道を走って戻って行く。明渓は意味が分からないけれど、白蓮と一緒にそのあとに続いて人混みを縫うようにして走って追いかけた。
男が赤塗りの大きな門の前で止まると、門番らしき男が出てきて何やら話をしている。男達がじろりと明渓を足元から舐めるように見てきた。
「俺の連れだ。一緒に連れて行きたい」
その目線の意味が分かったようで白蓮がそう告げる。目線と会話の意味が分からずポカンとする明渓の前に、門番の男が木片を渡して来た。
「女がこの門から外に出る時は許可が必要だ。あんたの顔は一応覚えておくが、この札無くすなよ」
手渡された札には、許可の文字と左端に日にちが書かれていた。左端の部分は何度も削った跡があるから、都度書き直して使っているようで、なかなか年季の入った札だった。
キョトンとした表情で受け取る。
「ここでは絶対俺から離れるな」
白蓮はきつい口調でそう言うと、明渓の手をぎゅっと握ってまた走り出した。
「ここだ! 早く!!」
男が入って行くのは大きな朱塗りの建物だった。でも、普段見ている建物とは何だか様子違う。何と言うか、華やかと言うか、派手と言うか……
一歩足を踏み入れると、その色彩の多さと香の匂いに眩暈がしそうになった。
男は急かすように奥へと案内しようとする。しかし、白蓮はそこで足を止めて男をじとっと睨んだ。
「本当に病人はいるんだろうな?」
「あぁ、さっきも言っただろう。男と女が部屋で倒れてるんだ。女の方は明日身請けされるんだよ! 良縁なんだ、助けてやってくれ! 男はいいから女だけでも!!」
男の必死の形相と、集まってきた女達の懇願する様子を見て、白蓮はこくんと頷いた。
明渓の手をしっかりと握り直して男に付いて行くと、開けられた襖の向こうの寝台の上に男女が倒れていた。
倒れた男の口からは泡が出ている。顔色も真っ青で苦悶の表情を浮かべ、喉を掻きむしるような仕草をしたまま動かない。
どうやら毒を口にしたようだ。
白蓮は男の首に手を当て脈をとると、頭を横に振りすぐに女の方に向かった。同じように脈をとると、こちらは反応があったようで近くにいる者に水を持ってくるよう頼んでいる。
明渓は白蓮の近くで、でも邪魔にならない場所で黙って立っていた。
足音が聞こえて来たので振り返ると、派手な化粧をして着物を独特に着崩した女が息を切らせて水を持ってきた。
流石に明渓も建物に入った時点でここが何処か分かっていた。派手な化粧の女達は遊女、ここは廓。あの門が建っていた場所が遊郭と外の境だ。
白蓮は懐から嘔吐剤を出して、水と一緒に女の口に流し込んだ。
「何故こうなったか分かる人間はいるか?」
女を吐かせながら聞くと、一人の遊女が手を挙げた。
「俺が処置している間に知っている事を連れに話してくれないか?」
そう言ってちらりと明渓を見た。明渓は頷いて遊女の元に向かう。
「話はこの部屋でしてくれ」
白蓮の言葉に遊女は頷き、明渓を部屋の隅へと連れて行った。歳は濃い化粧でよく分からないけれど二十歳頃だろうか。倒れていた女より少し若く見えた。
「あの……それで何から話せばいいの?」
遊女は気が動転している様で、オロオロとした様子で明渓に聞いてきた。
「では、誰が始めに見つけたのか、その時どんな状況だったのかを教えてください」
明渓の言葉に遊女は小さく頷くと、ごくんと唾を飲み込んで話し始めた。
最初に見つけたのは、彼女自身だった。
いつまで経っても客が出てこないので心配になって扉の前から声をかけてみた。でも、返事はない。不安になってきて扉を開けて中に入ると二人が寝台に重なるように倒れていた。
卓の上にあったのは空の徳利と杯。杯の一つは床に転がっていて割れていたらしい。異様な気配を感じて二人に近づくと、男が泡を吹いたので慌てて男衆を呼んだらしい。
明渓は卓の上を見ると徳利と杯はそのままになっていた。割れた破片だけは、誰かが危ないと思ったのだろう、集められて卓の上に置かれている。他に器や食べ物がないから毒はあの中に入っている可能性が高い。あとで白蓮が見るだろうと、徳利と杯はそのままにしておくように頼んだ。
「では、次にあの男が誰なのか、倒れた女性とどのような関係なのか、それから先程から良縁、身請けという言葉を耳にしますがそのあたりの事を教えていただけませか」
「うん、分かった。あの男は姐さんの馴染客で木材の商いをしている男だよ。姐さんは、ずっと御贔屓にしてくださっていたある方に明日身請けされることが決まっていてね。その方は姐さんも慕っている方で、私達の世界では珍しいぐらいの良縁なんだ」
遊女はそこまで話すと心配そうに倒れていた女を見る。姐さんと言ってはいるが、こういう店の場合血の繋がりに関係なく歳上遊女をそんなふうに呼んだりする。
「あの男は姐さんにすごく執着していたんだ。だから昨晩来た時から不安でね。しかも、次の日の夕方まで姐さんと過ごしたいって凄い大金を積み重ねたんだ。断れば良いのに、楼主は守銭奴だから喜んでそれを受け取って、挙句の果てがこれだよ」
遊女は忌々しげに廊下を睨んだ。廊下から寝台に目をやっている老女が楼主だろうか。
「身請けされる前に男が一緒に無理心中を図ったんだろうよ。ここでは無理心中は珍しくない話だ」
自嘲気味に言う遊女の瞳を、明渓はじっと見ていた。
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春の推理2022 ネタが最近思いついたので、参加しようと執筆中です。でも、内容がなろうっぽくないんですよね。読んで貰えるか不安。




